第4話 再度の警報事件

 転職するには、少し困難な時期でもあった。職安には、たくさんの人が溢れ、

「求人をする企業側は、少し増えては来ているようだが、実際に、就職できるという人は、数がそれほどでもない」

 という。

「理由はいろいろ考えられるが、少なくとも、求人が増えているのは、それだけたくさんの人が辞めてしまったということを示しているということだろう」

 しかし、

「辞めた連中も、ここで焦って、また変な会社に入社することになったら、元も子もないだろう」

 ということであった。

 実際に会社に行ってみると、面接の段階で、その会社がどういう会社なのか、分かるというのも難しいだろう、

 何といっても、求人があるということは、

「辞めた人の補充」

 を考えているからで、企業側も、最初から印象が悪いと、

「あそこは、ブラックだ」

 というような、変なウワサを流されると溜まったものではない。

 ということになるのだろう。

 それでも、何とかなるというもので、

「次第に、節目節目で、ハードルを下げていくことで、見えてくるものもあるというもので、失業してから、約半年くらいで、次の職を見つけることができたのだ」

 まぁ、決まったのはよかったことだ。

 と思っていたが、実際にどんな会社なのか、

「行ってみないと分からない」

 というもので、

 実際に入社してみると、

「一度辞めてしまうと、今よりも必ずレベルが落ちる」

 と再就職では言われていた。

 この、

「レベル」

 というのも、曖昧なもので、

「どう表現していいのか分からないから、レベルという言葉でお茶を濁し、いかに求職側の方が歩み寄れるか?」

 ということを考えないと、いつまで経っても、

「就職難」

 というものは変わらない。

 というものであった。

「求人も、求職者の数だけあるのに、どうして決まらないんだ?」

 ということである。

 これも、考え方ではあるが、

「求職側がわがままだからではないか?」

 と言われる。

 いわゆる、

「きつい、汚い」

 などという会社よりも、今では気を付けなければいけないのは、社会問題になっている、

「ハラスメント」

 であったり、

「コンプライアンス違反」

 という問題を象徴する言葉としてよくあるのが、

「ブラック企業問題」

 というものである。

「パワハラ」

「モラハラ」

 などが、今だに行われている企業も少なくはない。

「間違ってそんな会社に就職したら」

 と思うと、

「もうどうしようもない」

 という状態になってしまうのだった。

 要するに、そんなところにまた入ってしまうと、

「どこに行っても、そんな企業しか残っていない」

 ということになると、

「もう就職などしたくない」

 ということで、

「アルバイトで食いつなぐ方がいい」

 と思う人も出てくるだろう。

 そもそも、企業側も、

「そんな会社だから、社員が辞めていって、求人に走るのだから、当たり前だというものだ」

 それらの理屈を分からない、職安で探してもなかなか難しいだろう。

 そういう意味では。そんなに多失業期間が長くなかったという意味では、森山としても、問題ではなかっただろう。

 それを考えると、ある意味。

「ラッキーだった」

 といえるかも知れない。

 今度の会社は、地元大手に近いというところは変わりはないが、昔からの、

「同族会社」

 ということで、

「大きな親会社から、あれこれ言われることはないだろう」

 と思っていた。

 しかし、それもつかの間のことで、次第に、業績悪化ということから、

「この会社のスポンサーになろう」

 というところが増えてきた。

 そもそも、ネットスーパーの原型として、初期に君臨したのは、今のこの会社であることは間違いない。

 そういう意味では、

「うちの会社は、オリジナルがあるから、強い」

 と感じていたが、まさか、

「他から狙われやすい」

 ということまで分かってはいなかったのだ。

 そういうことを考えると、

「この会社も、うかうかしておられない」

 と思っていた矢先、他のシステム会社が、

「注文方法」

 ということで、当時ちょうど、流行り出したスマホと提携する形での提案をしてきたことがあった。

 まだ当時は出始めということで、

「海のモノとも山のモノとも分からない」

 ということだったので、すぐに飛びつくというところも、まだまだなかったということだろう。

 だが、さすがにオリジナルの開発に乗り出した会長が、

「それらのシステムを受け入れる」

 ということで、彼らと提携して、

「期間限定」

 ということであったが、うまく連動ができたようで、注文件数もなかなかの伸びをしめしていた。

 ということで、売り上げの方も、順調に推移したものだ。

 しかも、試験限定の時期が終わると、今度は売り上げが下がり始めた。

 それで、会議で社内方針として、

「スマホの注文技術を共有したい」

 ということで、うまく注文できるようにしたのだった。

 また売り上げが伸びてきたのはよかったのだが、今度はそのせいで、

「うちを子会社にしたい」

 というところがいっぱい出てきたのだ。

「結局狙われるのには、変わりないか」

 とも考えたが、あとは、

「社長、会長という取り締まり役員の方々が決めることだ」

 ということになるのだった。

 実際に、会長がやりてで、今までうまくやってきたのだが、なかなか、時代の流れに沿わなければ、うまく行くものではない。

 まだ、会長が社長の時に、

「新しい事業に参入したことが当たり、いち早いシステム化、情報分析の重要性を、見抜くなど、素晴らしい会長だった」

 という話であるが、その後、少しずつ衰えていく話を聴いていると、

「羽柴秀吉」

 の話を思い出した。

「百姓から身を起こし。織田信長の草履取りから頭角を現してきた秀吉は、信長配下の時は、実にうまく、飛び回っているという印象があった。

 しかし、天下を握ると、その人心掌握術に長けていたということで、人心を掴み、天下人へとなっていくのであった。

 しかし、彼の問題は、まず、

「後継者を作っておかなかった」

 ということであろう。

 それに付随して、

「頼りにしていた人が、ことごとく死んでいった」

 というのもあるだろう。

 ただ、逆に、頼りにしていたはずの人間に、切腹を命ずるなどという一面もあって、

「豊臣時代」

 というと、

「捉えどころのない時代」

 ともいえ、見方によっては、

「独裁の時代だった」

 といえるだろう。

 逆に、この時代、

「どうして秀吉が天下を取ることができたのか?」

 ということが問題だったりするだろう。

 一番大きなこととしては、

「どんな時でも、優秀な軍師や相談役がいたからだ」

 ともいえるだろう。

 信長のように、

「大いなるカリスマ」

 があれば、相談役や軍師がいなくてもいいのかも知れない、

 といっても、まわりを固めるだけの武士団を形成できるのだから、

「信頼できる部下がいた」

 ということに間違いはないだろう。

 それを思えば、

「優秀な人が集まるためには、それなりのカリスマ性がないと無理だ」

 ということになると思えば、秀吉にもそれなりに、カリスマ性があったともいえるだろう。

 それは家康も同じで、家康の場合は、

「本多正信、正純親子」

「天海」

 などと言った、相談役の存在があり、さらに、

「徳川四天王」

 を中心とした、武士団もあったのだ。

 それは、武田信玄にも言えることで、大なり小なり、

「戦国大名として、君臨するには、それだけの人徳がなければいけない」

 ということであろう。

 何しろ時代は、

「群雄割拠」

 と呼ばれる、

「下克上」

 の時代。

 そんな時代に、自分一人だと、やっていけるわけはないだろう。

 武田信虎のように、

「息子に追放」

 されたり、

 斎藤道三のように、

「息子が、自分をお親の仇と思い込んで、殺されてしまったり」

 と、何が起こるか分からない時代だったからだ。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 それは、

「戦国大名のほとんどが、最終的に、戦乱のない時代にしたいということを考えていたのではないか?」

 ということであった。

 だからこそ、家康が、大阪の陣が終わり、豊臣家を滅亡させたあと、

「元和堰武」

 と言って、

「平和の時代を宣言する」

 ということになったのだろう。

 武家諸法度にしても、

「一国一城令」

 にしても、

「戦のない時代」

 目指したといってもいいだろう。

 秀吉の場合も、その思いは強かっただろう。

 ひょっとすると、

「一番強かったかも知れない」

 といってもいい。

 何と言っても、百姓上がりだから、

「年貢を貪り取られ、さらには、戦の時には駆り出される」

 ということである。

 戦さえなければ、田畑を荒らすこともなく、年貢は普通に上がってくるのかも知れない。やはり、

「統治」

 という意味では、戦というものは、罪悪以外の何者でもなかったに違いない。

 それを考えると、

「豊臣家が一代で終わったというのは、ある意味、罪悪なだけしかなかったのかも知れニア」

 とも癒えるかも知れない。

 だからといって、秀吉がやった、

「いいこと」

 という

「功績」

 という意味では、

「太閤検地」

「刀狩り」

「惣無事令」

 さらには、賛否両論あるが、敢えて、功績として挙げるとすれば、

「キリスト教禁止令」

 などではないだろうか?

 さらに秀吉には、

「軍事」

 においても、

「平時の統治」

 においても、参謀のような人が必ずついていた。

 中には、早くに亡くなった人もいたが、それでも、生きている間の功績は素晴らしかった。

 特に、弟の秀長などは、その筆頭であり、戦術的にも、戦略的にも長けていただろう。

 さらに、彼は、

「築城の名手」

 ともいわれている。

 秀長に仕えたことで、その後、

「築城の名手の最有力候補」

 と言われている、藤堂高虎の存在も大きなことであった。

 彼にとって、戦時であったり、調略、城攻めなどにおいて、

「部類の天才」

 といえば、

「黒田官兵衛」

 であろう。

 秀吉に、

「次の天下を狙う人がいるとすれば、誰か?」

 と聞かれて、答えられずにいると。

「お前だよ」

 と言われたことで、

「出家して、家督を息子の長政に譲って、隠居した」

 と言われているのである。

 そんな官兵衛の他に、こちらも早死にであったが、

「稲葉山城を、数人で乗っ取った」

 という竹中半兵衛がいる。

 他には、

「蜂須賀正勝」

 なども、その一人であろう。

 四国、九州、関東と、ことごとく平定していくと、平和な時代になると、

「太閤検地」

「刀狩り」

 などということをやり、ある意味、信長の政治を思い出しながらのやり方だったのだろう。

 それだけでなく。政治や統治という意味での参謀役も存在した。

 特に、

「石田三成」

 あるいは、

「大谷吉継」

 などと呼ばれる人たちによって、天下統一後の世界は、担われていたのだった。

 そんな豊臣政権下の政治だったが、なぜか途中から、彼は豹変するのだった。

 それまでは、言われているような、

「素晴らしい人心掌握術によって、適材適所に人員を配置したり、近親の部下を手厚くもてなしたりしている」

 しかし、前述のように、

「まわりで、自分の信頼している人がどんどん死んでいくことで、人間不信にでも陥ったのか、自分に対するまわりの態度に敏感になり、何かというと、それまで連れ添ってくれた相談役などに、切腹を申し渡したりしたのだ。

 何といっても、自分に息子が生まれてしまったことで、生まれないと見越して、跡取りを甥の秀次に決めていたのに、裏目に出てしまい、これはどこまでが本当のことなのか分からないが、

「秀次に謀反の心あり」

 ということで、

「高野山に謹慎させ、最後には切腹させてしまった」

 などということもあった。

 さらには、ずっとこれまで、相談役として、そばにいた、

「千利休」

 を切腹させたりと、やることが、えげつない状態になってしまっていたのだ。

 そんなことがあってしまうと、

「秀吉は、誰も信じられなくなっているのではないか?」

 ということになり、それ以降の暴挙を誰も止められなくなった。

 その暴挙とは、

「二度にわたる、調整出兵」

 であった。

 ただ、この話にも諸説ある。

 というのも、

「秀吉は、元々から、明国を攻めて、天皇を北京に移し、自分は、貿易港の寧波で隠居する」

 という夢を持っていたということなので、

「やけくそでの、出兵ではない」

 という説、あるいは、

「西洋列強が、当時は植民地時代だったことで、明国を占領し、明国を使って、アジアの防波堤にしよう」

 という考えがあったのではないか?

 ともいわれている。

 それも、冷静に考えれば、一理あり、信憑性も結構あるような気がする。

 それを思うと、

「朝鮮出兵」

 というのも、あながち間違った政策ではないともいえるだろう。

 しかし、攻め込まれる朝鮮としては、たまったものではないが、そもそも、日本とすれば、地理的問題から、世界情勢を考えた時。朝鮮半島に権益を持っておくことは、必須だといえるだろう。

 たまたま、それが秀吉の時代だったというだけのことで、ある意味仕方のないことであろう。

 だから、朝鮮では、

「豊臣秀吉」

「伊藤博文」

 は、大罪人という意識になっているようだが、ある意味時代背景上、仕方のないことではないだろうか?

 ただ、もう一つは、

「後継者を作っておかなかった」

 ということであろう。

 息子の秀頼は、まだまだ小さな子供であった。

 一応、

「五大老」

「五奉行」

 という体制を造り、死後の世界をまとめていってもらい、

「最後には、秀頼に関白となってもらい、豊臣の天下をつないでいく」

 という世界を見積もっていたのだろうが、

「徳川家康」

 という存在をどこまで気にしていたのだろうか?

「まさか、信頼しっていた、前田利家が、先に死んでしまうとは思っていなかったということなのであろうが、家康を抑えることはできなかったのだった」

 さらに、加藤清正らの武闘派と、石田三成らの、文民派との間に、亀裂が走ることも分かっていなかったのだろうか?

 確かに元々は、秀吉も元、おねの存在もあって、兄弟のように育った彼らが、仲たがいをするとは思わなかったなどということも考えられなくもない。

 それが家康に火をつけて、結果として、

「天下分け目の関ヶ原」

 となったのである。

「確かに、秀頼のことが気になっていただろうが、自分の部下たちが、死後も、秀頼のために尽くしてくれると、どこまで感じていたのだろう。家康の性格を考えれば、動き出すことは当たり前であった」

 それだけの家臣団を持っているのだから当然のことである。

 要するに、

「一代で一気に上り詰めた人は、当然、それだけの才覚がなければいけない」

 というのは当たり前のことであり、

 それだけに、自分の部下は、

「信頼してくれると思っていたのかも知れない」

 しかし、自分だって、農民からたたき上げたのだから、それだけの努力と、それに勝るとも劣らないだけの、

「諜報」

 などに長けていたといってもいいだろう。

 sんな時代があった中で、時代を思い返すと、

「今のうちの会社に似ているかも知れないな」

 と感じたのは、

「二代目が、頼りない」

 というところからである。

 これは、豊臣家に限らずであるが、

「大体、何かの体制を設立した偉大な初代に対して、二代目というのは、どうしても劣って見えるし、初代に対抗しようとして、裏目に出てしまう」

 ということもえてしてあったりするだろう。

 そういう意味で、この会社もそうだった。

 だが、二代目が悪いというわけではない。

 正直、

「立派な二代目だと思う」

 という人も結構いる。

 というのも、ちゃんと側近の意見を聞いて、理解し、反対意見があれば、理路整然として、論破できるくらいの力があったりするではないか。

 そんなことを考えていると、

「二代目がどうしても、悪いと思われるのは、汚名であり、そういわれているということを前提に話すから、真実から目を背けることになるのではないだろうか?」

 そういう意味では、

「二代目が初代に劣る」

 というのは、あくまでも、初代が立派だという考えにのっとっているからなだけで、

「確かに初代が素晴らしいというのは、変えようのない事実なのだろうが、それを完全に信じてしまい、見方を謝ると、おかしな発想になり、真実から目を逸らしてしまうことになりかねないだろう」

 森山は、

「パイオニアの絶対性」

 ということを、他の誰よりも感じていた。

 だから、彼は、

「自分がパイオニアになりたい」

 という気持ちが、

「誰よりも深い」

 と言えるのではないだろうか?

 だが二代目を認めないわけではない。

 特にこの会社に入って、当時の社長のことは十分に認めていて、しかも、自分のまわりに、参謀といえる、有識者のような人たちを、たくさん並べているのは、すごいことだと思った。

 中には、

「社長のために、わざわざ大手企業の誘いを蹴った」

 というような人もいたりする。

 確かにそれだけ、周りから慕われている。

 武将などのように、仁義や、封建的な考えで結びついているわけではないので、そこまで、

「忠義」

 を示す必要などないはずだ。

 それなのに、

「社長のため」

 と公言している人がいるということは、よほどの信頼性を抱いているという証拠なのであろう。

 それだけに、この会社においての、社長交代劇があった時、重役のうちの半分は、退職していった。

「もちろん、解雇の人もいるだろう」

 しかし、そのほとんどが、

「前社長を慕っての退社だ」

 ということであった。

 どうしてそういうことになったのかというと、会社経営が、すでに、どうすることもできないほどのところまで行っていて、スポンサーを探して、裁判所に、

「民事再生法」

 というものを適用してもらわないといけない。

 というところまできていたのだ。

 民事再生法というのは、ある意味、

「徳政令」

 のようなもので、

「債権放棄」

 の法律である。

 それも、スポンサーを見つけて、再建計画を立て、それが実行できるかどうかを銀行が認めるかどうかで決まってくる。

 だから、この法律を生かすには、最低でも、数社の、

「スポンサー」

 というものが必要になる。

 そして、経営方針をしっかりと建て直し、前に進むしかなのであった。

 そんな会社が、何とか民事再生で、スポンサーを見つけ、何とか、経営を乗り切ることができたが、案の定というべきか、会社の経営権は、スポンサーが握る形になった。要するに、

「吸収合併」

 である。

 しかも、吸収した会社は、これまでに、似たような方法で、どんどんグループを大きくしてきたのだ。これは致し方ないだろう。

 それでも、

「あの時助けてくれなければ、倒産と、社員が路頭に迷う」

 という最悪のケースだっただけに、

「吸収合併であれば、御の字」

 といってもいいだろう。

 そんな会社において、それから約15年くらいが経ったが、途中まではプログラマーとしてやってきたが、そこからは、

「業務担当」

 という課ができたことで、そこの専属になった。

 もちろん、

「データの確認」

 などということのために、アクセスやVBなどで、プログラムを作ることはあるが、基本的には、

「処理を確認しながら、監視を行う」

 という業務となった。

 そのせいで、夜勤も多くなったのだが、大手に吸収合併されて、5年が経った頃、元々の会社の、

「システム部」

 だった会社が、部長の働きかけによって、

「親会社は一緒であるが、元の会社から独立し、

「ソフト開発会社」

 として、再出発することになったのだ。

 そのおかげで、

「社員は、約10人チョットの、少数精鋭でやっている」

 といってもいいだろう。

 そんな会社なので、事務所も小さいところがいい」

 ということで、都心部から、少しだけ離れたところの雑居ビルに入ることにしたのだった。

 もっとも、本来なら、元の会社が流通センターを作ったので、

「そこに最初は間借りする」

 というような話であったが、実際には、それは無理だということになった。

 その会社の本部機能も、

「都心近くのビルを借りて、そこに通う」

 ということになったのだ。

 そうでもないと、電車で通うとしても結構遠くからの人が多いので、物理的に難しくなるのだった。

 それを考えると、

「うちの会社も、同じことだ」

 と考えられる。

 そうなると、

「ワンフロアを貸し切る形にすれば、うちも安く上がって済む」

 ということであった。

 ワンフロアいくらではあるが、すべてが同じ会社であれば、少し安いという話でもあったからだ。

 そのおかげで、

「駅から15分くらいのところに借りられたのだが、実は、一緒に入っていた会社が、営業所を畳むということになったので、経費の問題上、こちらの会社も出なければならなくなった」

 ということである。

 それによって、今度は、なるべく近くで、安めの事務所を借りなければいけなくなり、今から4年前くらいに、この、

「栄ビル」

 に引っ越すことになったのだ。

 その栄ビルでは、

「開発チームと、運用チーム」

 に別れていて、運用チームの中でも、日勤と夜勤に別れているのだ。

 その中で、シフト制となっているのが、森山と、山田の二人で、それぞれ、を受け持つことになる、

 ただ、基本的に夜勤を森山がやり、山田は、土日の日勤と、森山が休みの時の夜勤を賄えるように、うまくスケジュールを組むということであった。

 そもそも、

「運用のシフト制を二人でできるように」

 ということで、考えられたのが、今回の、

「栄ビル」

 でも運用だったのだ。

 そして、運用チームの一人を森山という、以前からいる社員で賄い、もう一方を、派遣社員で賄うということにしているのだった。

 森山という男は、どちらかというと、

「二重人格」

 なところがあった。

 表から見れば、完全な、

「勧善懲悪」

 というような男に見えるが、実際には、それ以外は、結構いい加減なところがあり、だから、山田からも、少し不信感を持たれている。

 山田は、どちらかというと要領はいい方なので、

「自分にとばっちりさえこなければ、それでいい」

 と思っている。

 森山の場合は、中途半端に、

「勧善懲悪」

 なので、

「自分に、火の粉がとびかかっても、それでも、勧善懲悪を優先してしまう」

 と言えるのだ。

 だから、火の粉がとびかかるくらいなら、

「自分は関係ない」

 という態度を平気で撮ることができる山田を見て、

「人間として許されることなのか?」

 と考えてしまい、そんないい加減に見える態度の山田が嫌いだった。

 当然、信用をしているわけもなく、性格の違いという言葉で、

「相手を嫌う」

 ということの言い訳にしているのであった。

 だから、今回の、

「警報機が鳴った」

 ということで、山田自体、

「原因が分からない」

 ということに対して、引き下がったことが許せないのだ。

「誤報だからいいが、本当に火事になったら、どうするんだ?」

 といっても、あいつは、どうせ何も考えていない。

 という風にしか見えないのだ。

 それを、森山が、注意したら、どうなるというのか?

「もし、逃げ遅れて火事になったら、俺は知らないからな。俺は注意したんだからな」

 と実際にいったこともあった。

「どうせ、そういうやつに限って、本当に火事になって、もう少しで焼け死ぬところまでいけば、我を忘れて、自分を正当化させるために、ボロクソにいうに決まっている」

 と感じているのだ。

 そこまで面と向かっては言わないが、相手に悟られるくらいの睨みを、わざと利かせるくらいのことを、森山だったらするに違いない。

 とにかく、森山と山田というこの二人は、

「まったく性格が違っているので。その性格が、お互いに、憎しみになっていがみ合うことになるかも知れない」

 と感じた。

 しかし、冷静に考えれば、二人とも悪いわけではない。喧嘩になりかかったのも、警備会社か、管理会社がいい加減だから、こんなことになったのだ。それは間違いないことであり、仕事としても、それらの問題は、責任者が解決しなければいけないという案件なのであろう。

 今回は、そんな、山田の時から、二週間くらいしか経っていなかっただろうか? どこかから、急に音が鳴り出した。

 時間は、午前4時を回っていた。つまりは、業務終了後であった。

 始発電車までは、まだ時間があるので、たまに会社から出てから、5分くらい歩いたところにある、食堂に寄っていた。そこは、24時間経営で、食事もできれば、コーヒーだけでもよかったりする。

 ただ、この店も、半年くらい前までは、この時間開いていなかった。

 というのも、全世界を震撼させた、

「世界的なパンデミック」

 のせいで、

「時短営業」

 を余儀なくされたことで、営業時間は、早くても、早朝5時以降ということになったのだ。

「5時とかいえば、始発電車に乗って帰った方が早いじゃないか?」

 ということで、半年前までは、仕事が終わっても、事務所で40分くらい時間を潰してそれから駅に向かうという行動をとっていた。

「本当に面倒臭いな」

 と思っていた。

 そんな状態であったが、半年前から、時短営業が解除され、それでも、24時間営業だったところがすべて、元に戻ったわけではなかった。

 そのあたりは、店側の都合でそうなったのだろうから、しょうがないところもあるのだろうが、何と言っても、その象徴が、

「24時間営業以外のどこにメリットがあるのか?」

 というくらいまで、24時間営業以外に考えられなかった、

「コンビニエンスストア」

 が24時間営業ではないのだ。

「世界的なパンデミック」

 が起こった、最初の年の、

「緊急事態宣言中」

 のことだったが、その途中くらいから、

「24時間やっていないコンビニがあった」

 ということであったが、

「まあ、他の店には休業要請が出てるのだから、それもしょうがないか?」

 と思っていたが、それでも釈然としなかった。

 確かに、宣言中には、

「露骨に、客に嫌がらせに近いようなことをしている」

 ということがあった。

 しかも、鉄道会社などに多かったような気がする。

 さらに、それを、

「世界的なパンデミック」

 のせいにして、自分たちのやり方を正当化しようというのだから、これ以上、汚いやり方もないというべきであろう。

 そんなことを考えていると、

「確かに、それだけ経営がどこも苦しいのだろうが、そんな露骨な嫌がらせのようなことをやっていると、本当に潰れてしまうせ」

 と感じたものだった。

 ただ、そんな露骨な嫌がらせというのは、鉄道会社だったり、コンビニくらいだった。

 コンビニも、伝染病の影響ということで、それまで使わせていたトイレを使えなくしていたが、今はそれも解除されたにも関わらず、最後まで、

「使用禁止」

 としていた店は、理由は分からないが、閉鎖したのだった。

 こちらとしては、

「ざまあみろ」

 という心境だった。

「その一軒くらい潰れたって、ちょっといけば、コンビニなんか、いっぱいある。痛くも痒くもないわ」

 というものだった。

 そんな、すぐにウソだとバレるようなウソをついてまで、正当化させようという根性が薄汚いと思うのだった。

 その日も、24時間経営の店に寄ってから、コーヒーでも飲むつもりで、業務終了後に戸締りを確認し、ビルの警備を掛けて帰るところだったのだ。

 けたたましいベルの音が、乾いた空気をつんざくように鳴り響き、ビックリさせられた。

 警報盤のところに、警備会社の電話番号があったことに気付いた森山は、すぐに連絡を取り。

「栄ビルですが、警報機が鳴っています」

 というと、相手も当然連動されているので、

「ただいま、向かっています」

 ということで、少し待ってみることにした。

 すると、15分くらい経って、警備の人がやってきた。

 少し説明し、

「私は、業務終了の時間なので、これで帰りますが、原因やその他は、ここの4Fの事務所が朝9時から人がいますので、その情報は共有して、明日も私が夜勤ですので、私にもわかるようにしてください」

 というと、相手も、

「わかりました」

 というので、その日はそのまま帰ったのだ。

 基本的には、早朝4時など、誰もいないはずの時間なので、駆けつけた警備会社の人もビックリしたことだろう。

 警備会社の人が、ビルの中に入っていくのをよそ眼に見ながら、森山は、ビルを後ろに、駅に向かって歩き始めたのだった。

 時間とすれば。だいぶ短いが、

「コーヒーを飲むくらいの時間はあるな」

 ということで、

「少しだけ慌ただしかったが、それも、あの警報機のせいだ」

 と、若干の予定が狂ったことに憤りを感じるかのように、警報機が鳴ったのを、嫌な感覚で覚えていたのだ。

 その日は、そのまま普通に、帰宅した。

 電車に乗る頃には、ほぼ怒りは収まっていた。

「熱しやすく冷めやすい」

 のだから、そんなものだろう。

 ということであった。

 ただ、

「あんな音がずっと鳴っていると近所迷惑だ」

 ということと、

「警備員のあの落ち着きは、どうせ誤報だろうとしか思っていないんだろうな」

 と感じると、何ともいえない憤りのようなものがあった。

「俺だけが慌てているだけのことなんじゃないだろうか?」

 という思いである。

 そんな慌ただしさを考えると、苛立ちとともに、

「もし、これが毎回誤報だということになると、誤報に慣れ切ってしまっていて、結果、オオカミ少年の話のようになってしまうという懸念を感じる」

 のであった。

 オオカミ少年というと、

「オオカミが来た」

 といって、村人が慌ただしく逃げているさまを見て喜んでいる少年がいたが。やがて、今度は、その少年が叫んでも、

「どうせ、ウソなんだろう」

 と思い、誰も、

「惑わされるものか」

 ということで、警戒もしないでいると、本当にオオカミがやってきて、村人は食われてしまうのだった。

「ウソからは、ウソしか生まれない」

 ということであり、真実を疑う心を誰もが忘れてしまっていたことで、結局、悲劇を生むということになってしまうのだった。

 それを思うと、教訓としては、

「ウソをつく」

 ということが、いかに罪深いか?

 ということと、

「慣れてしまうと、真実が見えなくなる」

 という、戒めのようなものでもあった。

 つまり、

「石橋を叩いて渡る」

 というよりも、

「石橋を叩いても渡るな」

 というのが正しいのではないだろうか?

「石橋を叩いて渡る」

 ということは、最終的には、

「渡る」

 ということなのだから、この言葉の根源は、

「石橋が、壊れることはないのだ」

 といっているのと同じである。

 なぜかというと、

「叩いても壊れない」

 という確証があるから、念のために叩くのであって、少しでも壊れると思うと、叩いたことで、壊れてしまうと、その責任は、自分にあることになるわけなのだから、

「絶対に叩くようなマネはしない」

 ということになるのであろう。

 それを考えると、

「このことわざは、額面どおりに受け止めると、どこか違和感が残ってしまうということであろう」

 つまりは、

「これは、基本的に、叩いても壊れないというのが、大前提であり、壊れてしまうというものであれば、ことわざにも使えないほどの、クズである」

 ということを言っているようなものではないだろうか?

 ということになるのであろう。

 それを考えると、

「オオカミ少年」

 が、戒めの話であるとすると、

「石橋を叩いて渡る」

 ということわざを額面通りに捉えるのであれば、それは、このことわざも、

「戒め」

 と捉えられて、しかるべきだといえるのではないだろうか?

 そんなことを考えながら帰宅し、そこから先は日ごろと同じようで、家に帰りつくと、かなり留飲は下がっていたが、それをさらに下げようと、部屋に飾ってある絵を見たのだ。

 その絵は、今まで自分が描いてきた鉛筆デッサンであり、ただの素人の絵にすぎないので、他の人には見せられないが。

「自分で気に入っている」

 ということなので、自己満足というよりも、

「癒しの気持ちを持ちたい」

 ということで見ていたのだ。

 それだけ、

「勧善懲悪な性格」

 というものは、それほど、苛立ちの性格が残っているということであろう。

 確かに、勧善懲悪は、他の人よりも、かなり疲れるというものであった。

 その日も家に帰って自分の絵を見ていると、少しずつ落ち着いてきたのだった。

 いつものように、

「キレイな光景だ」

 と思っていると、今回は結構早く睡魔に襲われた。

 そのまま、一気に眠ってしまうと、目が覚めるのは、昼頃だった。

 目が覚めてからしばらくすると、昨日のことを思い出し、

「日勤者に確認してみようか?」

 と思ったが、

「どうせ、出勤したら会うんだ」

 と思うと、別に今しなくてもいいと思うようになったのだった。

 それだけ、森山も、

「誤報でしかない」

 と思っていた証拠だろう。

 この場の関係者は少なくとも、

「誤報以外の何者でもない」

 ということを分かっているに違いない。

 だから、何も気にせずに、そのまま会社に行くと、案の定、普通にしているではないか。

 とりあえずの引継ぎの中に、

「警報機についての話がなかったではないか」

 ということであるが、この時の怒りは、まず、山田に向けられた。

 だから、

「引継ぎはそれだけか?」

 と強めにいったが、

「ええ、それだけです」

 というので、さすがにビックリしたというよりも、憤りを通り過ぎて、呆れるしかなかったのだ。

 山田はそんな森山を見て、

「何なんだ、この人」

 と言わんばかりの表情をしていたことだろう。

「ああ、いや、警備会社から、何らかの報告はなかった?」

 と聞くと、

「警報機がまた鳴ったんですか?」

 と、さすがに察しのいい山田のことなので、この勘の鋭さは、今に始まったことではなかったのだ。

「そういうこと」

 というと、山田は呆れたかのような雰囲気で、

「いいえ、何も言われませんでした」

 と答えた。

 さらに山田は、

「本当にどうなってるんですかね?」

 という言葉を発した山田に苛立ちを感じた。

「おいおい、俺たちは、当事者なんだぞ、他人事ではなく、もっと自分のことだという意識をもってほしいものだ」

 ということであった。

 ただ、実際に報告がなかった以上、これ以上山田を攻めるというのは、お門違い。

「厄介なやつだ」

 ということは分かっているので、

「とりあえず、しょうがないか?」

 ということを考えたのだ。

 憤りを感じながら、

「今回のことは、どうせ、これ以上なにもないんだろうな?」

 ということになるのであった。

 それを考えていると、さらに、

「もう、どうでもいいわ」

 と感じる自分がいた。

「勧善懲悪の自分」

 から考えれば、これ以上の苛立ちはないというものであった。

 そんなことを考えていると、自分のこの、

「冷めやすい」

 という性格が、自分を楽にしてくれると思っていたが、実際には、

「他人事のように考えて、結局、どうしようもない自分に導いている」

 という結論にいたるのであった。


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