3.転生した意味がない

「ケンタ、起きなさい、朝よ~」

 お母さんの声で起こされるいつもの朝。ああ、やっぱり夢落ちだったのかもしれないとケンタは思った。どこからどこまでが夢だったのかわからないけれど、できれば守護神のくだりは現実ならいいなと願う。


 今日はお母さんもパートの日なので、朝食はトーストとハムエッグにトマトのシンプルなメニューだったけれど、ケンタは嫌いなトマトも残さず食べた。お母さんがちらっと空になったお皿を見て微笑んだのがわかって、ちょっぴりうれしくなった。

「お父さんがね、今年は少し長めに夏休みがとれるから会社の北海道の保養所を予約してくれるって。牧場やキャンプ場もあってバーベキューや釣りもできるらしいわよ」

 玄関でケンタを送り出しながら告げるお母さんの声もどこか弾んでいる。この前のゴールデンウィークはお父さんも飛び石連休だったし、ケンタ自身もダイゴたちにゲーセンだ、バッティングセンターだと毎日のようにつき合わされて、家族旅行どころではなかったのだ。今回の世界線ではもうダイゴたちがいないなら、今年の夏は北海道旅行を満喫できるのかもしれない。教室に置いたままだったはずのリュックは、なぜか家にちゃんと戻っていたので、ケンタはそんなことを思いながら教科書を詰め込んで学校へと向かった。


 少しだけ気持ちが浮き立って、いつもより足取り軽く学校の敷地に1歩足を踏み入れた途端に誰かに頭を軽くはたかれた。顔を上げるとダイゴが目の前に立って冷めた目でケンタを見下ろしていた。

「何スキップなんかしてんだよ。気持ち悪いな」

 見回すとダイゴだけでなく、ヨウヘイもタツヤもヤスシもコウジも雁首を揃えている。守護神がやつらはもういないと言ったのは、恐れていたとおり、昨日の夜はもう帰っていて学校にはいないという意味だったのだ。これでは転生した意味が全然ないじゃないか。ケンタは心の中で叫びながら、銅像の「守護神」のほうを恨めしい思いで見やった。

「変な目つきで睨んでんじゃねえよ」

 手の早いヨウヘイが拳を振り上げかけたので、ケンタが思わず歯を食いしばって衝撃に耐えようとした瞬間、微妙にあたりの空気が歪んだ。シュッとパンチが空を切る音がして、ヨウヘイのひょろっと細長い体がダイゴのほうに倒れ込んだ。

「ヨウヘイ、何してんだよ。危ねえな」

 ダイゴがヨウヘイを突き飛ばして押し返したので、反対側にいた3人にのしかかる格好になり、ヨウヘイの体を受け止め切れなかったタツヤとヤスシがコウジの上に重なるように転倒した。とっさのことで一瞬ケンタもその場で固まってしまっていたが、次の瞬間、体が自然に動いてリュックをコウジの頭と地面の間に放り込んだので、リュックがクッションとなってコウジは地面に頭を打ちつけるのを回避できた。

 倒れた4人がよろよろと起き上がっている間、ダイゴは苦々しい顔で黙っていたが、予鈴のチャイムの音を聞くと、

「おまえら、さっさと行くぞ」

 と吐き捨て、くるりと校舎のほうに向きを変えて大股で歩き出した。子分たちも制服についた土を払いながら慌てて後に続く。


「トレカの件はごめんね。何とか探してみるから」

 ケンタは去っていくダイゴの背中に恐る恐る声をかけた。ダイゴはケンタのほうを振り返ると、わけがわからないという顔をして、

「トレカの件って何だよ。転生シンゴの限定ゴールドコスチュームのレアカードのことか? まさか返せって言うんじゃないだろうな」

 と凄んできた。ケンタは狐につままれたような気持ちになって思わず尋ねた。

「え? もう持ってるの?」

「おまえ、完全にボケたんじゃねえか。おまえがこの前ゲットして俺に持ってきたんじゃないかよ」

 では、トレカの件は解決していたのだ。一体どこで手に入れたのだろう。まさか本当にお父さんのアカウントからネットオークションで買ったとか。それならお父さんにバレないように支払い方法はクレジットカードじゃなくて代引きか振り込みにしたはずだから、家に帰ってお小遣いの残額を確認すればわかることだ。購入履歴が残っているから、いずれお父さんには気づかれてしまうけれど、そこは謝り倒して許してもらおうと思った。とにかくここ数週間というもの、ダイゴの要求を満たせなかったらと思うと気が気じゃなかった最大の問題が解決していたのだ。それは純粋に喜ぶべきことだった。

「あ、そうだったね。忘れてた」

 頭をかきかき照れ笑いをしているケンタにバカにしたような視線を送ると、ダイゴは踵を返して再び歩き始めた。一団の最後尾を足を引きずりながら歩いていたコウジだけがちらっとケンタのほうを振り返ったが、かすかに頭を下げたように見えた。



「以上で修学旅行のグループ分けは決定です。来週の旅行までの間に自由行動の時のスケジュールをグループで話し合って提出すること。いいわね?」

 帰りのホームルームで2年C組担任のノリコ先生から修学旅行のグループメンバーの発表があって、ケンタは頭の中が真っ白になった。出席番号を書いた紙を男女別に分けた箱の中に入れて、先生がランダムに6枚ずつ引いて1グループとしていくのだが、3班はケンタ以外はすべてダイゴたち5人がメンバーだったのだ。

 夏休みの計画に気をとられてすっかり忘れていたけれど、ケンタたち2年生の全5クラスは来週京都・奈良へ修学旅行に行くことになっていた。去年までは多くの中学校と同様、3年時に修学旅行が行われていたのだが、去年新しく着任した校長先生が、我が校の高校受験体制を強化するために3年生は受験勉強に集中させると息巻いて、今年から修学旅行は3年生ではなく2年生で行くことに変更されたのだ。

 3年に上がる時にはクラス替えがあるので、修学旅行が来年ならばダイゴたちと一緒のグループになるなどという悲劇はほぼ起こらないはずだったのに、このクラスで修学旅行に行くことになり、よりにもよって最も一緒になりたくない面子と同じ班にさせられてしまった。ノリコ先生に頼んでグループを替えてもらおうかという考えがよぎったが、そんなことをしたらダイゴたちに何をされるかわかったものじゃないので、結局言い出せなかった。



 放課後――。

 珍しくダイゴが用事があるとかで1人で先に帰ったので、他の4人も少しシラケた様子で帰り支度を始めていた。ケンタにちょっとつき合えと声をかけてくることもなかったので、みんなが校門を出ていくのを見届けてからゆっくり教室を後にした。朝は時間がなくてできなかったから、「守護神」の像に軽く乾拭きをかける。くすぐれば動くんじゃないかと思って喉のあたりを雑巾でこちょこちょしてみたけれど、「守護神」はうんともすんとも言わなかった。やはり昨日の空中散歩は夢だったのだろうか。

 掃除を終えて校門を出たところで物陰からコウジがひょこっと顔を出したので、ぎょっとしてつまずきそうになった。コウジはダイゴグループの中では口数の少ないほうだったが、少しためらった後に、

「今朝はリュック、ありがとう。頭打たなくて助かったよ」

 とだけ言って、校門脇に停めてあった自転車に飛び乗ると風のように去っていった。

 空気がわずかに揺らいだ感覚がして「守護神」のほうを振り返ると、右の翼が手を振っているかのように少し揺れて見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る