第2話 大嫌いな人

 舞台は東京、下町。

 夏本番を迎えた、雲一つ無い青空の下。日差しがジリジリと照り付ける、日曜日の昼下がり。

「ねぇ、菜奈。メイク崩れてない?」

 三上奈央が、うんざりしたように顔を歪めながら携帯扇風機で涼み始める。そんな姉に、菜奈は呆れ顔を返した。

「またか。さっき直したばっかじゃん」

「こんな酷暑で汗かき放題なんだから、崩れてるかもしれないじゃない」

 やや丸顔ながら端整な顔。綺麗なさらさらセミロングヘアに、長身を活かした、カジュアルなミニデニムスカート姿の奈央は、現在大学在学中。街を歩けば、モデルではないかと声を掛けられるほど容姿に恵まれている。

 もともと、美に対する意識が高い奈央に比べ、妹の菜奈は父親の影響で、幼い頃から剣道一筋。今時の女子高生らしくない思考を持ち、姉同様、ジーンズルックを着こなしている。

 少し癖のあるボブヘアが可愛らしい顔立ち。奥二重の目も、時折見せるさくらんぼのような唇も。奈央の萌え声に対して、ハスキーな低音声が大人っぽさを感じさせる。

 ほとんどの友達がメイクやら、彼氏やらで盛り上がる中、「高校生がメイクだぁ?! カレカノだぁ? アホか!」と、いうスポーツバカで、周りからは『イケメン女子』と、呼ばれている。

 父親が、天然理心流てんねんりしんりゅう師範代しはんだいであることもあり、物心ついた頃から毎日稽古に励んできた。そんな彼女の高校生活三年間の目標は、全国高校総体剣道大会で優勝することである。

 天然理心流とは、江戸時代後期の剣客近藤内蔵之助が創始した流派で、古武道としては比較的新しい。戦乱の世を駆け抜けた剣客集団で有名な、新選組の局長を務めたとされている近藤勇は、四代目を襲名している。剣術だけではなく、居合、柔術なども含まれており、実践に向いた流派であると伝えられている。

 菜奈の将来の夢は、天然理心流師範代である父、文隆ふみたかのような剣士になること。そんな妹に対して、姉である奈央は、世界を股に掛ける通訳。と、いう。姉妹なのに、こんなにも思考が違うのは珍しい。いや、だからこそ上手くいっているのかもしれない。

 つい先程までは、二人で買い物してランチして帰宅。という予定だったのだが、急遽、最近お付き合いを始めたという奈央の彼氏から、お誘いの電話を貰い、二人して家に招かれることになったのだった。


 *

 

「こ、ここ? ほんとにここなの?!」

 たどり着いた目的地である家前──。菜奈が、ドア前で少し不安げに呟いた。何故なら、かなり立派な庭付き一軒家を目前にしていたからだ。

「ここでいい、はず。しっかし、戸建てだってことは聞いてたけど、ここまでとは……」

 奈央が緊張しながら呼鈴ベルを鳴らす。中から誰かの気配を感じると同時にドアが開いた。

「いらっしゃい。待ってたよ」

 開口一番。奈央の彼氏であろう温和そうな男性が、笑顔で二人を迎え入れる。

 な、なんじゃあぁぁ。この国宝級イケメンは!

 菜奈が呆気に取られるのも無理はない。この人気アイドル並みなイケメンが、奈央の彼氏、牧野祐輔まきの ゆうすけ。奈央より二つ年上で、同じ大学に在学中。奈央と同じく、通訳を目指している。

 茶髪ミディアムルーズヘアに、大人カジュアルとでもいうか、高そうな深緑色のカプリシャツと、ジーンズの組み合わせがオシャレで、可愛らしい奥二重、すっと伸びた鼻筋、整った眉毛。そこに甘い声が加わって、まるで少女漫画の世界からそのまま飛び出て来たかのよう。

 祐輔からすぐに促された二人は、ゆっくりと靴を脱ぎ始める。と、リビングの方から聞こえてくる声に、菜奈はぎくりとして顔を上げた。

 この威圧感が半端ない低音ボイスは──。思った通り、リビングから顔を出したのは、同じ高校に通う星南奏人ほしなかなとであった。

「えー、なんで星南がここにいるの?」

「三上の方こそ。つーか、祐くんの彼女って三上の姉貴だったのかよ」

 菜奈とは、中学の頃からの付き合いである奏人もまた、父方の祖父の影響により、八歳の頃から剣道一筋。一年生ながら、その素質と技術を認められている。

 こちらは、長身で黒Tシャツに迷彩柄カーゴパンツというラフなスタイル。大人っぽい切れ長の眼に、ほどよい胸筋。色黒で、黒髪ショートヘアが男らしさを際立たせている。こう見えて文武両道であり、祐輔が癒し系ほのぼの男子なら、奏人はワイルド系ガサツ男子といったところだろうか。

 そんな彼らの出会いは、中学一年の春。一回も同じクラスになることは無かったが、お互いの家も近く、同じ剣道部に所属していたこともあってか、何かと顔を合わせることが多かった二人。ケンカするほど仲が良い。周りからはそんなふうにからかわれているが、当の本人たちはこんなにも気が合わない人は他にいない。と、お互いに思っている。

「あれ、二人とも知り合い?」

 苦笑気味の祐輔に、菜奈は簡潔に奏人との関係を説明する。と、彼はすぐに、ぱぁーっと顔を綻ばせた。

「そうだったんだ。ま、とりあえずここじゃなんだから、上がって」

 祐輔に誘われるままに、リビングへと向かう。玄関も、とても広くて綺麗だったが、アメリカ映画などでよく見かけるダイニングリビングも想像以上に広く、白い七人がけソファーやら、長方形のガラステーブルやら。絨毯やカーテンに至るまで、その全てが高級品に見える。

 そして、ソファーに寛ぐ菜奈たちの前には、祐輔が淹れた美味しそうな紅茶と、これまた高級そうなクッキーがテーブルを彩り始める。

「良かったら、クッキーも食べてね」

「い、頂きます……」

 菜奈は、にっこりと微笑む祐輔に軽くお辞儀をして、まずは紅茶を頂くことにした。一口飲んだ途端、口の中にベルガモットのフルーティーな甘みが広がっていく。

「うわ、すごく美味しいです!」

 菜奈が笑顔で素直な感想を口にする。と、祐輔は更に嬉しそうに瞳を細めた。

「良かった。それはそうと、同級生ってことは、奏人とは付き合い長いのかな?」

 再度、祐輔から尋ねられ、菜奈はずっとスマホをいじったままの奏人を見ながら、溜息交じりに答える。

「はい。残念ながら……」

 そんな菜奈の呟きに、奏人も反撃するかのように口を挟む。

「それはこっちのセリフだ」

 まったく、ほんと可愛くないやつ……。そう、心の中で呟いたのはこれで何度目だろうか。菜奈は、実は奏人を天敵だと思っている。分かりやすく言うと、犬猿の仲とでもいうべきか。

 もろに顔に出しながらも、奏人に気づかれないように舌を出した。まるで、彼女の言動を把握しているかのように、奏人もクールに言い返す。

「ったく、ガキが」 

「星南に言われたくない! で、なんであんたがここにいるわけ?」

「牧野家とは、ガキの頃からの付き合いなの。今日は、たまたま借りてたゲームを返しに来ただけ」

「ふーん。そうだったんだ……」

 ぬぅぅ。タイミング悪し。


 その後、菜奈たちは祐輔から夕飯に誘われることとなった。

 奈央が即答するのを横目に、菜奈は苦笑しながらも付き合うことにした。が、奏人まで一緒というのは耐えがたいものがある。人に寄り添えない無神経な男子が嫌い。と、いうほうが正しいか。

 中学二年の秋だった。

 今は、別の高校へ進学してしまったのだけれど、その当時仲の良かった友達が奏人に片想いしていたことがあった。

 菜奈からすれば、どうして星南なの? と、疑問ばかりであったが、それでも、どうにかして二人の仲を取り持とうと奮闘し、なんとかその友達に奏人と二人だけの時間を作ってあげることが出来た。けれど、戻って来た彼女から聞いた言葉は、「いろいろありがとう。でも、もう諦める」の一言だった。

 好きな人がいる。と、言われたら、諦めるほかない。菜奈からすれば、こんないい子を振るなんて有り得ない。しかも、振り方が不真面目過ぎる。と、個人的な感情ではあるが、その日から奏人のことを本格的に嫌いになったことは言うまでもない。

「あ、ドレッシング買い忘れてた。他にも作りたいものがあるから、ちょっと買い出ししてくるよ。奈央も一緒に来てくれる?」

「はいはーい! どこでも行きますよー」

 キッチンで、仲睦まじく料理を作ろうとしていた祐輔と奈央は、菜奈たちに隣町のスーパーへ行くと言い残し、足早にリビングを後にした。

「え、ちょっ……。私も行く!」

 このまま、星南と二人きりなんて冗談じゃない。そんな思いから、菜奈も一緒についていこうとする。が、当然のごとく奈央からジト目で制されてしまう。

「あんた、マジで一緒に来る気?」

「うっ……」

 いつもよりも強く気圧され、菜奈は仕方なくついて行くことを諦めた。

「わ、分かったわよ……」

「すぐ帰って来るから。星南くんと待っててねん」

 うちの姉、見ての通りめちゃめちゃはしゃぎまくりである。それに良く考えたら、一緒に着いていくのは野暮というもの。そう思いながら、菜奈は深く溜息をついた。気を利かせられないわけじゃなかったけれど、出来れば奏人と同じ空間にいたくなかったのだ。

 もう、帰っちゃおうかな……家に……。




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