第10話聖と俗

 雷鳴が響く――。


 横倒しの馬車。

 喉笛をかき切られた馬。

 首のない御者。

 ならず者たちは下卑た笑みを浮かべて貴婦人の胸をはだける。

 悲鳴はあがらない。

 時折、声を殺しそこねた呻きがもれる。


 ことを終えた男たちは貴婦人の胸に短剣を突き刺した。

 鼓動がとまり、呼吸がとまり、虚ろな瞳が暗くひろがる。

 それでも、流れる涙はとまらない。


 男たちは金品には目もくれず、馬車のなかもあらためない。

 ただ犯し、殺し、去っていった。


 カチカチカチカチ――。


 少女の歯が鳴る。

 全身を震わせながら馬車から這いだす。

 転倒。

 足が震えて立ち上がれない。

 膝をすりながら血まみれの女のもとへとたどりつく。

 

「お、おかあさ……」


 雷鳴が轟く――――。




 ――――エイクレアはうっすらと目を開ける。

 

 まぶしさは感じない。

 夜は明けたようだが随分と暗かった。

 今日も相変わらずの曇り空だろうか。


 眼下の焚き火がくすぶっている。

 じめりとした朝風に煽られた煙がエイクレアの顔にかかった。

 

(嫌な匂いだ)


 重いまぶたを上げきる。

 すると、どういうわけか、焚き火を挟むようにしてゴドフロイが座っていた。

 眉間に皺をよせている。

 暑苦しそうな寝顔だ。


(尻が冷たい。最悪だ)


 鈍痛もある。

 エイクレアは沈んだ表情でため息を吐く。

 そこで、ゴドフロイが目を覚ました。 


 「起きたのか、エイクレア」

 

 寝起き特有の気だるい声だ。心なしか、しわがれている。


「それはこちらの台詞だ。そんなところで何をしている」

「足を乾かしていた」


 そういってゴドフロイは胡坐あぐらをかく。

 素足だった。

 昨夜――結局、ゴドフロイと異民族の戦士たちはすべての遺体を引き上げてしまっていた。

 ご丁寧にセレイン兵の遺体まで。

 足どころか全身が濡れていても不思議ではない。


「お前こそ、こんなところでよく寝られたものだ」

「考え事をしていてな。座り込んでいるうちに眠ったようだ」

「鎧をまとっていては体も心も休まるまい。まだ朝も早い。一度、天幕に戻るといい」

「そうさせてもらおう」


 そういってエイクレアはその場をあとにした。

 エイクレアは自分の天幕へ戻る途中、作業の進捗の確認と状況の把握に努める。

 街道の修復、歩哨の配置、斥候からの報告、先遣隊に割り振られた物資の備蓄、戦死者の搬送準備――。

 なにも問題はない。

 エイクレアが眠っている間に、ゴドフロイがうまくやったようだ。


(そういえば、あの焚き火もゴドフロイが用意したのだろうか)

 

 エイクレアは火など起こしていなかった。


(今更ながら気がつくとは、やはり本調子ではないな)

 

 天幕に入ったエイクレアは鎧を外していく。

 一人で着脱する場合、それなりの時間を要するものだが、エイクレアは本職の騎士だ。戦時にのみ兵役につくような百姓兵とは違う。そこは手馴れたものだった。


 エイクレアは汚れた下着を脱ぎ捨てると、桶の水に布を浸して身体を拭いた。

 線は細いが、その肉体はよく鍛え上げられていた。

 しなやかに割れた腹筋、動くたびに隆起をみせる背面の筋肉は、鋼のような堅さよりもむしろ、柔軟性や弾力性を感じさせた。

 エイクレアは眉をひそめて下腹部に手を伸ばす。

 それは戦士としては不要な痛みだった。

 

 神がいるのならば問いたいものだ。

 何故、女にかような痛みを与えたもうたのかと。

 産みの苦しみの予行とでもいうのだろうか。

 産むときに苦しいのなら、せめて産みもしないときの苦しみは男に与えてやれと思う。

 不公平ではないか。

 男に比べて女の筋力が劣っているのもそうだ。

 女は弱い。

 弱いからこそ戦う意思を示さねばならない。

 戦わなければなぶられる。

 そして、戦うからには強くあらねばならない。

 それは矛盾だ。

 自身を鍛えれば、並みの男には勝てる。

 しかし、同じだけ鍛えた男には到底勝てない。 

 戦う必要性があるというのに敗北という結果が決定付けられている。 

 まるで理不尽だ。

 女が男に勝る部分もあるにはある。

 痛みと出血に耐性を得ているのは間違いなく女のほうだ。

 戦いに関して女のほうが優れているのはそれくらいだろう。

 だがしかし、痛みも出血もすでに負傷した状態ではないか。

 そんなことを前提にした優位性になんの意味がある。

 神よ、女を馬鹿にするのも大概にしていただきたい。


 エイクレアは使い終わった布を乱暴に投げつけるのだった。



 ◇



 ……――燻る焚き火の前で、エイクレアの背を見送ったゴドフロイは立ちあがる。

 裸足のまま歩いて街道の縁に立つと、おもむろにを出して手を添えた。

 朝ということもありそれは雄々しくもたぎっている。

 昨晩の疲れも影響しているのかもしれない。

 脱力し、中空に描かれるは放物線――。


 思えば男にとってこれは最大の弱点だ。

 人類の半数はこれを蹴られただけで死ぬだろう。

 体外に臓物をぶら下げているに等しいのだ。

 古来より戦いは男の領分とされてきた。

 それは人間が防具や道具を発明するずっと以前からそうなのだろう。

 ならば、古代人たちはきっと全裸で戦っていたに違いない。

 片方の手で股座またぐらを防御し、もう片方の手で木の棒を振るう、あるいは石のつぶてを投げ合ったに違いない。

 神はどういうつもりでこのような形に男を創ったのだろうか。

 男の領分である戦いという行為と性器を露出してしまう男の身体構造は矛盾しているのではないか。

 まず、これを守るものが何もないというのがおかしい。

 心臓は胸板を厚くすることである程度は守れるだろう。頭は首を鍛えることで衝撃の緩和ができるし頭蓋はそもそもが堅い。

 しかし、最大の弱点である性器だけはなぜか守るすべがない。

 ここだけは鍛えようがないのだ。

 どれだけ他の部位を鍛えようとも、どれだけ時間をかけて強靭な肉体を得ようとも、ここを小娘に蹴られただけですべての努力が無に帰する。

 それはあまりにも理不尽ではないか。

 神よ、男を馬鹿にするのも大概にしていただきたい。 


(寝起きはいかんな。アホになる)


 ゴドフロイは自らの弱点を隠すと、天幕に向けて歩いていった。

 道中、歩哨たちの様子を見る。

 斥候からは周辺に敵影なしとの報告を受けていたが、そのせいで自軍がたるむのであれば本末転倒である。

 経過時間的にも緊張が薄れ、見張りの兵たちの集中が切れる頃合いだと踏んでいたのだが――。

 どうやらエイクレアが先に見回りに来ていたようだ。

 兵たちは適度な緊張を維持したまま任務に当たっていた。


(本当によくやる)

 

 女だてらに――などと言ってはエイクレアは怒るだろうが、ゴドフロイの目から見ても彼女の働きぶりは並みの騎士よりよほど優秀だった。

 もっとも、グウェリア帝国においては優秀でない騎士などいないのだが。

 それでもやはり、エイクレアの能力には特筆すべきものがあるだろう。

 俗人では持ち得ない個性を、エイクレアはすでに獲得しているのかもしれなかった。


 聖性カリスマ――。

 支配力と言い換えてもよい。

 その才能の片鱗はすでに示されている。


(すまない、ヴェルベド――だが、お前たちの死は無駄にはしない)


 報告によると、彼らの亡骸はウェルカーが連れて行ったらしい。

 自軍の往来がある街道上に死体を放置すれば疫病の原因にもなりかねない。

 衛生面から考えると適切な対応といえる。


(奴のことだ、そんな理由ではないだろうがな)


 ゴドフロイは戦友たちに想いを馳せながら、兵営の中へと消えるのだった。

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