第3話

 だが、人生とは予想のつかない出来事の連続だ。


 もちろん、急逝した兄が実家を借金まみれにしていたこともだが、それ以上に驚く出来事が、律哉に訪れる。


(……この人は、なにが目的なのだろうか?)


 所属する駐屯地の応接室にて。律哉は、見知らぬ男性と対面している。


 見るからに金回りのよさそうな男は、律哉を吟味するように見つめてくる。


「桐ケ谷。このお方のご機嫌をくれぐれも損ねないようにな……」


 上司は律哉にそう耳打ちして、応接室を出て行った。


 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。が、今ならばわかる。


 多分、この男は軍に多大なる援助をしているのだろう。まぁ、いわば支援者だ。


(まぁ、ここ十数年は平和だしな。支援者が減っているのも、真実だ)


 そう思いつつ、律哉は男の視線を受け留め続ける。しばらくして、男は「ふむ」と顎を撫でた。その手首には、豪奢な腕時計がはまっている。……やはり、この男は金持ちなのだ。


(だが、どうしてそんな人が俺なんかを……)


 言ってはなんだが、律哉にあるのは『伯爵』という地位だけだ。しかも、今にも崩れ落ちそうなほどの、脆い立場。そんな人間に会いたいなど、この男はなにを企んでいるのか――。


「……キミが、桐ケ谷の当主だったな」


 低い声で、そう問いかけられる。そのため、律哉は頷いた。


「はい。現在桐ケ谷家の当主を勤めております、律哉と申します」


 華族なのだから、堂々としていればいい。それはわかっているが、どう考えても立場はこの男のほうが上だろう。


 それに、この三年で律哉の華族としてのプライドなど消えている。そんなもの木っ端みじんに、壊れてしまった。


「そうか」


 男はそれだけを言うと、また律哉をじろじろと見つめてくる。……一体、なんだと言うのだろうか。


 自然と眉間が動く。が、それをぐっとこらえて表情を保ち続ける。


「私は現在花里はなざとの当主を務めている」

「花里……」


 その名前は、律哉もよく聞いている。


 ここ数年で急成長している商家の名だ。確か、服飾事業で成功したとか、なんとか……。


「花里は財こそ成している。が、どうしても成金だと蔑まれることが多くてな」

「……はい」


 矜持を持つ華族は少なくない……どころか、ほとんどである。つまり、律哉のような人間のほうが圧倒的に少ない。


 その中には成金とは関わりたくないという人間も一定数居る。彼らは自分の血筋に誇りを持っており、それ以外の者を見下すためだ。


「商売は上手く行っていると自負できる。だが、今後のことを考えると、販路は拡げておいたほうがいい」

「……そうで、ございますね」


 どうやらこの花里という男は何処までも貪欲らしい。それを悟りつつ、律哉は淡々と同意する。


 ……そして、彼がどうして律哉に会いに来たのか。その理由を、うっすらと理解する。彼は、きっと。


「そこで、私はキミに提案を持ってきた。没落寸前の伯爵家である、桐ケ谷の当主に」


 わざとらしく強調された言葉。それは、何処までも自分が上だと知らしめるためのものだろう。


 全く、油断も隙も無い男だ。そう思いつつ、律哉は頷く。


「桐ケ谷の事情は、私としても心苦しく思っていてね。血のつながった兄とはいえ、ほかの人間が作った借金を返すなど、虚しいだろう」

「……えぇ」

「だから、そんなキミに救いの手を差し伸べる。私が出す条件を呑めば、キミの家が持つ借金をすべて肩代わりしよう」


 その言葉は、律哉の予想していた通りのものだ。


 つまり、この男は。


(自身が華族の一族の仲間入りをするために、大金をはたくというわけか)


 包み隠さずにまとめれば。そういうことになるのだ。

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