第2話 趣味の時間

 山田は、会社の総務に、報告だけはしたようだが、どうも、それだけで、警備会社も、管理会社も何もしていないということであろう。

 山田の話を、森山も事後報告として、山田から聞いた。

 といっても、経過報告と、結局。

「何も分かっていない」

 ということだけが伝わっただけだった。

 森山は、山田の性格を熟知していたので。

「どうせ、そんなことだろう」

 としか思っていない。

 何事もなかったように、やり過ごす」

 これが、山田のやり方であり、就業スタイルだといってもいいだろう。

 派遣として雇う方は、それでもいいだろう。しかし、森山は、少なくとも、コンビの社員であった。

 二人しかいないが、

「コンビにおける業務監視の責任者というのは、森山だからだ」

 といえる。

 森山は、山田のように、

「無難に言われたことをこなす」

 というだけではいかなかったのだ。

 というのも、

「仕事を無難にこなす」

 というのは、

「派遣社員がやることだ」

 というわけだ。

 正社員であれば、そこから一歩踏み込み、問題点を見つけ、改善案を出して、実際に、業務に結びつけるというところまでを行わなければいけないということになるのであろう。

 だから、森山は、日勤者に自分の上司がいて、その人の指示を受ける形だが、その人が厳しい人で、なかなか、森山の業績を認めてくれない。

「これくらい仕事をしているのだから、認めてくれてもいいんじゃないか?」

 ということであったが、

 実際には、なかなか、そうもいかないようだった。

 今度は、山田が、

「この間、警報が鳴りました」

 といっていた日から、まだ2週間くらいしか経っていない時であった。

 その日は、平日で、夜勤の方を、森山が担当していた。

 平日だったので、その日は、山田は休みで、日中は、日勤者の当番から引き継がれることになっている。

 その日は、日勤者からの用事を任されていたわけではなかったので、森山には時間があったのだ。

 日勤者から引継ぎを受けて、

「このままだったら、時間が余ってしまうな」

 という時、最近の森山には、趣味があったのだ。

 それは、

「絵を描く」

 ということだった。

 パソコンで画像を探してきて。そこで、建物だったり、人物だったりの絵を描く、

 といっても、大げさなことはできないので、

「スケッチブックに、鉛筆で絵を描く」

 というくらいの趣味だったのだ。

 描いているのは、

「日本の城」

 だったり、名所旧跡など。

 さらには、

「昔の武将などの、似顔絵」

 だったりである。

 ネットに公開したりするので、著作権には、気を付けていたのだ。

 今まで、アグレッシブな性格だったので、結構いろいろなところに出かけては写真を撮っていた。

 それを見ながらの絵であったので、

「自分で撮った写真なので、著作権は、自分にある」

 写真撮影可なのだから、肖像権というのもないだろう。

 人物画にしても、昔の武将の肖像画を見て描いているので、著作権にも引っかからないだろう。

 そうやって、スケッチブックに書いてみては、SNSに上げたりしているのだった。

 それは、

「仕事中ではあるが、空いた時間の過ごし方」

 ということでは、ちょうどいいだろう。

 スケッチブックに、鉛筆でデッサンをしている。鉛筆といっても、シャーペンであるが、芯は結構濃いめの、3Bあたりを使っている。

 すると、結構鉛筆画でも、

「立体感溢れる絵になっていて、結構いいものではないか」

 と思うのだった。

 元々、前から、

「絵を描いてみたい」

 と思ってはいたのだった。

 しかし、実際に描いてみると、

「まったくもって、ひどい」

 という意識の絵でしかなかった。

 そんな絵を描いている自分が、描けるようになったのは、

「自分の中で、絵を描く理屈というものを考えてみたからだった」

 それは、

「絵を描けない理由を自分で考えてみて、そこから、どうすれば描けるようになるか?」

 ということを考えることで、

「何とか、克服しよう」

 と考えるようになったのだ。

 まず、絵を描けない理由の一つとして、

「どこから描き始めるかが分からない」

 ということであった。

 その理由に、まず、

「絵のバランス感覚が取れない」

 ということが原因だと思った。

 例えば風景画などであったら、

「水平線や、地平線をどこに持って行くか?」

 ということであった。

 風景画とすれば、

「山と平地」

 あるいは、

「海と空」

 さらには、

「湖に映った山」

 などという、独特のパフォーマンスを描こうとするならば、

「水平線と地平線」

 というものをどこに置くかということが決まってくる。

 それは、天橋立で見るような、

「股潜り」

 とでもいえばいいのか、逆さから見た時に感じる水平線や地平線の位置というのは、相当違っているという錯覚を感じることになるであろう。

 さらに、今度は、

「遠近感」

 というものが問題になってくる。

 遠近感というのは、

「立体感」

 といっておいいだろう。

 絵というのは、平面に描くものだが、

「それをいかにして、平面ではない、立体に見えるかという手法が、絵というものの、醍醐味だといってもいいだろう」

 油絵などであれば、キャンバスと絵具の角度によって浮き上がらせることもできなくもいないが、鉛筆デッサンでは、単色ということなので、その濃淡でしか、表すことはできないのではないだろうか?

 ということになるのだ。

 そんな油絵ではできないことを、鉛筆デッサンでしようというのだから、

「油絵よりも、実は結構難しいのかも知れない」

 と感じるのだった。

 ただ、会社で狭いところでやるのだから、油絵などのようなキャンパスを使うことなどできるわけもない。

 やはり、鉛筆デッサンしかないのだ。

 ただ、

「最初のどこに、鉛筆を落とすか?」

 ということは、ある意味考えすぎだった。

 というのも、意識さえしなければ、いつも落とす場所は同じだからである。

「気にするから意識することで、先に進まないだけだ」

 ということになると、意識せずに、その通りに描いていくと、意外と簡単に描けるものだったのだ。

 そして、今まで描けなかった一番の理由が、

「人物画ばかりを書いていたからではないか?」

 と思った。

 そこで、最初は、

「建物にしよう」

 と思ったのだ。

 しかも思い立ったのが、

「難易度が最高に高い」

 と思われる、

「日本の城郭」

 だったのだ。

 天守と呼ばれる城であり、日本建築の粋を生かした、

「芸術中の芸術」

 といってもいいものである。

 ただ、一つ思ったのは、

「城のような難しいものを描いてみて、うまく行かないだろうから、どこがうまく行かないのかという理由が分かるのではないか?」

 と感じたのだ。

 そこで、最初に、

「日本の代表的な城はどこだろう?」

 と考えた。

 普通であれば、思い浮かぶのは、大きく分けて二つであろう。

 一つが、

「姫路城」

 であり、もう一つが、

「大坂城」

 だと感じた。

 姫路城は、正直、城の中でも難しい部類である。

 いわゆる、

「連立天守:

 と呼ばれるもので、それらを漏れなく描こうとすると、結構大変なことになってしまうことだろう

 しかし、

「大坂城」

 であれば、連立でもないし、天守のバランスから言っても、姫路城と比較しても、

「ダントツで、描けるような気がする」

 と感じたのだ。

 実際に、バランスを見ていると、かなりキレイだし、破風と呼ばれる屋根のバランスもよかったのだ。

 特に正面から見たところだけではなく、横から見ても恰好いい。

「見れば見るほど、大坂城の魅力に魅了される」

 といってもいいだろう。

 大坂城というのは、ただ大きいだけではなく、都心部にあるということからも、まわりからの景色や、まわりを含めた景色、それぞれに、格好の良さが漲っているのであった。

 昔行った大坂城の壮大さを思い出してみると、

「今まで見た城の中でもダントツだな」

 と思うのだった。

「何と言っても、天下人の城」

 さらに、今も大都市になっている

「大阪の街に聳えている偉大な城」

 というイメージが強い。

 姫路城も、

「劣ることのない偉大さを誇っている」

 とは思うが、あくまでも、個人的感想という意味では、

「姫路城よりも、大坂城」

 という雰囲気だ。

 もっとも、子供の頃に見た怪獣モノの映画で、怪獣が、

「大坂城を叩き壊す」

 というシーンがあって、格好よかったのだ。

 姫路城はそうもいかない。実際に、建った時からずっと、壊れることなく、空襲にも燃えずに、数少ない、

「現存天守」

 なのだから、いくら映画でフィクションだとはいえ。

「姫路城を叩き潰す」

 などというのは、許されることではないということになるに違いない。

 戦時中など、

「爆弾は落ちたのだが、不発弾だった」

 ということで、ただでさえ、

「奇跡の城」

 と呼ばれているのだ。

 今や、国宝であり、世界遺産ともなっている城だ。

「いくら映画でも許されることと、許されないことがある」

 というものである。

 そんな意識で、大坂城を描いてみると、自分で想像していたよりも、結構うまく描けた気がしたのだ。

 そのおかげで。事務所では、昔の写真を持っていき、それを元に描いてみたのだ。

 お城に関しては、学生時代に、結構好きだったので、よく見に入ったりしたものだ。

 友達も結構、城が好きなやつがいて、近くは結構何度もいってみたりしたが、遠いところでも、夏休みなどは、アルバイトで稼いだ金を、

「城廻りの費用」

 として貯めておいて、友達と一緒に行ったものだ。

 城廻りの一環として、温泉旅行も兼ねることで、自分としては。

「充実した旅行だった」

 といえるだろう。

 その頃は、

「絵が苦手だった」

 ということで、写真を撮りまくった。

 といっても、写真自体もそんなに好きではない。自分が写ったり、普通の風景などには、写真として撮ることに、一切の興味もなかったのだ。

 しかし、城だけは違った。その建築形式に、興味を持ったから、余計に、

「画像に残したい」

 と思うようになったのだった。

 お城を写真に撮っていると、

「角度によって、写りの違いが、まったく違うということが分かってきた」

 それが実に、格好よく見えるのだ。

 それまで、

「写真が嫌いだ」

 と思ったにもかかわらず、途中から、

「城の写真に限っていえば、その限りではない」

 と思うようになっていた。

 その時は、よく、旅行先で知り合った女の子と仲良く鳴ったりしたものだった・

 というのも、

 大学生になると、

「彼女がほしい」

 という気持ちが大きかった。

 しかし、好きな女の子と仲良くなれるわけではなく、クラスメイトの女の子に声を掛けるのも苦手だった。

 男子の友達をたくさん作ったところに持ってきて、好きな女の子ができてしまったとして、

「その友達と、一人の女の子を奪い合うなどというのは、実に嫌なことだった」

 好きな女の子を、友達と奪い合うこと自体が嫌だというよりも。

「俺は、どうしても、譲っちゃうところがあるんだよな」

 と考えるところであった。

 しかし、それは、

「友達に悪い」

 というところからではない。

「好きな女の子であれば、相手が友達だとしても、強引に奪いたい」

 と考えるのは当たり前のことである。

 それは、森山としても、同じことであり、そのことを友達にいうと、

「だったら、自分で奪い取ればいいじゃんか。相手だって、その気で向かってくるんだろう?」

 と言われる。

「それはそうなんだが、確かにその通りではあるのだが、俺にはできないんだ」

 という。

「そんなに、友達に遠慮するというのか?」

 と言われると、

「そういうわけではないんだが」

 と、煮え切らない様子でいうと、

「何だよ一体。友達だって、そんな奴を相手にしたいとは思わないよ」

 というではないか。

「そうだと思うんだけど、遠慮というわけではない、むしろ、自分は、最初から、そいつにはかなわないと思うところがあって、そう思うと、自分から、身を引くという風に思うんだよ」

 というではないか。

「だとしたら、お前は、諦めるのか?」

 と聞かれると、

「うん、諦めちゃうかも知れないな」

 と言った。

「ということは、お前は、その友達には、彼女以外のことでも、絶対に敵わないと思うということか?」

 と聞かれると、

「そうではないんだ。だけど、その友達に適う何かが、自分に分からないということになると、何もないと思い込んでしまい、何もない自分が、ハッキリと自分よりも優れているということが見えるその人に敵わないと、思い込むんだよな」

 というのであった。

「それって、逃げてるだけじゃないのか?」

 と聞かれたが、自分でも、心境がどういうことなのか分からない。

「そうなのかも知れないな。確かに逃げていると言われればそれまでだし」

 というと。友達は、業を煮やして、

「そんな中途半端だと、友達が皆離れていくぞ。俺だって、いつまでお前のそばにいるとは限らない」

 というと、

「逃げるというのは、言い方は悪かったが、最初から逃げている素振りを、女の子に見せると、女の子は、お前から離れていくぞ」

 と言われたので、森山は、ハッとした。

 それを見た友達は、少しため息を吐きながら、

「ああ、そういうことか」

 というではないか。

「どういうことなんだ?」

 と、森山は、少し身構えたのだ。

 何を言われるか、想像がついたということである。

 その言葉は、

「同情を誘おうということなのか?」

 というのであった。

 森山はそれを聞いて、指が痺れた気がした。

「見透かされていたんだ」

 という思いが、溢れてきた。

 汗が額から滲んできて、

「こんなにも簡単に見透かされていただなんて」

 という思いであり、

「お前、まさか、そんな逃げの態度を取ることで、女の子が同情して、自分の方に来てくれるんじゃないか? なんて思うわけないよな」

 と言われ、またしても、額から流れる汗を拭くわけにもいかなかった。

 額の汗を拭くということは、

「お前の意見は正しい」

 と認めたことになるのであった。

 確かに意見というものを考えると、

「お前が同情を買おうとしている」

 ということを、自分から認める。

 ということになってしまうのだろうが、それよりも、何が怖いといって、

「自分の意見を見透かすやつが、自分の近くにいるということが、分かったということであった」

 そんなことを考えると、自分にとって何が怖いのかというと、

「自分の気持ちを見透かされている」

 ということであって。そうなると、

「迂闊に人に相談を持ち掛けられない」

 と考えることだった。

 そんな状態になると、

「人に見透かされないようにするには、どうすればいいか?」

 と考えても、

「結局、その結論は、出ることなどない」

 という結論にいたるのだった。

 それが、一番、女の子から、

「逃げているんじゃないか?」

 と思われることだった。

 森山は、

「自分の耳が悪いのではないか?」

 と感じることがあった。

 その音を聞いて、

「以前は聞こえていたはずなのにな」

 という思いがあり、その音が自分の意識の中で、薄れていくのを感じた時、ちょうど、知り合いから、面白い話を聞かされたのだ。

 その話というのは、

「モスキート音」

 というもので、その音を踏む形で、

「モスキートーン」

 ともいわれているようだ。

 そもそも、この、

「モスキート」

 というものは、

「蚊の鳴く音」

 という意味で、超高周波と呼ばれる、

「苦痛を伴う音」

 ということであり、その特徴というのは、

「若者には聞こえるが、ある一定の年齢から上は聞こえない」

 というものだったりするらしい。

 それらの特徴を生かして、製品も開発され、用途もそれぞれにあるようだ。

 例えば、

「害虫駆除、変な虫が寄ってこないようにする」

 という時に使ったり、

「公園やコンビニなどの近くで、たむろしている面倒臭い若者たちを駆除する、寄ってこないようにするために使用する」

 などという方法が使われたりするのである。

 だから、最近、森山が、

「今まで聞こえていたはずなのに」

 と感じている音は、ひょっとすると、それは、

「モスキート音」

 などではないか?

 と考えるのであった。

 ただ、今までもそんなに、

「耳について離れない」

 というほどの、不快な音を聞いたという意識もなく、ましてや、苦痛を伴うものもなかった。

 ということは、考えられるとすれば、

「年を取ってきたのかな?」

 という意識であった。

 確かに、最近は、少し年齢的に、老けてきたという意識があった。

 といっても、

「老け込むには、まだ早い」

 といってもいいのではないだろうか?

 森山は年齢的には、40代後半くらいであり、中年から少し、初老に近いくらいといってもいいだろう。

 モスキート音がm

「いくつから?」

 というのはあまりハッキリは知らないが、

「これくらいの年齢であれば、あっても不思議はないのではないだろうか?」

 と感じるのだった。

 森山は、元々がプログラマーであった。

 若い頃、入社当時は、

「システム関係の仕事をするなど、思ってもみなかった」

 という感じだった。

 大学では、法学部に所属していて、地元企業に就職できたので、

「このまま営業の仕事をすることになるんだろうな?」

 と漠然と感じていた。

 若い頃は、

「とにかく、まわりに流される」

 というタイプであり、ある意味、山田よりも、いい加減なところがある人間だったのだ。

 当時は、バブルが弾けたりして、いろいろ大変な時代であったが、正直、

「俺に営業なんかできるんだろうか?」

 という思いが強かった。

 しかし、

「法学部を出ているなら、大体は営業職だろうな」

 ということを言われていた。

 最初は、

「営業でもいいか?」

 と思っていたが、先輩などにいろいろ聞いてみると、

「営業という職種は、理不尽なことが多い」

 ということであった。

 というのも、

「まったく、こっちの都合を相手のバイヤーは聞いてくれないし、どうかすれば、営業の品定めで、取引をするかしないかを決める輩もいるので、徹底的に、奴隷になるくらいの気持ちがないと、やっていけない」

 ということであった。

 もっとも、今の時代のように、コンプライアンスに厳しい時代であれば、

「取引先の営業を顎で使う」

 などというのは、

「何とかハラスメントに引っかかる」

 ということで、社会問題になるレベルであろう。

 そんなことを考えていると、

「俺は、営業には向かないよな」

 と思っているところ、バブルが弾けた問題で、

「子会社の倒産」

 あるいは、

「取引先の吸収合併」

 などという問題で、

「営業への研修」

 などというものができなくなり、それよりも、

「会社側の、駒」

 として使われることが多くなったのだ。

 だから、入社して、2年くらいは、

「鳴かず飛ばず」

 であった。

 最初から、

「営業になる」

 ということで、支店勤務から、そのまま営業ということだったのに、その間は、まるで、

「便利屋」

 とでもいうような使われ方をしていたので、それこそ、

「鳴かず飛ばず」

 という状況であった。

 そんな状態なので、

「下手をすれば、リストラかな?」

 と思うようになっていた。

 それまで聞いたことのなかった、

「リストラ」

 という言葉が出てきて、

「バブルが弾けた時の、代表的な言葉」

 ということで言われているが、元々、この

「リストラ」

 という言葉、

「人員整理」

 というネガティブな言葉ではなかったのだ。

「業務改善」

 などということで、

「効率のいい仕事のやり方」

 などということを模索するという、もっとポジティブな言葉だったはずなのだ。

 しかし、

「業務改善」

 という言葉の中には、まるで、

「断捨離」

 という意味合いの言葉もあったのだろう。

 そういう意味での、

「人員削減」

 というのは、十分にありで、それは、

「経費節減」

 というものを、直接の目的とするものではなく、

「やる気のない人間を整理」

 などということをしたり、

「適材適所」

 ということで、部署替えということもあるだろう。

 特に、大会社などでは、

「優秀な社員を海外勤務させ、それが、

「エリートコースの道だ」

 ということを言っている企業もいる。

「2、3年、海外で頑張ってきて、もどってくればそこから先は、エリートコースだ」

 という社員だっているのだ。

 もちろん、大企業における、ごく一部の人間なのだろうが、そういう人が将来。大企業の経営陣に参加し、会社の取締役などに就任するのだろう。

 そんなことを考えていると、森山という人間は、

「時代が悪かった」

 といってもいいかも知れないが、出世コースからは、完全に外れていた。

 確かに、

「時代が悪い」

 といっても、会社にとって、本当に必要だと思われている人材は、

「最初から英才教育」

 ということで、支店での研修ではなく、本部で、

「帝王学」

 のようなものを学んでいて、入社後、5年もすれば、その差は歴然となっていることだろう。

 実際に、相手は、本部で帝王学を学んでいた。

 そこには、バブルが弾けようが関係なく、世間や会社がこれだけ大混乱している状態でも、

「お前は気にすることはない」

 といって、相変わらずの、

「英才教育:

 を受けていたのだ。

 森山は、そんな状態の同期がいるということは知っていたが、当時は自分のことで精一杯、人のことを気にする時間も、余裕もなかった。

 それだけに、

「大丈夫さ」

 と自分に言い聞かせていたが、そういうのも、感覚がマヒしているような気がしていたのだ。

「このままいけば、お役御免の時期が来るんだろうな」

 と森山は感じていた。

 だが、

「捨てる神あれば、拾う神あり」

 というところであろうか?

 急に、部署替えの話が舞い降りてきたのだ。

 支店長から、いきなり呼び出しがかかった。

「えっ? まさかもうクビなのか?」

 とビックリして、

「もし、このままクビなら、俺は何のためにこの会社に入社したんだ?」

 ということであった。

「確かに最初は、研修期間が、半年として、その間に、独り立ちできるだけのスキルを身に着ける」

 ということであったが、最初の2カ月ほどは、確かに研修らしき感じだったが、取引先の一社が倒産したことで、事態は一転してしまった。

「会社が一つ義父さんしただけで、ここまで大きな影響があるなんて」

 と正直ビックリさせられた。

 それまで研修をしていたはずなのに、いつの間にか、便利屋だった。

 倉庫で品出しをすることもあれば、トラックでの配達もある。

 事務所が混乱していれば、

「伝票入力」

 であったり、下手をすれば、コールセンターでの、苦情係を担うことにもなったりしたのだ。

 そんな状態が、1年以上続いた。

 完全に、皆、森山が営業見習いだったことを忘れているかのようだった。

 いや、忘れていないのかも知れないが、とにかく、それどころではない。

 目の前のことを裁かなければ、何もできないという状態だ。

 一つ一つ裁いていっても、残るものは残る。

 その感覚は、

「借金があって、いくら返しても、利子分にしかならず、借金が完済するどころか、元本がずっと、そのまま残っているということで。下手をすれば、まだまだ増えていく」

 という可能性もあるということで、そんな状態が、どうしようもなくなっているという状態だったりするのだ。

 支店長から、

「本部への転勤だ」

 と言われた。

「本部?」

 正直言って、

「本部はない」

 と思っていた。

 そもそも、営業として支店に配属された時、

「各営業所で成果を上げて、本部には、エリート営業マンとして、凱旋する」

 というくらいに考えていたのだった。

 しかし、支店長が、

「本部」

 という言葉をいうのは、設定としては、約10年早かった。

 少なくとも、支店を、

「2、3くらい経験して」

 ということだったので、ビックリしている。

 しかも、営業らしい仕事は何もしていないのだ。

「一体、俺に何をさせるというのだ?」

 と感じたので、まず聞いたのが、

「本部のどの部署なんですか?」

 と聞くと、

「情報システム部だ」

 というではないか。

「なるほど、支店長が、転勤と言わずに、部署替えと言ったのは、そういうことか?」

 ということであった。

 同じ営業であれば、

「部署変え」

 という言葉ではない。

 だから、意識的にか無意識にか、その瞬間の頭の中を思い出すのは困難であるが、最初から分かっていて聞いたような気がしてならないのだ。

「その部署って、具体的に何をするところなんですか?」

 と支店長に聞くと、

「さあ、詳しくは知らないが、辞令は出ているんだから、従うしかないだろう」

 という。

「そんなことは分かり切っている」

 と思った森山だが、そうやって、あからさまに言われると、

「この人、面相臭そうに話しているだけではないか?」

 と感じると、

「こんな人が支店長だったなんて」

 と思うと悲しくなってきた。

 確かに、今は会社も大変な時で、いちいち一人一人をかまっているわけにはいかない。

 というのは、分かり切っていることだった。

 それでも、支店長の言い方は、そっけないものでしかなく、

「いちいち、面倒臭いことを聞くな」

 とでも言いたげであった。

 そんな相手に、いろいろ聞いても、

「どうせわかるわけはない」

 ということで、

「そんな面倒だと分かり切った時間を過ごすというのは、ムダでしかない」

 ということが分かっているので、それ以上聞くことはなかった。

 とにかく、

「本部へ転勤」

 ということはハッキリしていて、

「断ればクビ」

 というのも、間違いのないことだった。

 とにかく、言われた通りのするのがサラリーマン、

「ある意味、心機一転と考えるのもいいかも知れない」

 と思ったのだった。

 本部への転勤といっても、住まいが変わるわけではなく。家から通えるところであった。

 これまでの自家用車通勤から、今度は都心部への通勤となるので、電車通勤となり、スーツにネクタイといういで立ちでの出勤となった。

 電車は、相変わらずの満員電車。学生の頃までは、

「就職したら、こういう通勤になるんだろうな」

 と思っていたことを思い出した。

 最初は、憧れのようなものがあったくせに、今は、複雑な気持ちだ。

「何をさせられるのか分からない」

 あるいは、

「こんな中途半端な年数で、本部に行くなんて」

 という思いからだった。

 もし、本部勤務ということになるのであれば、入社すぐから、本部でいいと思ったからだ。

 そんな状態において、さっそく本部に顔を出すと、一つのフロアに、営業部から、総務部と、ひしめいているところであった。

「管理部は、別のフロアにある」

 ということは、事前に聞いていたので、分かっていた。

 ただ、最初は、当然のことながら、総務部に顔を出すということは言われていたので、総務部を訪ねてみた。

 行ってみると、そこに、女子社員がいて。

「森山さんですね? お疲れ様です」

 と明らかに待ってくれていた雰囲気だった。

「今から、情報システム部へご案内しますね」

 ということであり、彼女が連れて行ってくれた。

「あの、情報システムって何をするところなんですか?」

 と聞いてみたが、

「さあ、私にはハッキリとは分からないですね」

 という。

「知ってはいるが、変な先入観をあたえてはいけない」

 ということなのか、それとも、

「まったく知らないので、向こうで聞いてほしい」

 という額面通りの話なのかということであった。

 どちらにしても、それ以上聞くわけにもいかず、森山の方としても、

「とりあえず聞いてみた」

 というだけのことだったので、それ以上、何かがあるというわけではなかったのだ。

 そんなことを考えていると、すぐに、情報システムという名前の書かれた部署の前にやってきた。

 彼女は、扉をノックする。

「どうぞ」

 と中から返事がするので、彼女は先に入り、頭を下げると、

「寺崎です。森山さんをお連れしました」

 と言った。

 どうやら彼女は、寺崎さんというらしい。


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