第9話騎士の正道
騎士ゴドフロイは自責の念にかられていた。
ゴドフロイの怒号により鼓舞されたグウェリア兵たちは突撃を敢行。
街道上にかきあげられた土塁を突破し、セレイン兵たちを切り伏せ、撤退に追い込んでいた。
しかし――。
(この状況で勝ちを誇るほど、私は恥知らずではない……!)
街道とその周辺の湿地に倒れる無数の人々――そのすべてが死体であり、さらにはその多くがグウェリアの兵であった。
「無事か、ゴドフロイ」
騎士エイクレアが後ろから声をかけるが、ゴドフロイは振りかえらない。
「無事なものか、死なせすぎだ」
その語気からは、わずかに怒りが滲んでいた。
「正規兵の被害は軽微だ。街道も制圧できた。これ以上なにを望む」
皮肉ではない。エイクレアは現状を言葉にすることで、ゴドフロイに冷静になれと暗に
先遣隊であるゴドフロイたちの役目は軍路の確保、いわば露払いであった。
セレインにたどりつく前に本隊の兵力を損耗するわけにはいかない。
ましてや、ゴドフロイは帝国騎士である。それは戦時において常に
「いや、十分な戦果だ」
ゴドフロイは内心で、自身の感情の制御が不十分であったことを恥じた。
これは必要な犠牲であったのだ。
皇帝に忠誠を誓う騎士として、今回の犠牲――ひいては帝国の戦い方を否定することはできない。
(ならばせめて――)
ゴドフロイは哀悼の意を死者へとむける。
褐色の肌に無数の矢を受け空を仰ぐ剣兵。燃えるような赤髪を泥に浸した槍兵。数多の戦場を駆けては生き抜いてきた老兵。
多種多様な容相の亡骸がそこにはあった。
戦死者の多くはグウェリア兵だ。しかし、それは必ずしもグウェリア人であることを意味しない。
彼らはグウェリア帝国に侵略され支配された過去を持つ異民族であった。
奴隷、というわけではない。しかし、グウェリア人ではないために、戦いにおいて命の消耗を強要される立場にあった。
帝国が帝国である
民を統べるのが王であるならば、皇帝とはすなわち王を統べる者である。
この世界に皇帝はただ一人であり、皇帝にとって他国とは支配して
戦争という名の愚行は、支配という名の暴挙は、帝国にとって合理的かつ正当な統治にすぎない。
まさに暴君の理――であるにも関わらず、グウェリア人の大多数はこの行いを支持していた。
自国の利益となるからか――否。
純血主義に侵されているのか――否。
断罪を恐れて口をつぐむのか――否。
それは、ゴドフロイとて例外ではない。
皇帝に支配者としての資質を認めたからこそ、主君と仰ぎ、忠誠を誓っているのだ。
騎士とは将軍でもなければ宰相でもない。
騎士とは一振りの剣だ。
使い道は主君が決めればよい。
道徳、倫理、武功、それらはすべて装飾である。
人として非情である必要はないが、感情に流されて務めに支障をきたしてはならない。
自身の行動規範、あるいは思想の原拠――そこに、いついかなる場合でも主君を据えおくこと。それこそが騎士の本道であった。
「敵兵力に壊滅的な打撃を与えたとは言い難い。臨戦態勢のまま予備隊と工作隊の到着を待つ」
その迷いのない冷静な指示に、エイクレアは頷く。
「では、街道の保守は私が指揮をとろう」
ゴドフロイはその申し出に振り返ると、エイクレアの目を見つめた。
「頼む」
承諾の意を示し、後方へと退くゴドフロイ。
ゴドフロイが遠ざかるのを気配で感じ取ったエイクレアは静かにつぶやく。
「不器用な男だ」
喧騒が死をむかえ、静けさを取り戻した戦場で、エイクレアはただ微笑を浮かべるのであった。
◇
――流れる雲の切れ間から細い月が顔をだす。
夜行性の鳥獣らが目覚め、湿地帯が再びの喧騒につつまれるなか、闇をはらうための
先の戦いで疲弊し地面にすわりこむ者。静かに焚き木を囲ってつかのまの休息をとる者。街道上の土塁を撤去し、道を修復する工作隊。敵の奇襲に備え周辺を警戒する歩哨。そして、泥だらけになりながらも人間を担いで湿地を歩く異民族の戦士たちがいた。
彼らが背負っているのは遺体であった。戦闘が一時的に中断されているとはいえ、戦争行動を継続している状況下で遺体を回収するのは合理的とはいえない。その遺体のほとんどが異民族とあってはなおさらである。
野晒しにして
そんな常識に
(止められるはずもない)
泥の中を進んでいく一人の男をエイクレアは真摯な眼差しで見つめる。
(指揮官みずからが先頭に立っているのだから)
騎士ゴドフロイ――。
彼は壊れた甲冑を脱ぎ捨て、先刻から街道と泥地を何度も往復していた。その度に、湿地に倒れる影が一つ減り、街道上に戦友が一人帰還する。
すべての遺体を引きあげることはおそらく困難であろう。
そもそも回収したとして、どこへ埋葬するつもりなのか。この気温だ。損傷し、いまにも腐敗しそうな遺体をグウェリアまで運ぶわけにもいかない。どの道、故郷へは還せずこの地に適当に穴を掘って埋めることになるのだ。肉を腐らせるのが土か水かの違いでしかない。
亡者の魂を鎮める僧侶もおらず、宗教的な意味合いも薄い。ならば、いったいなんの意味があるというのか。労力の無駄ではないのか――。
そう考える者もいるだろう。
他の騎士がみれば失笑するかもしれない。異民族の死者を悼む暇があるのなら次の戦に備えるべきだと。
騎士エイクレアの目にはどう映るだろうか。ぬるい男の浅い偽善に見えるのではないか。
もしも、騎士ヴェルベドが生きていたならばどんな顔をするのか。きっと
ゴドフロイもそれは承知していた。
だからこそ、部下にも命ずることなく自身で行動しているのだ。その胸中には葛藤すらもない。騎士としての役目と皇帝への忠節、いずれにも支障なしと断言できていた。
異民族の戦士たちが逃げだそうものならその背に矢を射よう。裏切るのならば切り伏せもしよう。情を捨てねばならない局面ならば情を捨てよう。しかし、それはいまではない。いまこのとき、情を捨てて冷酷に振舞う必要などない。呆れるなら呆れろ。笑いたくば笑え。それで済むのなら何の問題もあるまい。
ゴドフロイの堂々とした態度が、そう語っているようだった――。
ゴドフロイは腰から抜いた片手剣を水面につきたてる。
死臭につられて肉食の大型爬虫類がやってきていた。
一突きで頭部を貫かれた猛獣は苦しむまもなく即死する。
その剣筋は精密で力強く、疲労の色は見られない。
(愚直な男なのだ)
エイクレアは目を閉じてゴドフロイを想う。
日々の鍛錬によって得られ体力、実戦で練り上げられた技量、強大な敵を前にしても臆することのない精神力、皇帝陛下への忠誠――騎士という称号を確かな存在として具現化した者。それがゴドフロイであるとエイクレアは確信していた。
戦闘狂のように貪欲に強さを求めているわけではない。自身ができることを常に考え、それを実直に行う。その結果として強さが付随しているのだ。
多少の才能にはすがらない、膨大な努力に裏打ちされた実力。誰にでも獲得できる可能性があり、誰もがあきらめる積み重ねという道程。その道を愚直に進み続ける男。
(それほどの男がなぜ……)
ゴドフロイの人柄と能力を正確に把握しているエイクレアだからこそ抱く疑念。
(騎士ゴドフロイ……
ヴェルベドだけではない。
ヴェルベドが馬の下敷きになっている間、あの怪物は多くのグウェリア兵を切り刻んだ。
しかし、それでもゴドフロイは動かなかった。
(あなたは私とは違う。私のような臆病者とは違うのだ)
畏怖。
そして、怯え。
たった半日前の惨劇――。
あの怪物がカークスの首をへし折ったとき、エイクレアは自身の足がすくむのを自覚していた。
目が合ったわけではない。殺意をむけられたわけではない。それにもかかわらず、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
人外の圧倒的な力を目の当たりにした。
種族の壁を思い知った。
ヘルムに隠された顔はひきつり、顎は震え、カチカチと鳴りそうになる歯を必死に食いしばった。
覚悟を決めるころには騎士ヴェルベドは死んでいた。
あまりにも遅すぎた。
未熟。
無能。
それを取り繕うとする卑劣さ。
(私に騎士としての資格はない)
騎士とは守護者だ。
己の生命の危機を理由に逃げ出してはいけない。
自身の生存を優先するということは、守るべき他者の命を捨てることに等しい。
強大な敵を前にしたとき、状況によっては、あえて戦わないこともあるだろう。
しかし、それは戦わないという選択であって、戦えないという心境ではない。
強者たる敵に挑み敗れることはあっても、己の心に敗れて自らを弱者に貶めることなどあってはならないのだ。
仲間を守るために真っ先に駆け出したヴェルベドは間違いなく本物の騎士だった。
(私は偽者だ――)
それは、己で認めた事実。
(だが――)
だからこそ、わかる。
(貴方は本物の騎士だ――ゴドフロイ)
その、誰もが認めている事実を前に、エイクレアの疑念は大きくなるばかりだった。
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