第3話

 薄緑の草が日陰の中で無造作に生え、鳥のさえずりが聞こえてくる。陽気な空気に包まれた春の午後、私はまた知人の元を訪れるために、あの駅のホームに立っていた。

 誰もいないホームに飽き飽きしていたので、自分はポケットからスマホを取り出す。とは言っても、ネットには繋がらないから、メモ帳アプリを開いて、時間を潰そうとする。

 しかし、メモの一覧を見た瞬間、とっさに私はスマホの電源を落とし、ポケットにしまった。

 『プラットホームにおける思索』

 そんな題名のメモがあった。決して、その題名のイタさで、恥ずかしくなったわけではない。私はこのメモを見て、言い尽くせないほどの情にかられたのだ。

 あれを書いたとき、私は、自然と深く繋がっていた。それは、他人と距離を置いていた私の唯一の現実への浄化物だった。自分達たちにとって、自分達にとって都合のいいやり方で、人間関係を作らせるあの学校に反発した私の。

 この数か月、私は何をしていたのだろう。そう自問自答してしまうほど、その期間を無為に過ごしていた。他者とも繋がらず、自然とのつながりも放棄し、一時的な仕事と勉強に現を抜かしていた。それ以上に大事なものがあるにも関わらず。

 私の頬に生温かく湿った感触が伝わる。ここに散る桜があれば完璧なのだが、ここにそんな大層なものはない。私は、深い感傷に浸りながら、失われた繋がりを復活させるべく、自然と感覚を共有しようとする。

 私はその相手を眼前の薄緑の草木にする。しかし、そこから春を想像することができない。春と聞くと桜しか想像できなくなってしまっているからだ。そして、桜を想像すると、忌まわしく、醜く思えてくる。もし桜を美しいと言う人がいたら、きっと打ち殺してしまうだろう……。

 春の別の魅力が、桜だけを愛する社会によって隠されていく。その桜の現在を認識したとき、私の、自然への扉が開かれる。


──桜に注目を奪われ、寂しく春を過ごすこの季節の隠された主役(Hidden Star)。どれだけあっても桜を越えなければ人目につかない封印された魅力(Subterranean charm)。それは私にもある。どれだけ自分を磨こうとも上位互換がいる無力感。結果を出そうとも、誰も見向きもしない屈辱。

 私は、あたかも桜の被害者であるかのように振る舞う。しかし、私だって別の人の桜なのかもも知れない。


 思考が自嘲的になってきたので、私は都合のいいことを考えることにする。

──桜の陰に隠れ、報われない草木をそっと愛でる物好き。その人を心の支えにし、ほのかな恋心を抱きながら、春の穏やかな時を過ごす。

 心救われるような話を考えるが、私にはその物好きがいない。私は必ず日陰に沈む運命なのだから。

 自虐的な考えから抜け出せないが、自然とつながることはできた。

「ただいま」

 眼前の景色に語り掛け、彼らとのつながりをさらに深めようとする。


 しかし、その時、

──カン、カン、カン

 という甲高い音が耳に入る。しばらくすると、煩わしい轟音が混じる。草木は日陰に沈み、のどかさは失われ、私と自然とのつながりは断ち切られる。

 やがて、不格好な電車は私の目の前で止まり、私を吸収する。

「すさまじきもの」

 私はそう呟いて整理券を取り、席に着く。

──こののどかな日にパッケージ広告なんて

 私は、不満を抱きながら、窓から先ほどまでの私を眺めていた。

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