第7話黒鱗の怪物

騎士見習いのカークスは退屈していた。

 よわい十六。

 軍属の家系に生まれた彼は、幼少期より戦技の修練に励み、特に弓の扱いにおいては帝国でも十指に入る腕の持ち主だ――と自負していた。

 セレイン王国との戦争が始まり、職業軍人として華々しい活躍をしようと意気込んでいたものの、与えられた任務は見張り役。地味な初陣であった。

 

(とんだ僻地にきちまったな)


 帝国領内での行軍は住民たちからの歓声もあり、それなりの誇らしさと高揚感を得たものだが、いざ、帝国の外へ出てしまうとその心情はがらりと変わっていた。

 焼け落ちた農村、破壊された遺跡群、廃墟を進んでやってきた先はなんとも暑苦しい湿地帯だった。

 湿った空気にせわしない渡り鳥の鳴き声。よくわからない虫が飛び交い、街では見かけない獣が徘徊する。

 夜だってまともに眠れやしない。

 率直にいまの心境を語るなら――萎え、である。


(そもそもこんなところを見張る必要があるのか?)


 視界には湿原が広がっている。植物の背丈は比較的低いようだが密集している。地面も浸水していた。踏み込めば移動速度の減衰は必須。そこをのん気に歩いてくる者がいるとすればただの的だ。

 そもそも湿原の向こうにある湿地林を集団で突破できるとも思えない。

 斥候の話では湿地林周辺はとても人間が活動できる環境ではないという。無理に通れば、植物に絡んで身動きが取れなくなるか泥沼に沈むのが関の山らしい。

 それを報告した斥候たちも、指揮官様に叱責されて再び森に入ったきり帰ってこない。


 そんなことを考えながらカークスがぼんやりとしていると、ふと湿原の草が揺れた。

 風に撫でられたような揺れではない。

 カークスが注意深く観察しようと目を凝らしたとき、それは起こった。

 

 突如として茂みから大きく黒いなにかが飛びだして水面にたたずむ渡り鳥を襲ったのだ。

 トカゲのような猛獣は渡り鳥の長い首に噛みつき、血潮を撒き散らしながらそれを捕食する。

 水面が赤く染まった。


(うへぇ……グロッ……)


 街育ちのカークスとはいえ鳥獣をめた経験くらいはある。

 それでも、それは合理性が追求された技術、平たく言えばスマートなものだった。自然界の野性味溢れるそれとはまるで違っていた。

 

 黒い獣はなにが気に入らないのか、獲物を捨てて早々に茂みに身を隠した。

 カークスは自然界の強者が生命を蔑ろにする姿に軽く衝撃をおぼえる。


(全部食わないんだっ……! あのトカゲ、食い散らかしてどっかいきやがった)


 カークスは草の揺れを眼で追ってトカゲを補足する。

 一見、どこへ向かうでもなく不規則な動きに見える――のだが。

 カークスは一定の時間経過ごとに目測でトカゲとの距離を測った。

 それは徐々にだが、確実に近づいてきていた。

 

(おいおい、冗談じゃねぇぞ)


 カークスは弓に矢をつがえる。

 

「西側から猛獣! 近づいてきます!」


 他の見張りも気づいたらしく報告の声が上がる。

 

 カークスは集中し、流れをよんだ。

 風の向き、強さ、獲物の動き、自身の鼓動。命中に導くためのあらゆる流れをよみ、矢を射るタイミングを見極める。

 ギリギリと弦が軋む。瞬きはしない。


 いま――。


 強弓から放たれた矢がまっすぐ獲物に吸い込まれていく。

 矢が指先から離れた瞬間にはすでに命中を確信していた。

 弓の名手だけが感じられる必中の前触れを、カークスは確かに得ていたのだ。


 数瞬後、獲物は速度を落とすことなくこちらに近づいていた。

 

「へったくそー、帝国一の射手になるんじゃなかったのかー!」


 同僚から野次が飛ぶも、カークスの耳には届かない。


(外した? 茂みの中に遮蔽物でもあったのか)


 冷静に次を構える。

 

(茂みの切れ間を狙う――)


 獣が姿を晒すと同時にカークスは矢を放った。

 目視で命中を確認する――弾かれた。

 獣の背にあたったと思った矢先、間の抜けた金属音が響いてあらぬ方向へ矢が跳ねた。

 

 この光景をみた全員の顔が引きつった。そして、弓を手にしている兵は我にかえった者から順に矢を射かけた。


(なんだあの怪物はっ!)


 全身を覆う黒く艶やかな鱗。

 尾をのぞいても二メートルを優に超える巨躯。

 這うというよりは、四脚で大地を蹴り、つかみ、引き寄せ、抉るように進んでくる。


 カークスは驚愕しながらも、矢を放つことをやめない。すでに五本放って五本命中させていた。

 しかし、迫りくる怪物に効果はない。

 そして、さらに次の矢を構えてから気がついた。


「近すぎる――!」


 次の瞬間、怪物は跳躍し、一息にカークスの目前に降り立った。

 二本の脚で立つその姿にカークスは恐怖する――が、戦意は喪失していない。鱗が矢を弾くなら鱗のない部分を狙うまで。

 怪物の目を狙い至近距離で矢を放つ。

 怪物は狙いをよんでいたかのように長い首を素早く傾けてそれをかわすとカークスの頭をつかんだ――。

 

 ――カークスが目を開けると、そこには灰色の空が映っていた。

 身体に痛みはないが、なぜか力は入らない。

 聞こえてくるのは仲間たちの悲鳴。

 なにがどうなったのかはわからない。

 

(初陣にしてはきついな)


 カークスの意識はそこで途絶えた。 



 ◇



 (弓にこだわりすぎたな、若者よ)


 黒鱗の戦士は弓兵の首をへし折ると、その身体を向かってくる騎士に投げつける。

 三騎のうちの一騎――指揮官とおぼしきヘルムを外した騎士が馬とともに駆けだしていたのだ。 

 死にいく弓兵は騎士の乗る馬に見事命中し、その脚を折る。

 落馬する騎士。

 暴れる馬がかぶさるように邪魔となり、体勢の立て直しにはいささかの猶予が必要であった。

 その間、黒鱗の戦士はグウェリア兵を蹂躙する。殴って蹴って投げつける――兵士たちはこの単純で単調な暴力にいともたやすく倒されていく。

 騎士が馬の喉もとを切り裂いて脱出した頃には、黒鱗の戦士は両手に武器を手にしていた。

 二振りの片手剣がグウェリア兵をなで斬りにしていく――それほどの切れ味を持たぬはずの剣が、ただの力任せに人間の肉を断ち切る。

 騎士は雄たけびをあげて黒鱗の戦士に突撃した。

 黒鱗の戦士はたったいま両断した人間の下半身を蹴りあげる。

 臓腑をこぼしながら飛んでくる肉塊を避ける騎士だが、続けざまに投擲された片手剣に、鎧ごと胸を貫かれて絶命した。

 ここでようやく、残る二人の騎士が動く。

 無論、騎士道精神よろしく一対一の戦いが終わるのを待っていたわけではない。

 

 (試金石――私の動きを見切るためにあえて観察に徹したか)


 馬上に利がないことを悟った騎士二人は下馬して黒鱗の戦士の側面を挟むように駆けた。的を絞らせないように巧みな動線を描くその足は金属鎧の重さを感じさせないほどに速い。

 黒鱗の戦士は、二人の連携攻撃の間をずらすべく移動するが、騎士たちは絡みつくようにそれに追随する。

 それならばと、黒鱗の戦士は自ら騎士の片割れに迫り剣を振るった。しかし、二合三合と切り結ぶも騎士は防御と回避に徹し、その間にもう一人の騎士が黒鱗の戦士の側面より斬りかかってくる。

 攻防が入れ替わり、一本の剣と人外の体捌たいさばきで凌ぐ黒鱗の戦士だったが、やがて、大きく跳躍して距離をとった。

 

 (さすがに手強い)


 人外の膂力りょりょくを受け流す技巧、戦闘継続の体力、そしてなにより、二人はたがいの死線を潰すように連携をしていた。

 指揮官と思われていた騎士より戦闘の技量は上に違いない。


 「仲間を見殺しにするとは随分と冷たいじゃないか」


 返答はない。

 それならば、さっさと逃げよう。すでに十分暴れたのだ。使命は果たしている。

 そう考え、黒鱗の戦士が身をひるがえそうとしたとき、騎士の一人が口を開いた。


 「仇を前に逃げるのか?」

 

 壮年の男の声に、黒鱗の戦士は己の血が沸き立っていくのを感じた。


 「貴様はあの貧相な村の生き残りであろう。あれで一国のつもりとは片腹痛い」

 

 突如として地が爆ぜた。

 それと同時に黒鱗の戦士は騎士に肉薄する。


 (やろうではないか――)


 二人の視線がぶつかり、息を吐かせぬ猛攻が始まった。

 怒りをぶつけるように剣を振るう黒鱗の戦士と、それをいなし受け流すように剣を交える騎士。重い金属音が連続して鳴り響き、互いの剣は火花を散らしながら削れていく。


 怒りに身を任せる黒鱗の戦士の背中をもう一人の騎士が狙う。

 しかし、黒鱗の戦士はそれをよんでいたかのように尾を振るった。

 背後より迫った騎士は逆に虚をつかれた形となり、加速した尾に側頭部を打たれて地面を転がる。

 黒鱗の戦士の身は怒りに震えていたが、その心は冷静そのものだった。


 (我らバシリスクの民は古より怒りを糧に戦ってきた。怒りを御す術は心得ている――のまれることは断じてない)


 黒鱗の戦士の猛攻は止まない。

 凄まじい技量でそれを受け続ける騎士であったが。鎧は所々破壊され、剣はぼろぼろに欠けている。

 損傷を分散させる技術は神業といっても過言ではないが、もう後がない。

 限界は近づいていた。


 バンッ――!


 一際大きな音が鳴り響いた。

 それは、金属の破断音だった。 

 黒鱗の戦士の攻撃を受け流せなくなった騎士がそれを正面から受け止めたのだ。

 砕け散る剣の欠片がくるくると宙を舞う。

 対する黒鱗の戦士の剣は、騎士の剣を破壊した後も振り抜かれ、騎士の鎧をかすめる。

 これまでの疲弊と剣戟の衝撃により騎士の動きは鈍くなっていた。

 黒鱗の戦士は騎士にとどめを刺すべく、剣を自らの腰にひきつける。

 

 剣閃――。


 放たれた一撃は騎士に届くことはなかった。

 黒鱗の戦士の剣もまた砕け、宙に散る。

 

 二人の間には一人の男が割って入っていた。


 「やってくれたな糞トカゲ――」


 黒鱗の戦士は反射的に後ろに跳んで距離をとる。

 男は片手半剣を下段から振り上げた姿勢で息も絶え絶えに言った。


 「俺の名はウェルカー。さあ、姿を晒してやったぞ――殺してもらおうか」


 それは、湿地林の向こう側で黒鱗の戦士に敗れた剣士だった。


 (やはり生きていたか)


 黒鱗の戦士は男の息遣いから彼が内臓か骨を痛めていると推察するも、戦闘はこれまでだと判断し、駆け出した。

 逃走である。

 

 目を見開く剣士を尻目に、手にした剣の残骸を明後日の方向へと投げつける。それは遠巻きに戦いを見ていた一人の兵士の首に命中した。

 

 (案山子のように立っているだけなら死んでいろ)

 

 黒鱗の戦士は湿原に降り立ち、激しい水音を響かせながら疾走した。

 人間が追いつける速度ではない。


 街道上、グウェリア兵たちが呆然とそれを見送る中、立ち上がる者がいた。

 黒鱗の戦士に側頭部を打たれて転倒した騎士だ。

 ヘルムが地面に落ち、騎士の美しく輝く金色の髪が風にゆれる。

 騎士は歩きながら地に立つ一本の矢を引き抜く。続いて、血に塗れた強弓を拾い上げると、矢を番え弦を引き絞った――。

 

 「あたれ」


 放たれた矢は黒鱗の戦士の背に吸い込まれ――貫いた。  

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