第5話

「いっ、いない……いないいない、彼氏なんていませんっ!」


 わたし彼氏いない歴=年齢ですよ! 中高は女子校で、今も女子大だよ。男子禁制純粋培養ですよっ!


「いないの? 本当?」


「はい。いないです……よ?」


 どうして「いる」と思うんですか。匂わせすらしてませんけど。


「よかった。じゃあ姉さんは、僕だけの姉さんだね」


 ホッとしたようなお顔をする詠夢くん。

 ……って、僕だけの? なに……それ。


 そ、それはヤバイのですよ? そんなこと言っちゃうと、あなたのお姉ちゃんはこわれますよ? この子はもろくて、くるいやすいのです。


 呆然ぼうぜんとしてる私に、笑顔の詠夢くんが、


「お米、ついてるよ」


 自分の口元の右側を指差します。

 あぁ、ついてますか? むせてしまいましたので。むせさせたのはあなたですけど。

 私が口元に手を置くと、


「違う。反対」


 彼は前かがみになって、私へと腕を伸ばしました。

 そして口元についたお米の欠片かけらを……というかそれ、私が口に入れたものですよね? なのに彼はそれを指でつまむと、


 ぱく……っ


 食べ……ちゃった!?

 何事もないように食べてしまいましたっ!


 え!? それ、私が口に入れたのだよ?

 間接キスじゃ、ない……の?

 これって間接キッスじゃないのですかあぁっ!?


「ごちそうさま」


 食器を手に、彼は席を離れます。

 自分が使った食器は自分でシンクに運ぶ。最初の頃は洗おうとさえしたので、「食器を洗うのはお姉ちゃんの仕事。とっちゃダメです」とやめてもらいました。


 やばい……です。

 心臓が苦しい、顔が熱い。キスはもちろん未経験ですが、間接キスだってこれが初めてだよっ!

 私の初間接キス、詠夢くんに奪われちゃったんですけどぉ~っ!


「僕、勉強するから部屋に行くね」


「ふぁっ、ふぁい……」


 呂律ろれつが回らないままにそう答えると、


「そうだ、姉さん。お風呂、僕が先でもいい?」


 彼はそう続けました。


「は、はい。いいですよ。どうかしましたか?」


 ちょっと口が回るようになってきた。


「えっと、言いにくいんだけど、言っていいのかな……」


 言いにくい? なんでしょう。


「そうですか? ですが言ってもらえた方が助かります。改善できるかもしれません」


 詠夢くんはなんだか恥ずかしそうに、


「あ、あのね。姉さんの後だと、お風呂がいい匂いしててドキドキしちゃう……から。ドキドキして、そのあとの勉強、集中できないんだ」


 ヒイィっ!

 想像の斜め上空じょうくうの答えでしたっ!


 ですがそれは、私と同じじゃないですかっ!

 私もお風呂、あなたの後だといっつもドキドキですよ。あなたの香りがしますのでっ!


「ご、ごめん変なこと言って。気持ち悪いよね、ごめんなさい」


 いえ、気持ち悪さなら私、負けてませんよ? なんでしたら私のほうが、あなたの後のお風呂で気持ち悪い顔してますよ!


「き、気持ち悪くはないですけど、少し恥ずかしいですね……。詠夢くんみたいなかっこいい男の子にそんなこと言われると、ドキドキしちゃいます」


 ドキドキどころが、心臓バックバクですけど。

 絶対私、顔赤くなってます。恥ずかしいな……。


「かっこいいって……僕だって姉さんみたいな美人にそんなこと言われたら、ドキドキしちゃうよ」


 ……ん? びじん? 美人!?

 ちょっと待ってください、私美人じゃないですよ!? 普通です。頑張ってますけど普通です。

 ママに似てますけど、ママもそんな美人じゃないです。普通です。あの人なんて、視線がきつくて怖いくらいです。


 だけど詠夢くん、なんでそんなに照れてるんですか? お顔、耳まで赤くなってます。

 そんなお顔されると、私……頭がクラクラしちゃいます。

 頑張ってこらえているんですよ? あなたの「お姉ちゃん」になるために、必死なんです……よ?


 詠夢くん。エイム……くん?

 違う、彼は「弟の詠夢くん」です。


「詠夢……くん」


 なんだか頭がふわふわして、


「お風呂、一緒に入ります……か?」


 自分が口にした言葉とは思えなかった。そして口にした瞬間、正気に戻った。

 ゾッとして身体が硬直する。血の気が引いた。


 だけど詠夢くんは苦笑して、


「ダメだよ、姉さん。僕も男なんだから、本気にしちゃうよ。ドキドキするって言ったでしょ」


 冗談だと思ってくれたみたいです。からかわれたって。

 本当は違いますけど、無意識に口走ってしまっただけですけど。


「す、すみません。詠夢くんがあまりに可愛かったので、ついからかっちゃいました。あなたが先に、新婚みたいだなんていうから……ですよ?」


「う、うん……ごめん。でも僕、からかったわけじゃないよ。本当に思ったんだ、新婚さんみたいだなって……」


 ダメだ。これ以上はムリ、堪えられない。顔面が崩壊しちゃう。

 私は詠夢くんから顔をそらし、


「わかりました。お風呂は先に入ってください」


「うん、ありがとう」


 リビングを出て行く詠夢くん。彼の姿が見えなくなった瞬間、私はテーブルにつっぷした。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 心臓が痛い。苦しい。顔が熱い。涙が出そう。


(期待させないでよッ!)


 初めて詠夢くんに怒りを感じました。

 理不尽な怒りだとわかっていますけど、気持ちをもてあそばれたように感じてしまって。


 エイムくんに夢中だった時間。今でも夢中ですけど、その時間は私の宝物で、たとえ「彼」であっても奪わせません。


 詠夢くんと、エイムくん。


 私の中で、「ふたり」は明確に違っています。

 私は「彼ら」を、同じ姿をした「別人」だと感じている。


 でも、なぜそんなふうに感じるの? 気持ちが置いついてない?

 突然、憧れのキッズモデルが弟になって、一緒に暮らし始めたんですから、気持ちの整理に時間がかかるのは仕方ないかもしれません。


 エイムくんは私とって、「あこがれ」の存在です。

 決して手が届かない存在だからこそ、夢中になれた。そして今も夢中です。


 ですが詠夢くんは、なんでだろう? 手が届きそうに思えちゃう。

 芸能人とは思えない。カッコいい男の子。そう感じちゃうの。

 さっきもそう。


『お風呂、一緒に入ります……か?』


 あんなことエイムくんには絶対言えないし、言おうとも思わない。

 だけど、詠夢くんには言えてしまった。


 そして半分、ううん……半分以上本気だった。

 私は詠夢くんを「弟」としてだけでなく、「素敵な男性」と認識しているのかも……。


 だけど、詠夢くんは?

 彼にとっての私は、「お姉ちゃん」。ただ、それだけだよね。


 だから、甘やかしていいんだよね?

 お姉ちゃんが弟を可愛がるのは、当たり前だよね。


 だったら私もときどきは、彼に……弟に甘えていいのかな。

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