魔法の国の役立たず姫はぬいぐるみ殿下に溺愛される

五条葵

前編

「テレーゼ! 混ぜる速度が落ちてるわよ。一定の速度で混ぜないと中身が分離するって何回言えばわかるの!」

「ご、ごめんなさい! 姉さま」


 1つ違いの姉であるルイーゼの怒号にテレーゼはギュッと杓子を握りしめた。


 ここはヴァルネット王国の王城の地下。そこでこの国の第2王女、テレーゼは玉のような汗をかきながら大鍋で煮込まれた緑色の液体を、小一時間かき回し続けていた。


 ほとんどの人が魔力を持っているこの国では、魔力の多い人は尊敬の的となる。特別な魔法を使えるとなお良い。

 例えば、第1王女ルイーゼの場合は癒やしの力。彼女の作った魔法薬は非常によく効く、と城の騎士や魔術師達から評判だった。


「よし、テレーゼ良いわよ。ーーふふふ、ここからが本番ね。癒やしの力を!」


 ルイーゼが鍋に手をかざすと、キラキラとした光が降り注ぐ。鍋の中身が同じように光りだしたのを見届けたルイーゼはパンパン、と手を軽く叩いた。


「はぁあ、疲れちゃった。さて……と後は冷まして瓶詰めして倉庫に運べば完成ね。後は頼んだわよ、テレーゼ。それと冷ましている間に次の分の薬草集めと戻ってきた瓶の洗浄も。前みたいに遅くなったら分かってるわよね!?」

「はい……姉さま」


 そんな魔力が何より大事な国に産まれたのに、テレーゼは生まれつき魔法が使えない。「役立たず」の烙印を押された彼女を、他の王族たちはいないものとして扱う。唯一話してくれるルイーゼもテレーゼは体の良い使用人だと思っているようだった。





「あらあら……どうやったらこんな破れ方をするのかしら?」


 なんとか薬草集めと洗い物を終わらせたテレーゼが、中庭の隅で広げるのはあちこちが破けた桃色のローブだ。ルイーゼは薬作りだけでなく、自室の掃除や魔法の練習で破れた服の繕いものなどの仕事もテレーゼへ与えている。


 本来なら使用人の仕事な筈なのだが、侍女頭も一緒になって仕事を押し付けてくる状況ではどうにもならない。


 しかしテレーゼはそういった仕事自体は嫌いではなかった。魔法が使えないので効率は悪いかもしれないが、多少なりとも「人の役に立っている」と実感できる。

 特に裁縫は彼女の数少ない趣味でもあった。手先は器用なほうだし、一心腐乱に針を動かしていれば、嫌なことも忘れられる。彼女は


「テレーゼ! あなたいつまで縫い物してるの。もうとっくに薬は冷めている時間よ!」


 とルイーゼが怒鳴り込みに来るまでしばし繕いものに没頭するのだった。






「今日もこんな時間になっちゃった……」


 あの後また薬作りに戻り、さらにルイーゼの身の回りのお世話を終えて、彼女がようやく開放されたのはもう日付も変わろうか、という頃だ。


 テレーゼの私室は使用人塔の彼らが住む部屋よりさらに上の階にある。仕事は嫌いでなくても、くたくたになった身体にはこの階段がまた応える。霞む目をゴシゴシとこすりつつゆっくり階段を登っていると、ふと彼女の前を茶色い物体がフラフラとした様子で横切った。


「あ、あなた、大丈夫? ってくまさん! ……のぬいぐるみ?」


 彼女の前を横切った物体は、本当に倒れる寸前だったらしく、彼女の足元で力尽きるとぽふり、と横たわる。拾い上げてみると、それは彼女の腕にすっぽりと収まるくらいのサイズの王子様の衣装を着たくまのぬいぐるみだった。


 どうしてこんなことになったのか、ぬいぐるみはあちこちが破け、綿が飛び出してしまっているところもある。そして、その表情はぬいぐるみなのに、どこか苦しそうだ。


「ひどいーー誰がこんなことを! 待っててね、私が直して上げるわ!」


 そう言ってギュッ、とぬいぐるみを抱き直すと、テレーゼは早足に階段を上がり、一番上の自室に駆け込む。そして、窓から差し込む月明かりを頼りに裁縫に勤しみ始めた。


「で、出来た! 縫い目はどうしても残ってしまうけど……どうかしら? って答えてくれる訳ないわよね」


 朝日が差し込み始めた部屋でテレーゼは困った顔をする。


 裁縫は得意だが、ここまでぼろぼろになったぬいぐるみを直すのは始めてだ。破けてしまっていた生地は全て繕ろい、外れかけていた腕も縫い合わせた。トレードマークらしき赤い上着に出来ていた穴も塞いだが、相変わらずぬいぐるみの表情は苦しそうだ。それに瞳もつぶったままだった。


「まさか、もともとこんな表情だったのかしら? ……そんな訳ないわよね……。まさか……繕っただけじゃ駄目……?」


 どう見てもぬいぐるみの元気が戻ったようには見えない。テレーゼは手を組み合わせ、目を閉じて神様に祈りを捧げはじめた。


(どうか……この子を助けて下さい)


 すると不意にぬいぐるみは淡い光に包まれ思わずテレーゼが目を見開く。


 ーーそして、その光が消えたかと思うと、「ボボン!」という軽い音が鳴り、さっきまで力なく横たわっていたぬいぐるみは背筋をピンと立てて立ち上がるのだった。


「初めましてテレーゼ姫、我が命の恩人。フランネル王国から参りましたフェルと申します。どうぞお見知りおきを」


 仰々しい口上と共に、ぬいぐるみは胸に手を当てて恭しくお辞儀をする。そのチョコレートのような茶色の毛並みは艶々と輝き、パッチリと開かれた瞳は透き通ったアクアマリン。その気品ある姿に、テレーゼは慌てて服の裾を広げて挨拶を返した。


「ご丁寧にありがとうございます。ヴァルネット王国第2王女テレーゼにございます。あ、あの……お身体はもう?」

「はい、あなたのおかげですっかり治りました。本当に助かりました」


 そう話すぬいぐるみーーことフェルは確かに元気そうでテレーゼは一安心する。と共に湧き上がってきた疑問を彼女は思わず口にした。


「あの……フェル様はどうしてこちらへ? それにどうしてあんなにボロボロだったのですか?」

「それはですね……私は第三王女イレーネ様へのプレゼントとして命を受け、こちらへ来たのです。ですが彼女はなかなかやんちゃなご様子で……まさか雷の魔法を打ち込まれるとは思っていませんでした」

「そ……それは妹が大変な失礼を……」


 イレーネはテレーゼやルイーゼとは歳の離れた妹だ。雷の魔法を特に得意とする彼女はまさにやんちゃざかり。プレゼントとして渡されたぬいぐるみに雷を打ち込んだ、と聞いて、テレーゼは彼女ならさもありなん、と思った。


「あなたが謝ることはありません。子供のすることです。さて、では私はそろそろ彼女の子供部屋に戻らなくては……」

「そんな! 大丈夫なのですか? また魔法を撃たれたら……」

「今度はこんなヘマはしませんよ。……ですがこの部屋はとても居心地が良いですね。もしよければ今晩もこちらへお邪魔しても」

「今晩ですか……? 私は構いませんが……」


 テレーゼが戸惑いつつ応えると、フェルは


「では、また今晩ーー御機嫌よう!」


 というと、またしても「ボボン!」という音と煙を残して消えてしまった。






 翌日。テレーゼがまた夜遅くに城の上にある自室に戻るとそこにはあの茶色のくまのぬいぐるみがちょこんと座っていた。


「まあ、フェル様! 本当に来てくださったのですね」

「もちろんです、テレーゼ姫。……でその布の固まりは一体?」


 宣言通り、やってきたフェルに驚きの声を上げるテレーゼ。一方フェルはというと、テレーゼが両手いっぱいに抱えていた色とりどりの布の数々に目を丸くしていた。


「これはその……宿題みたいなものです。今日はいろいろと失敗してしまって。これを朝までに繕うようにと」


 昨日徹夜でフェルの修復をしたテレーゼは寝不足からか普段ならまずしないミスを連発した。

 薬草をいれる順番を間違え、瓶を割り、挙句の果てに、掃除中に居眠りをしてしまう。そんな彼女にルイーゼは罰として城中から集めた繕いものの山を与えた。


「これを朝までに……?  それじゃあ寝てる暇がないじゃないですか。まさか昨日、徹夜で僕の修繕をしてくれたから?」

「いえ、違いますわ」


 フェルの言葉を間髪入れずに否定するテレーゼ。しかしそれが嘘であることはぬいぐるみでも分かった。


「それにお裁縫は好きなんです! 針と糸とに集中していると、嫌なことも忘れられます」

「そうは言いましてもねーーよし、分かりました。じゃあ、テレーゼ? これから起こることを内緒にすることは出来ますか? 特にこの国にいる間は絶対」

「これから起こること……ですか? わ、わかりました。約束します」


 目をつぶって何か考える素振りを見せたフェルは、目を開くとそんなことを言う。

 突然のことに困惑するテレーゼだったが、その真剣な眼差しにゴクリ、と唾を飲んで、頷いた。


「じゃあ、決まりですね。いきますよ!」


 そう言うと、昨日の様に「ボボン!」と音がなり、部屋に煙が立ち込める。思わず目を瞑ったテレーゼがその目を開けると、いつの間にかテレーゼの直ぐ側に来ていたフェルは針と糸を持っていた。


「それって……まさか!  手伝ってくれるのですか?」

「そういうことです! 僕だけじゃありません。他にも助っ人を呼びました。すぐ来てくれるはずです」


 彼の言う通り、すぐにテレーゼの部屋は可愛らしい助っ人で一杯になる。フェルが呼んだのは城中のぬいぐるみ達だった。


「み、みんな! ありがとう」

「こちらこそ、テレーゼはルイーゼが僕に乱暴しようとしたときに止めてくれたからね、いつか恩返ししたかったんだ」


 そう言って笑うのは騎士の制服を着た、犬のぬいぐるみ


「私も、テレーゼが昔とっても素敵なお洋服を作ってくれたの今でも覚えているわ」


 そう言うのは、昔テレーゼがルイーゼの代わりに裁縫の課題として作ったドレスを着たアヒルの縫いぐるみだった。

 山のようにあった繕いものも大勢でかかれば早いもの。ぬいぐるみ達のおかげでテレーゼは無事しっかりと眠ることが出来たのだった。






 それからというものテレーゼには新たな楽しみが出来た。夜な夜なテレーゼの部屋にやってきてくれるフェルと過ごす時間だ。


 テレーゼが部屋に戻ってから眠りにつくまでの短い時間だが、それでもその一時を二人はおしゃべりをして過ごす。城の敷地から出たことがないテレーゼは、特にフランネル王国のことを聞きたがった。


「それでですね、王都の郊外にあるリーメル湖の湖畔にはこの時期いろんな色のチューリップが咲き乱れるんです。とっても綺麗なんですよ」

「まあ! 素敵だわ。 一度見てみたい」

「フランネルへお越しの際は是非。馬に乗れば王都からでもすぐです。妹も乗馬の練習の行き先にしてましたよ」

「ちょっと待って! フランネルではぬいぐるみが馬に乗るの!?」


 いや、おもちゃの馬には乗るかもしれないが、それで王都からいくら近くても郊外の湖にいくのは無理だろう。唖然とするテレーゼにフェルは慌てたようにブンブンと首をふった。


「いえ、……その、妹は王女殿下の傍におりまして、殿下のお出かけにはいつもご一緒しているのですよ」

「まあ! そういうことだったのね。それなら納得だわ。……私も一度で良いから馬に乗ってみたいわ」

「でしたら妹ーーのご主人様に手紙を送っておきましょう。他にもお見せしたい場所がいっぱいあるんです。活気あふれる市場に、異国の言葉が行き交う港町!」


 手を大きく広げ、力説するフェル。しかしテレーゼは一瞬うっとりとした表情をしたあと、力なく首を振った。


「だめよ……。きっと、お母様やルイーゼが許さないわ。私は城の外に出ては駄目、と言われているの」


 あなたは役立たずなんだから、せめて一生国のために働きなさい、とはルイーゼの言葉だ。

 下を向くテレーゼにフェルは「うーん」と少し考え込むとポン、と手を叩いた。


「では、私がこの国からあなたを連れ出しましょう」

「まあ、本当に!?  嬉しいわ」


 フェルの言葉にテレーゼは思わず彼の両手を取る。綿の詰まった手をギュッと握りしめ、フェルと視線があったところで急に恥ずかしくなって、彼女はその手を離した。


「ご、ごめんなさい急に。それに私の手、荒れててみっともないですよね」


 貴婦人らしい滑らかで白い手を持つ、母やルイーゼと違い、水仕事をするテレーゼの手はいつも荒れてガサガサしているのだった。


「みっともないって……それもルイーゼが?」

「え、えぇ……」


 フェルの言葉にテレーゼは言葉少なに応える。その様子にフェルは「はぁ」と1つため息をつくと、ギュッとテレーゼの手を握りこんだ。


「僕は知っていますよ。毎日朝から晩まで働いて、そのせいでこんなに手が荒れてるんでしょう? だったらあなたの手は傷一つない白い手よりずーっと美しいと思いますよ」


 そう言いながらもフェルは握った手を離さない。テレーゼもまた、ふんわりとして、暖かいフェルの手の感触が心地よく、今度は手を引っ込めなかった。






 フェルがテレーゼのもとへ訪れるのは決まって陽が落ちて辺りが暗くなってからだ。曰く、イレーネが起きている間はぬいぐるみ業に専念しているらしい。


 今日も月明かりに照らされるテレーゼの部屋へやってきたフェル。彼は現れるなり、


「今日は街を眺めに行きませんか?」


 とテレーゼに告げた。


「街をですか? それはとっても気になるけど……でも私は城を出てはいけないと……」

「えぇ、なので城の中から見ましょう! ほら、しっかり捕まってて下さい」


 そう言ってテレーゼの手をギュッと握る。と次の瞬間「ボボン」と音がなって、テレーゼの体が浮遊感に包まれる。思わず目をつぶった彼女は


「着きましたよ」


 という言葉で目を開き、そして見えた景色に息を呑んだ。


「ま、まあ! 素敵です! ここは一体?」

「城で一番高い塔の最上階のバルコニーです。部屋自体はもう使われていないみたいで入れないようですがーーほら、王都が一望出来るでしょう?」

「えぇ、こんな素敵な場所があったなんて……。あら、あの辺はまだ明かりがついているのね」


 テレーゼの視線の先には月明かりに照らされた石造りの町並みが広がっている。ほとんどの家はもう明かりを消しているが、街の中心にはオレンジ色の光がいくつも漏れ出ている一角があった。


「あそこは宿屋や酒場が集まっている辺りですね。まだ盛り上がっているのでしょう。あとあの一番高い建物は教会で、あの広ーい場所は魔術師学校。それから職人街にあれは市が立つ広場ですね」


 テレーゼの腕の中に収まったフェルはあちこち指差しつつ、眼の前に広がる景色を解説する。


「すごいわ! 全部聞いたことしかない場所ばっかり。……でもどうしてフェル様はそんなに詳しいの?」

「ふふふ、内緒です。さ、実は一緒に食べようと思ってこんなものを持ってきたんです」


 テレーゼの質問を微妙にはぐらかしたフェルは懐から小さな包みを2つ取りだした。


「見て下さい。キャンディはお好きですか?」

「ええと……うんと幼い頃に食べたきりだから……」

「……。とっても甘くて美味しいですよ。はい、どうぞ」


 フェルが差しだした包みを手に取り、その中の茶色くて甘い香りのする食べ物をテレーゼは口に入れた。


「あ、甘い! 美味しいわ!」

「でしょう? はい、良かったらもう一つどうぞ」

「ありがとう。でも2つしかないのに独り占めはできないわ」

「私は何度か食べていますから、久しぶりなんでしょう?」

「……やっぱりフェル様が食べて。せっかくだし一緒に食べたいわ」

「そうですか。ではお言葉に甘えて。んんんーーやっぱり甘くて美味しいですね」


 ファッジを口にいれたフェルはそう言って頬を綻ばせた。そんな彼の表情にテレーゼと笑顔になりつつ、今度は街のさらに向こうに視線をやった。


「フェル様?  あの鬱蒼とした森の向こうがフランネルなのよね?」

「そうですね。ここから見ると果てしないようですが……街道は整備されてますし、そこまで遠くもないんですよ。行ってみたいですか?」

「……えぇ、行ってみたいわ。チューリップの咲く湖畔にも……市場にも港にも!」

「分かりました! あなたをこの国から連れ出すと話したことを覚えていますか?」

「はい」


 その言葉にテレーゼは思わず固まる。喋って動く不思議な存在とはいえ、フェルはぬいぐるみだ。本気にしていたか、と言うと半分半分くらいだろう。


「実は事情があって、明日以降しばらくあなたと会えなくなります。でも……全て解決したら必ず迎えに来ます。良いですか?」


 腕の中からアクアマリンを瞬かせて尋ねるフェルに、テレーゼは彼を抱く力を強くする。しばらく逡巡した後、テレーゼは一つ頷いた。


「えぇ……連れて行って下さい。この城の外へ」

「では決まりですね! さあ、そろそろ冷えてきましたし戻らないと」


 そう彼が言うと、再び「ボボン」と音がなり、気がつくとテレーゼはいつもの部屋にいる。


 フェルは消えてしまっていたが、彼にもらったキャンディの包み紙はまだ彼女の手の中にあった。

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