第3話 スパイシーなディッシュ

 俺は今、友人宅へ招待されている。ただの友人ではない。俺の友人、のまた友人の家だ。そして、招き入れられた部屋には、初めて顔を合わせた女子が気まずそうにチラチラと俺の様子を伺っている。俺も初めての人と話すのは苦手で、いろいろな話題が頭の中を飛び交って声を出そうにも喉がつまっている。

 どうしてあいつは、トイレに行ってしまうんだ。くそっ。

 この気まずい空気の中、最初に口を開いたのは彼女の方だった。


「あの・・・・・・トリトン王は元気にしてますか?」


「は?」


 なぜ、なぜ急に超人気アニメ映画のマーメイドの父親の名前が出てくるんだ。

 というか俺は、海の生き物じゃねえ! セバスチャンとでも言いたいのか?

 待て、このツッコミを初対面にするには早すぎる。喉から出そうになったものを深呼吸をして腹の中におさめる。


「ごめんなさい。会話のきっかけになればと思って、変なこと言ってみたんですけど」


 彼女なりに気をつかってくれたみたいだ。


「こちらこそ、ごめん。初対面の人と、ましてやその人の家で二人きりの時間が出来るとは思っていなかったから、何を話すべきか分からなくて」


「そうですよね。あ、私のことはサリーって呼んでください。みんなからそう呼ばれているので」


「あ、自己紹介がまだだったっけ。俺はヨウジ、よろしくね。サリーちゃん」


「ヨウジさんですね。よろしくお願いします」


 話し始めたら普通の子なんだな。紫ツインにゴスロリ衣装だから、てっきり不思議ちゃんだと思っていた。


「お待たせした! いやはや二人とも、仲良くなったかな?」


 今回の元凶のお帰りだ。台風の目のような存在、勢い任せのポジティブ女子、ショートカットで服装がボーイッシュだし『マコト』という名前だから男かと思っていたけど、全く違っていた。

 正直、関わるのは面倒なのだが、飽きがないのが唯一のメリットか。


「たった今、会話が出来たところだ。なんで俺までサリーちゃんの家に呼んだんだよ」


「ほお、もう"ちゃん"呼びなのね。良きかな良きかな」


 こいつは、余計に揚げ足を取る。


「で、どうして俺がここにいる」


「サリーちゃん、用意して」


「ただちに」


 フリフリとスカートを揺らし、サリーちゃんは部屋を出ていく。そのあとを追うように、俺はマコトに連れられてリビングへと向かった。ここにかけてと強制的に椅子に座らされ、窓から見える景色をボーッと眺めて、何をされるんだろうとヒヤヒヤしていた。

 サリーは、キッチンに立っていた。何やら大きな鍋をオタマで掻き回しているようだが、その姿はまるで危険な調合を楽しげにしている魔女のようだ。

 マコトもサリーの手伝いでいないし、俺はただ一人、テーブルに置かれたスプーンとじっと二人を待っていた。


 二十分くらい経ったころか、「お待たせ」とマコトが手に大皿を持って戻ってきた。大皿は、目の前に鈍い音を立てて置かれた。

 これは、カレーライス? 敷き詰められた白米の上に、すでにカレーがかけられている。

 スパイシーな香りと炊きたてご飯の甘い香りが、食欲を噴水のように湧き上がらせる。今日は確かに、マコトから昼食をご馳走すると言われて、俺はそれに釣られてここまでやってきてしまった。


 だが、失礼ながらカレーライスか、と思ってしまった。なにを隠そう、俺は昨日にカレーライスを食べたばかりだ。

 しかも、こだわって作ってしまった。ルーに醤油を入れコクを出し、人参をすりおろしてトロミも加えた。俺の中で最高のひと皿だった。

 それを越えられるとは思えない。


「さあ、食べてみてよ。サリーちゃんが作った、とっておきのカレーライス。めちゃくちゃ美味いからさ」


 と意気込んで自信満々に言った割には、小声で「たぶん」ともらしていた。恐怖、これがよぎったのは気のせいなのか。いや違う。このカレーにごろっと置かれた、謎の塊のせいだろう。カレーを纏いし、聖なる汚物とでもいうのか。


「これは、一体なんだ」


 指をさして問う。


「それはね・・・・・・ヒ・ミ・ツ」


「ぜひ、食べてください。丹精を込めて作ったカレーライスです。ちょっと作り過ぎてしまって・・・・・・」


「そう、サリーちゃんがカレーライスを作り過ぎちゃったから、いっぱい食べてくれそうな人を探していたんだけど、パッと最初に思い出したのがヨウジで​─────」


 くそっ、友達選びのハズレを引いてしまった。


「わかった。食べる、食べるから、飲み物を用意してくれ。出来るだけ濃い味のやつ」


 はい、と用意されたのは、コーラだった。


「ゼロカロリーは好きじゃないって言ってたから、普通のにしたよ」


「ありがとう。・・・・・・それじゃあ、いただきます!」


 幸いにも福神漬けが添えられている。これで不味かったとしても、味は消せそうだ。

 スプーンの先を茶色く濁った沼地に浸し、そのままふっくらとした白米と共にすくい上げる。嗅覚を刺激するのは、スパイシーなカレーの香り。カレーは、なんでも誤魔化せる。たとえ不味いものがあったとしても。

 勇気を振り絞って、その一口を入れた。


「ん!?」


「どう? どう!?」


「どうですか? どうなんですか!?」


 この口いっぱいに広がる風味はなんだ。フルーティな味わいかと思いきや、カレーの辛さがじわじわとやってくる。ごろっとしていたのは肉か。柔らかいが歯ごたえもあって美味い。

 待て待て、これはチーズか!?

 チーズの酸味というか、甘みというか、それがカレーの辛味を中和してやがる。

 なるほど、白米とカレーの間に用意されていたのか。予想外、まさかそんな美味しいトラップが仕掛けられていたとは、サリーちゃん、中々やるな。

 上手く表現は出来ないが。


「このカレーライス、めちゃくちゃ美味いな!」


 最高の感想もらえた二人は、ハイタッチをして喜んだ。サリーちゃんもマコトも大満足のようだ。


「これ、どうやって作ったんだ? 普通に調味料を入れただけじゃ、こんなに美味しく作れないだろ。家でも実践してみたい。ぜひ、教えてくれないかサリーちゃん」


「ヒ・ミ・ツ・です!」


「サリーちゃんはね。神保町に行った時に食べたカレーが忘れられなくて、どうにか近づけようと頑張ったんだよ。このカレーライスは、サリーちゃんの努力の結晶なのだよ!」


「そうですよ。だからそんな易々と、このカレーライスのレシピを教えるわけにはいきません!」


「まあ、そうか・・・・・・。そうだよな。悪い、すまなかった。代わりに、そのお店を教えてくれないか? あと、おかわり」


 結局、おかわりを二杯いただいて、腹の虫を黙らせた俺は、その日の夕飯を食わずして寝た。後日、サリーちゃんに教えてもらったカレーの店に行くと、狭い廊下にはスパイシーな一杯を求めて待つ人と、それをいただき満足気に帰る人が大勢見えた。

 俺は、その店のおすすめであるビーフカレーと苦味のない皮付きのふかし芋を、感動しながら皿の隅から隅までを綺麗に食べきった。


 サリーちゃんのカレーライスよりも、フルーティでスパイシー、チーズでまたまろやかに、さらに肉も柔らかく口の中で溶けていく。超越したカレーとはこれのことかもしれない。

 このカレーライスは、家では作れない。

 俺は、大満足で後日、もう一度足を運んだ。

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幸福ディッシュ 紫花 陽 @Jack_night

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