第8話兆し
怪物の逃走を見届けた剣士――ウェルカーは騎士のもとへと駆けよる。
「ご無事ですか、騎士ゴドフロイ」
「貴様ほど重傷ではない。怪物はどうした」
強がりを見せるゴドフロイだが、誰の目から見ても満身創痍であった。
ウェルカーの手を借りて立ち上がる。
「騎士エイクレアの矢を受けたようですが――」
「逃げられたよ」
戻ってきたエイクレアがウェルカーの言葉を
「背に矢傷を負いながらよろめきもしない。深く刺さったはずなのだが」
無表情に語るエイクレアだが、弓を握るその手は悔しさに震え
ゴドフロイはエイクレアのもつ弓に目をやる。
「その弓は」
「カークスのものだ。奴のおかげで一矢報いることができた」
「そうか」
ゴドフロイはあらためて状況を確認する。
街道上には無数の骸、あるいは肉片が散見される。
部隊の指揮権を有していた騎士ヴェルベド。
いずれはグウェリア随一の弓士になっていたであろう騎士見習いカークス。
他にも、将来を有望視されていた帝国兵たちが無差別に転がっていた。
戦死者多数。
見返りも何もない。
ふらりとやってきた一匹の怪物に、ただ一方的に蹂躙された。
その事実に、ゴドフロイは静かに憤る。
「追いましょう。いまなら倒せるかもしれない」
「貴様の部下はどうした」
「
「ならばやめておけ、手傷を負ったのは我々も同じだ。戦力が足りん」
ウェルカーの提案をゴドフロイは却下した。
ゴドフロイに視線を向けられたエイクレアもそれに同意する。
「この地はあの怪物にとって庭のようなものだ。追ったところで喰われるだけだろう。それに――」と、エイクレアは骸に視線を移し言葉をつなぐ。「伝令兵と衛生兵が全員やられている。どうやら、あの見てくれで知恵もあるらしい」
その指摘にゴドフロイは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。
「ウェルカー、貴様は負傷者をまとめて後方の本隊へ合流しろ」
「負傷者、ですか――」
ゴドフロイは生存者たちに目を配り、ウェルカーの言わんとすることを察する。
ウェルカーをのぞけば全員が無傷であった。
選別されている――。
あの怪物は殺すに値する敵を選別しているのだ。
殺意の眼差しを向けられた者は死に、生き残った者たちはただ相手にされなかった――それだけのことだった。
死神め。
内心で吐き捨てたゴドフロイはウェルカーに命じる。
「戦意を喪失した新兵たちも負傷者に数えろ」
「わかりました」
これはゴドフロイの気遣いでもあった。
負傷したウェルカーを残すわけにもいかず、かといって、ウェルカー一人を本隊に帰しては戦線離脱の不名誉をあたえることになる。
彼の身分と境遇を案じてのことだった。
「エイクレアは私と共に前線で指揮をとってくれ」
「了解した」
ゴドフロイは元来、後方に隠れて指揮をとる性分ではない。
騎士ヴェルベドのやり方に合わせていただけだ。
自分の本領は前線でこそ発揮される――そう自覚していた。
ゴドフロイは前線に
「お待ちください、騎士ゴドフロイ」
引き止めたのはウェルカーだった。
ウェルカーはゴドフロイに歩み寄ると、自身の持つ片手半剣を差しだす。
砕けた剣の代わりにと。
「要らぬ世話だ。予備武器は所持している」
ゴドフロイの馬には槌と片手剣がさげられていた。
「では、それらが壊れたときの予備としてお持ちください」
食い下がるウェルカーにゴドフロイは呆れた様子をみせる。
「仕方のない奴だ。だが、貴様はどうする」
「剣なんてその辺に落ちてますからね。なんなら新兵からまきあげますよ」
屈託なく笑うウェルカーにゴドフロイは応える。
「貴様の愛剣、大事に使わせてもらう」
「あげてませんよ。あとで返してください」
「わかっている」
ゴドフロイは了承し、馬を走らせた。
併走するエイクレイアがその顔をのぞき見る。
「随分と嬉しそうじゃないか」
ゴドフロイは
「やかましい」
自らが進むその先を、馬上から見つめる二人。
空は暗く、風は血の匂いがした。
◇
黒鱗の戦士は湿地林の木陰に身をひそめ、追っ手がかかっていないことを確認する。
(追ってこられるはずもないか)
湿地林やその周辺の泥沼に、重量のある鎧を着て進入するのは自殺行為に等しい。
また、鎧を捨て強行するにしても相手が悪かった。
亜人の
それが可能なのは例の剣士くらいだろうが――あの様子では満足に戦えるはずもない。
(私も
黒鱗の戦士は自身の背に意識を集中した。
背の中心からやや左寄りに痛みを感じる。
一本の矢が
幸いにも強靭な筋繊維が壁となり、臓腑には達していない。
腕のよい弓兵だった。
黒鱗の戦士は、背に矢を突き立てた騎士ではなく、街道上で最初に殺めた若き弓兵を
弓兵の能力は黒鱗の戦士にとっても誤算であった。
通常、速射と命中は互いに反する関係にある。片方を重視すれば片方が
(グウェリア兵は化物揃いだね)
黒鱗の戦士は背に生えた矢を握ると、親指を支点にして中ほどからへし折った。
握力に屈した矢の半分が水面に落ちる。
それを合図としたかのように黒鱗の戦士は動きだした。
泥の抵抗をものともせず草木をかきわけて周囲を探る。そして、とある植物をみつけだした。
深緑の
人間のつけた学術名などは知らない。ただ、バシリスカスの民たちはこう呼んでいた。
コカトリスの祝福――。
それは、その昔、ある竜人の王が崩御したさいに、その亡骸から芽生えたとされる巨大な多年草であった。
黒鱗の戦士はその大きな茎を
茎の断面から植物細胞が粘性の液体となって溢れだし、黒鱗の戦士の指をつたった。
黒鱗の戦士は背に残る矢をつかむと、力を込めつつも慎重にそれを引き抜いた。
筋肉を意図して引きしめ、流血を抑える。
そうしてから、採集した乳液を傷口に塗りこみ、傷口に葉をあてて手で押さえた。
駆血である。
黒鱗の戦士はそのまま身じろぎひとつすることなく静止すると、ゆっくりと目を閉じた――――。
――――目を開くと、世界が燃えていた。
世界を茜色に染め上げるのは灼熱の炎。
木の香る住居、黄金色に輝く水田、平穏な暮らしを望む民。
すべてが燃えていた。
逃げ惑うものはいない。
生きている者はいない。
屈強な戦士も、非力な女も、なにも知らない子供も――。
こうなる以前より、この国はすでに滅びていた。
遥か昔の戦いにより、多くの民は死に、領土は分割された。
それでも、生き残った者たちはあきらめなかった。
国を再興する。
ただその一心で、人間の立ち入らぬ湿地に今一度、村をつくり、田畑を育て、復興の
それがいま、燃え尽きようとしている。
一から始めたそれが
止めるすべはない。
これほどまでに感情が昂り、殺意の衝動にかられていても身体は動かない。
己もまた切り伏せられているからだ。
すでに死んでいるのだ。
やがてはこの魂も燃えつき、灰となるだろう。
この渦中、平然と地に立つ者たちがいた。
グウェリアの騎士、そして――――。
――――黒鱗の戦士は過去から目覚める。
夢ではない。
空想ではない。
確かにあった現実――。
しかし、それはすでに過ぎ去り、現在する自分が干渉できるものではない。
黒鱗の戦士は重い足取りで歩き始めた。
そして、かつて暗闇で出会った一人の青年を思いおこす。
空想の果実を描くな――それは、青年への助言のつもりであった。
そこには何もないからと。
現実を見据えるべきなのだと。
では、己が時折回想しているこの記憶はなんなのだろうか。
過去への回帰は現実を忘れ、立ち止まる行為に他ならない。
そこには癒しも慰めも未来への望みもない。
何の役にも立たないのだ。
生きていくためにはむしろ足枷であった。
では、無意味なのか。
なくしたものを想い、奪った者を憎む。
この行為に意味はないのか。
――否。
意味はある。
これは清算なのだ。
奪われたから奪いかえす。
やられたからやりかえす。
失ったものは元には戻らない。
だからこその純粋な
この記憶は忘れてはならない。
この痛みを忘れることはできない。
――ならば復讐だ。
なんどでも想いかえそう。
原点を回帰しよう。
そうすることでこの激情はさらに燃えあがるのだから――。
黒鱗の戦士は足を止め、泥に塗れた大剣を拾いあげる。
そして、渾身の力でそれを振りぬいた。
泥が払われ、あらわになった
それは、ひどく傷ついていた。
黒鱗の戦士は再び歩みはじめる。
未来ではなく過去にむかって――。
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