グウェリアの騎士
第6話戦士の分
曇天の空の下、人々は叫喚する。
飛来する数百の矢と幾重にも鳴り響く
血と土の混ざる泥に突っ伏す体躯、天を仰ぐ首。
生者は人の骸を踏みしだき、乗り越え、自らもまた骸となりて踏みしだかれる。
右を向こうが左を向こうが景色は同じ。人々の有様は血反吐をはくか血飛沫をあげるかの差異しかない。この場において、人と人との邂逅はどちらかの死を意味していた。
セレイン王国とグウェリア帝国の開戦から一ヶ月。国力で大きく勝るはずの帝国軍の侵攻は緩衝地帯である旧バシルコック自治区で食い止められていた。古にはバシリスカスとよばれる竜人たちの都が栄えたとされ、今もなお、その名残が遺跡群として点在している。地勢はセレインに隣接する北の湿地帯とグウェリアに隣接する南の農村地帯に大別でき、農村地帯は開戦以前におけるグウェリアの暴挙によってすでに滅んでいた。
湿地帯某所――。
いまここに、一人の亜人がたたずんでいる。優に2メートルを超えるであろう身体は黒い鱗で覆われ、手にはその巨躯に相応しい一振りの大剣が握られていた。
周囲に武装した人間の骸が折り重なり、おびただしい量の血が大地を染めあげている。
カンッ――。
どこからか飛んできた矢が亜人に命中し、弾かれた。体表に整然と並ぶ黒鱗に矢が通る隙間はない。
亜人はすかさず射手をその眼に捕らえると、身体を前に傾けて尾を持ち上げた。重心が進行方向に大きく移動し、倒れこむと思われた瞬間――疾走。
大地を蹴る音が鳴り、初速から猛烈な勢いをみせて射手に迫る。
射手の顔に焦りはない。それどころか、覚悟を決めた表情で弓を捨てると腰の剣に手を伸ばした。自然体で剣を構える姿は一介の弓士にはみえない。おそらくは剣こそがこの男の本分なのだろう。
亜人は減速することなく駆け抜け、すれ違いざまに大剣を振るう。
瞬間的に空気が裂かれて局所的な気流が発生した。
空振りだ。
攻撃をかわされた亜人は旋回し、再び男に突進する。
今度は間合いの外から跳躍し大上段から剣を叩きつけた。重量のある大剣が大地をえぐる。
男はすかさずカウンターで斬りかかるが、亜人は大剣の柄から片手を離すと、その手で男の剣をたやすく弾いた。黒鱗によってではない。亜人の手には手甲が装備されていた。
男は力任せではない亜人の確かな技量に驚くも、うろたえることなく一歩を踏み込み、返す刃で亜人の首を狙う。
亜人はもう片方の手も柄から離して後ろに倒れこむことでかわすが、無防備に腹を晒した姿は男にとっては好機であった。
亜人の体勢は崩れている。倒れいく状態で攻撃をかわすことはできない。
男はすかさず逆手に持ち替え亜人の胸をめがけて剣を突き立てた。
途端、男の体は宙を舞い、落着と同時に地面を転がる。
亜人の体勢は崩れてなどいなかったのだ。太くたくましい尻尾を脚の代わりとして自らの身体を支え、仰向けになりながらも男を蹴り上げていた。
確かな手応えを得た亜人は悠々と上体を起こす。
目の前に突き立つ自らの大剣を引き抜くと、とどめを刺すべく男の姿を探した。
しかし、周囲を見渡すも男の姿はどこにも見当たらない。植生に紛れて潜んでいるのか、あるいは逃走をしたのか。亜人はしばらくその場にたたずみ様子をうかがい、やがて、「姿を晒さないのであれば戦うに値せず」と言い残してその場から立ち去った。
それはどこか平坦で、抑揚のない女性の声だった。
◇
人は濡れた地面より乾いた地面を好む。
それは、活動上の制限や衛生観念、敵性生物の存在などに起因した合理的な
そして、湿地帯の面積のほとんどは湿原、泥地、沼地などに占められており、本来であれば人が楽に往来できる道のりではない。故に、軍馬、兵站、兵器等が運搬できる道程はおのずと限られ、広大な湿地帯での戦闘はかえって局地的になりやすかった。
そのような事情から、グウェリア軍の選択した侵攻路は実に単純明快であった。
旧バシルコック自治区を中継としてグウェリアとセレインを繋ぐ交易路――先人たちの長きに渡る労力により、埋め立てられ整備された街道である。戦争の兆しと共に部分的に破壊、または封鎖されたそれを修復しながら侵攻しようというのだ。障害物の除去や修復の手間がかかるとはいえ、埋め立てられている分、それなりの高所となり見晴らしが良く、軍が通過した後はそこがそのまま退路となる。さらには街道の下に広がる湿地植生群はそこを歩む者の足かせとなるため、地の利はやはり、街道上にあった。ならば、互いに街道に陣をとるのは必須。セレイン、グウェリアの両軍は正面からぶつかることとなった。
主戦場から外れた湿地林を黒鱗の戦士は進む。枝葉を掻き分け、グチャグチャと泥を踏み鳴らしながら先ほどの戦闘を反芻する。
黒鱗の戦士からみてもあの剣士の腕は相当なものであった。自分が勝てたのは何故か、次に会ったときは勝てるのかを考える。
そして――。
(無理だな……あれには勝てない)
早々に結論をだす。
勝てたのはあくまで自分に人間との戦闘経験があり、相手に亜人との戦闘経験がないからだ――と。
周辺諸国では亜人の数は少ない。つまり、人間は亜人の身体能力、手足の稼動域、その他諸々を体感として把握できていないのだ。初見の戦闘で亜人が優勢になるのは当然といえば当然だった。武に才がある者ならば、次からは亜人の特性、とりわけ尻尾の動きも視野に入れてくるだろう。
それでも、黒鱗の戦士はグウェリアの剣士を初見のうちに殺しきるべきだったとは思わなかった。
彼らは分隊規模で行動していた。であるならばその目的は偵察か陽動。剣士の仲間はすべて殺しているし、蹴り上げた感触から剣士自身にも重傷を負わせたと確信している。その状態で何ができるとも思えない。下手に探しだして不意打ちや捨て身の攻勢を受けては眼も当てられない。なにより、主から命を受けている身だ。突発的な遭遇戦で時間を失ったのは仕方ないにしても、それ以上の寄り道はできなかった。
黒鱗の戦士はそこでふと考える。
あの剣士たちも自分と似たようなものなのかもしれないと。
剣士とその仲間たちはグウェリア兵ではあったがグウェリア人ではなかったのだから。
黒鱗の戦士は思考をしながらも黙々と歩みを進める。やがて、湿地林の木々は徐々に数を減らし、視界が開けてきた。
身をかがめて様子をうかがう。
前方に湿原が広がり、その向こうには街道が見える。
黒鱗の戦士は大剣を置くと、するすると木に登った。ある程度の高さまでくると幹にしがみついたまま、顔だけをのぞかせる。
街道上では数名の歩兵が湿原を見渡していた。陣という陣は見当たらないが、上等な甲冑を着た騎兵たちが見える。その数は三騎。視認性を高めるためか、一人はヘルムを脱いで脇に抱えている。黒鱗の戦士はその騎兵に焦点をしぼった。やがて、伝令と思われる兵が騎兵の前で膝をついて礼を取る姿が確認できた。
(あれが指揮官か)
黒鱗の戦士が
本来であれば前線での戦いで本領を発揮する巨躯だ。斥候には向いていないし、陽動まで一人でこなせとはなんとも無茶な命令に思われる。
だが、命令を受けた当の本人は内心で主の采配に感心していた。
自分には誰よりも土地勘があり、湿地帯の環境に適した肉体も備わっている。単独行動も自分と同等の能力を持つものがいないためだ。ぞろぞろと金魚の糞を連れて足をひっぱられるよりはずっとマシだった。
黒鱗の戦士はあらためて前方を見渡す。
湿原は広く街道まではかなりの距離がある。一息に駆け抜ける、というわけにはいかない。近づけば必ず発見される。よしんば街道に躍り出たとしても包囲されて殺されるだろう。雑兵相手であれば蹴散らす自信もあるが、騎乗しているのはおそらく帝国騎士だ。戦闘の達人が少なくとも三名。普通なら撤退するところではある。
しかし――。
『敵の本陣を見つけ出し、可能であれば暴れてこい』
黒鱗の戦士は主の凛とした声を思い返す。
『可能であれば』というのは『暴れてこい』を補助する言葉だ。当然その意味は暴れることが可能なら暴れてこいという意味だ。
『生還』が可能であればという意味ではない。
ここで自分が死ねば斥候として得た情報が失われるとか、生還できそうにないから引き返す――などといった裁量権は与えられてはいないのだ。
(やれやれ……)
黒鱗の戦士は奴隷としての
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