ずぶ濡れの来訪者②

「それでさ、穂積。」


 俯いて手遊びしているようで何か緊張している様子だった。


「ほ、穂積おばさん居る……?」


「懐かしいな、その呼び方」


 この呼び方はお互いがまだ小さかった頃に、相手の親の呼び方に困って呼び出したものだ。


「ちょっと、それ触れないでよ。余計恥ずかしくなるじゃん」


 やっぱり子どもの頃に決めたものだけに恥ずかしさがあったようだ。


「ごめんごめん、母さんは今日帰って来ないよ」


「嘘? 何で?」


「仕事。職場遠いみたいなのと、最近忙しいみたいでよく家に帰って来ないんだよ」


 ここ最近母さんはより忙しいくなっているのと、家から職場が遠いのもあってなかなか家に帰って来なくなっていた。


「そうなんだ。久しぶりに会いたかったな」


「またいつか会えるよ」


「そうよね。じゃあ、穂積おじさんの方はいつ頃帰って来るの?」


「父さんの方は……」


 紬麦には知られてなかったのか。言い出せず重苦しい雰囲気になり始めた頃にようやく口を開けた。


「父さんは死んだよ」


「嘘……?」


 さっきまでの明るかった紬麦が一転、青ざめた顔で俺を見つめる。


「前にね」


「い、いつ? 私が引っ越す前は元気に話したのに」


 そう、紬麦が引っ越してから父さんは亡くなった。伝えてない以上知らないのは当たり前だ。


「……中学一年の頃に」


「そ、そう……ごめんね。気を悪くさせちゃって」


 どこかのタイミングでこの話にはなっていただろう。それがたまたま今来ただけだ。


「しょうがない事だし気にしないで」


「ありがと……」


「穂積おじさんに線香あげてもいい?」


「うん。父さんも喜ぶと思うよ」


 父さんへ線香をあげるために、二人でリビングの隣の和室に向かう。


 仏壇に手を合わせてしばらくが経った。言葉はなかったが、堪えきれなかったのか紬麦から言葉が溢れた。


「ねぇ、穂積おじさん……もっと話したかったな……」


 その言葉と共に涙が溢れ始めていた。


「……もっと成長した姿見て欲しかったな」


 言葉は途切れ途切れでかろうじて言葉を紡いでいるような状態だ。


「ごめんね……辛いのは穂積の方なのに、思い出させちゃって……」


 俺に泣きつくような形になってきたので慰めるように背中を擦る。


「確かに当時は言い表せないぐらい悲しかった」


 紬麦の気持ちが整理できればと俺の気持ちを少しずつ話していく。


「何かずっと心に穴が空いてるような。でも、時間が経つにつれて少しずつ居ない事が日常になってきてる」


 もう父さんが居なくなって三年過ぎた。だんだんと居ない生活が日常に馴染んできていた。


「悲しい記憶はあるのに気持ちが色褪せてきてる感じなのかな。多分、父さんの周りの人たちもそんな感じなんだと思う」


 辛い思い出ではあるものの、だんだんと悲しかったなという記憶になり感情が揺さぶられるのが減ってきていた。


「だからさ誰も父さんの話題が出なくなっていっている中で、紬麦が父さんの話題出してくれて嬉しいよ」


 時が経つにつれて話題にあがらなくなりつつある。そんな日常の中で誰かが父さんの話題を出してくれたのが嬉しく思えた。


「何て言うか……父さんのこと覚えてくれててありがとう」


「……うん」


 紬麦が泣きついたままかなりの時間が過ぎた。ようやく紬麦は落ち着いたのか会話を始める。


「穂積。私さ、穂積おばさんと会いたいな……」


「あぁ。今日は無理でもすぐ会えるから」


「絶対だよ……」


「分かった」


「うん、できるだけ早くね」


 過敏になる気持ちも分かる。だから近いうちに母さんに紬麦のことを話して会う約束を取り付けておこう。


「伝えておくよ」


「穂積おばさん、私の姿見たら驚くかな」


 この数年で紬麦の見た目は大きく変わった。短かった髪が背中にかかるくらいになっただけでなく、仕草や表情もお嬢様のような振る舞いになった。


「驚くとは思うけどお姫様の方ならともかく、今の小学生の頃のままみたいな方ならそんなに驚かないかもな」


「それって馬鹿にしてる?」


「してない」


「嘘だ」


「本当だって」


「何でこう言うときに穂積の癖出ないかな。まあ、今回は見逃すけど」


 どうやら嘘を隠すときの癖が出ておらず本心ということが伝わったらしい。


「なら私、穂積おばさんに会うときお姫様の方の雰囲気で会うね」


「そしたら驚くだろうな」


「それで、お姫様の方でビックリさせた後に今の私の方で見せてもう一回ね」


 何なら二回驚かそうと考えているようだ。さっきまでの沈んだ顔から少し元気な表情になってきていた。


「それで、穂積おばさんにめっちゃめっちゃに褒めて貰おう」


「そんなので褒めて貰えるか?」


「大丈夫、大丈夫。落ち着いたって褒めて貰えるよ」


 流石に無理があるだろと思うものの、まあ何とかなるのかな。ひとまず褒めて貰えるかは考えないようにしよう。


「それで髪のセット崩れてボサボサになるぐらい撫でて貰うの」


 そう言えば母さんは褒めるときに頭を撫でていたのを思い出す。中学に上がってから俺に気を使ったのかそんな事をしなくなってたので忘れていた。


「好きだったんだよね。穂積おばさんに頭撫でて貰うの。ちょっと痛い感じなんだけどそれが愛情って感じがして」


「それも伝えておくよ」


「えっ? まあ……恥ずかしいけど頭撫でて貰えるなら。そのかわりもう頭取れるかってぐらいに撫でるよう頼んでよね」


「分かった」


「じゃあ、はい」


 そう言って紬麦が俺の方向に頭を差し出す。


「はい、とは?」


「予行演習」


 差し出した頭をより俺の方向に押し付けてくる。


「私が穂積おばさんの頭撫でにテンション上がっておかしくならないように」


 どんな理論だ、とは思うがやたらと強く迫ってくる。


「早く……」


 催促まで届いた。どうやら諦めるしかないようだ。


「そう。それでもっと強く」


 紬麦の頭を撫でる。時間にしては少しだが長く感じる。


「ありがとう、穂積……」


 俺の服の裾を掴む手は強く、そして震えていた。


「まだ穂積おばさんの方が気持ちいいかな」


 強がりなのか少し震える声がする。


「またお願いするからもっと上手くなってね」


「あぁ、任せとけ」


 ◇◆◇◆◇◆



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