ずぶ濡れの来訪者

「穂積、こんな時間にごめんね」


 玄関を開けるとこの土砂降りの中を傘も持たず、暗がりを歩いて来た幼馴染の姿が瞳に映し出されていた。

 一緒に遊んでいた頃には着ることの無かった女の子らしい服はこの雨に濡れて、身体はこの雨で冷えたのだろう小さく震えている。

 申し訳なさそうに佇む彼女に取り繕うのを忘れてしまう。


「紬麦……?」


 理解の追いつかないまま昔の呼び方で彼女の名前を呼んでしまった。

 何故、家に来たのか、傘を持っていないのか、そんな思考が頭を巡る。


「えーと、こんばんは?」


「挨拶以外に言うことがあるだろ」


 取ってきたバスタオルを紬麦に手渡す。袖の先から見える彼女の手は赤く寒さで震えているのが分かった。


「……ありがと」


 渡された布で顔を覆い隠し溢れたように、小さくか細い声でお礼を言っていた。


「ある程度拭いたら次は風呂な。ちょうど沸かしてたからすぐに入れる。いいか?」


 話なら後で聞けるだろう。自分の何故という気持ちよりも今は彼女を助けてあげるのが先決だ。


「うん……」


「風呂どこか覚えてるか」


「うん、玄関入ったときに全部思い出した」


 玄関の周りを確認する彼女から向けられる視線の一つ一つに、懐かしさと哀愁の感情が入り混じっていた。


「懐かしいね。本当に何もかも昔みたい」


「……そうだな、昔みたいだ」


 小学生の頃はお互いの家で遊んだ記憶が頭の中を駆け巡りしみじみした気持ちなる。ただ、今は思いれのに浸るより目の前の紬麦ことだ。


「じゃあ俺は温かい飲み物とか準備しとから、その間に風呂入ってきて」


 玄関で濡れた身体を拭いている紬麦に言い残してキッチンに向かう。


「……うん、ありがとう」


 程なくして滴らない程度に身体を拭いたのだろう、お風呂場から水音が聞こえてきた。

 そうなればもう一つの問題に取り掛かかることにする。


「着替え、学校のジャージか俺の服しかないけどどっちがマシ?」


 そう、紬麦の着替えの問題だ。この家は俺と母以外居ないので服は必然的に俺のか、母親のかになる。


「マシって何か変。じゃあ、穂積の私服の方でお願い」


 半笑いのような声と服の指定が返ってきたので今のウチに準備する。


「扉の前に置いとくから」


「うん」


 脱衣所に入ることを避けてドアの前に置いておく。これで俺がリビングにいれば問題なく服を届けられるだろう。


 ◇◆◇◆◇◆


 服を置いてからしばらくして紬麦がリビングに続く扉を開ける音が聞こえてきた。


「ありがとう、良いお湯だった」


「あぁ、それなら良かった」


 声の方向に目を向けたとき、心臓の高鳴った。


「──ッ」


「服、ありがとう。穂積の服大きいね」


 そこに居るのはお姫様と呼ばれているのが頷ける程に、眩しい幼馴染の姿だった。


「ん? どうかした?」


 下着は男物しかなく用意できなかったが、上下スウェットを置いておいた。


「ほらこれ蜂蜜ミルク」


 幼馴染に見惚れていたことに気恥ずかしくなり、慌てて違う話題を持ってきて誤魔化す


「あ、もしかして私に見惚れてた?」


「違う」


「嘘が下手〜〜」


 先日言われていた癖がまた出たのであろう、簡単に見破られていた。


「素直に私に見惚れてたって認めれば良かったのに」


「はい、これ」


 話題を無理やり切るように飲み物を差し出す。


「うわ、懐かしい。これ穂積のとこで毎回飲んだな」


 そのままソファに腰掛けて「いただきます」と呟き、息を吹きかけて熱そうに飲む。


「懐かしい味だなあ」


「暖まりそうか?」


 俺も同じ飲み物を持って紬麦の隣に腰掛ける。隣で一緒に啜る。飲み慣れた味だ。


「うん、おかげ様で」


 コクコクと頷いていた。


「さて、落ちたいたか?」


「うん」


「何でずぶ濡れでウチに来た?」


 悩んでいるのか目をつむり長時間考え込んでいる。それ程、話したくないことだったのかもしれない話題に触れてしまったのかと気にかける。


「話すと長くなるんだけどなあ。何から話せばいい?」


 一応、こっちが持っている情報を渡しておこう。


「大和さんと出かけてたってのは友だちから聞いた」


「え、何で怖い。普通に怖いわ」


「友だちと遊んでるとき聞いた。昔から二人の仲が良いらしいから共有したくなっんだろ」


「はい、私からも質問」


「どうぞ」と紬麦に質問権を渡す。


「穂積の友だちは女、それとも男?」


「男。確かに男に共有されるのは居心地悪そうだな」


「まあ……そう言う訳じゃないんだけど……」


 照れた様子か横目でこちらを伺うな視線を送ってくる。

 まさかコイツが嫉妬してるのか、と頭によぎったが切り出せば話が違う方向に転がりそうなので一旦触れないことにする。


「ひとまず、俺の質問に戻っていいか?」


「うん」


 仕切り直して、何故雨に濡れていたのかから質問を始めた。


「まず雨に濡れたのは、持ってた傘が風で壊れたから」


「他のコンビニとかで買わなかったのか?」


「お金持って無くて」


「……は?」


「あ、それは変な誤解で! 現金持って無かったの!」


 現金を持たずに電子マネーだけで過ごしている人も聞いたことがあるので、最初の言い方何らおかしいけだで問題はなさそうだ。


「あー、でも電子マネーでも普通に買える場所あるだろ」


「そうなんだけど、スマホの充電無くなっちゃってさ……あ、受電器借りていい?」


 ようやく紬麦の話が見えた。全部電子マネーに頼っているのにスマホの充電が無くなったと言う訳だったようだ。


「充電切れか。そこにある」


「ありがとう」


 紬麦が充電ケーブルを取るために身体を伸ばしが、服は上下スウェットだが、下着がないのでいろいろと危ない。惹かれそうになる目を理性で無理やり背ける。


「IC系も全部スマホに入れてたから電車乗れなくて、外は土砂降りだし本当に困ってたんだよね」


「尚更、現金持っとけよ」


「穂積は分かってないなあ、お姫様は現金何か持っちゃダメなんだよ!」


「なるほどな」


 そう言われて学校のときの装いの紬麦を想像すると納得させられる。些細なことだが周りのイメージを損なわないようにしてるようだ。


「それで、何で今お姫様の様相しないんだ?」


 紬麦が雨に濡れていたの疑問が解決したら、もう一つの疑問が現れた。

 俺の質問を聞いて膨れた不満顔を顕にする。


「だって穂積だから! それにここ私と穂積以外居ないでしょ?」


 どうやら紬麦の方は二人きりで他に人が居ないなら昔のような無邪気でおてんばな少女に戻るらしい。

 俺からすればそっちの方が馴染みがあるのでありがたい。


「だから、好きな姿で居られるの」


 昔のような屈託のない笑顔を見せる紬麦に目を奪われた。


「それでまた話を戻すが何でウチなんだ?」


「何ていうかさ、自分で言うのは恥ずかしいけど。私って方向音痴じゃん!」


「そうだな」


 数年の時を経て自覚を持ったという成長を大きく評価したい。涙が出そうになるほど嬉しかった。


「ナビアプリも無いし、歩いて帰るにも方向分からないときに見つけたの」


「何を?」


「穂積と一緒に歩いた道を」


「よくそんなの覚えてたな」


「思いれのある道だったからね」


 しみじみした表情で飲み物を啜っている。 過去に紬麦に連れ回された身からすれば、なんでそんな顔で言えるんだか、と思ってしまう。


「泣きながら一緒に手を繋いで帰った道覚えてない?」


「そんな道、山ほどあるわ」


 聞かれた勢いで思わず言ってしまった。ただこれで紬麦が何故ここに訪ねてきたのかが分かり、全ての疑問が解決された。


「確かにめっちゃ迷ったもんね」


「道も分からないのに振り回すからだろ」


 幼少期の紬麦は何を考えたのか、俺を引き連れて知らない道をよく探検していた。

 それで方向音痴な訳で、幼い二人はよく知らない道を彷徨ったものだ。


「何と言うか、若さ故の無謀さってやつ?」


 何かいい感じに纏めているので今回は紬麦の苦労に免じて許しておこう。


「でも良かったよ。穂積が引っ越してなくて」


 ◇◆◇◆◇◆

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