第5話選択

 暖かな光が私の裸体を照らす。私にもう少し筋肉が残っていればコントラストが強調されて映えるのだが、あいにくと痩せ衰えた今の肉体では肋骨の陰影が浮き彫りになるくらいである。

 そんな私を眺めながら二人は商談を進める。

 

「病気は持っていないようね。浮浪者の中には獣と交わる者もいると聞いていたけれど」

「この者に限ってそれはないでしょう。出自に関することをのぞけば言動はいたって常識的です」

「そうね、けれどやはり小さいように思うわ」

「男娼をお求めで?」

「答える必要があるのかしら?」

「いいえ、ただ、私としてもお客様のご要望に適わぬ品を提供してしまっては信用を落としますので。以前ご購入いただいた――」

「アルヴ族の男ね」

「はい」

「あの男はまた随分と小さかったけれど、知っていたの?」

「直接は見ておりませんが、長命な種は性欲が希薄であったり生殖機能が退化している場合がほとんどですので」

「長命で子沢山となると飢餓に苦しむだけだもの。生き物というのは本当によくできているわ」

「はい」

「なんにせよこちらの落ち度よ。あなたが気にする必要はないわ」

「恐れ入ります」

「ただ、そういうわけだから今回は念入りに確認をさせてもらうわね」

「もちろんです」


 これ以上、いったいなにを確認するというのだろうか。この世界での私の経歴はハミルの口から語られ、生体に関しても、今まさに一糸まとわぬ姿で局部を晒し、男として不名誉な評価まで頂いた。既にこちらが開示できる情報は尽きている。しかし、女に買われるためには後一押しが必要らしい。私がどのようにアピールをすべきかと思案していると彼女と目が合った。

 

「おこしなさい」

 

 女がいった。明らかに私に向けた言葉だが、その意味に心当たりがない。

 

「それを、硬くしなさい」


 私は察した。そして、返事も行動もできずただ固まってしまった。

 

「その小さなものを大きくしなさい」


 もはや言い回しの問題ではない。彼女の要求はつまり性器のイレクションなのだ。それは理解した。だが、それを実行するには勇気が必要だった。既に全裸を晒しているくせに何を恥じらい何を抗うのかと自分でも思う。しかし、なんともおかしな話だが、ただ裸を見られるのと勃起したそれを見られるのでは心情が全く異なるのだ。裸を見られるという行為は受動的でこちらに非はない。しかし、勃起とは性交をしたいという意思表示であり能動的な変化である。私自身に色欲が介在しなければ成立しないのである。生物である以上、交配は欠かすことのできない重要なファクターだ。それを否定し恥らうほど私も幼くはない。生殖行為大いに結構、子孫繁栄万歳だ。だが、いま私が求められているのは性交セックスを前提とした勃起ではない。相手がいない。それはつまり自慰オナニーを見せろと言われているに等しい。自慰なんて誰でもすることだ、だから気にするな――とはならない。自慰がもたらす多幸感、ストレスケア、そして、性犯罪防止の観点からもなんら恥ずべきではないだろう。人々は自慰に対して卑屈になる必要はない。しかしそれは、あくまで人知れず行うものだ。公に見せつけてやろうというのはいかにも変態的な趣向ではないか。

 いや、よく考えると、これは自慰ですらない。射精を前提としていないのだ。ただ目の前の女に見せて評価をもらうためだけに勃起しなければならない。己に自信があるわけでもない、むしろ、目の前の女からは小さいと酷評をされている身だ。そんなことできるはずがない。

 

「デキません」


 あくまで平静に答える。私はこの試練から逃げだすことを選択した。


「どうしてかしら」


 どうしてもクソもない。男心を理解しろ。


「キンチョウしてしまって」

「そう、生理現象ですもの。仕方ないわ」


 女の機嫌を損ねた様子はない。どうやら致命的に選択を間違えたということはなさそうだ。


「ハミル」


 女は私の隣の檻――膝を抱える少女に視線を移す。

 指図を受けた奴隷商人はその意図を汲み取り、少女の檻を開放する。


「シルガ、出なさい」


 シルガと呼ばれた少女は顔を上げ、床に両手をついてからゆっくりと立ち上がった。

 続いてハミルは私の檻の扉を開く。

 これは、商談が成立したということだろうか。

 そう思ったのもつかの間、シルガが私の檻に入ってきた。そして、ハミルは開けたばかりの扉を閉めて鍵をかけた。


「たたせなさい」


 客の女が命じると、シルガは服を脱いだ。

 華奢な体格に控えめな乳房はお世辞にも肉感的とはいえない。地下生活によってもたらされた白い肌も本来であれば病的に見えることだろう。しかし、彼女を照らす蝋燭の火がその肌に暖かな色をあたえ、扇情的に演出していた。

 久しく嗅いでいない女の匂いが鼻腔をくすぐる。 

 彼女は無言で膝をつき、頭を、顔を、口を私のそれに近づけようとした。

 

「やめろ!」

 

 私は我にかえり咄嗟に彼女の肩をつかみ突き放した。

 私の底を見たとばかりに客の女が静かに笑う。


「ハミル、その少女はいくらかしら」

「金貨40枚です」

「買うわ。たたせられなかったら殺しなさい」

「承知いたしました」


 外道が――


「逃げ道はつくってあげたわ。素直になりなさい」


 女の目は笑っていた。布で隠された口元も下卑た笑みを浮かべているに違いない。

 私に残るささやかな良識を弄び、嘲笑っているのだ。

 私は自らの良識とそれがもたらすであろう結果を天秤にかけて葛藤する。

 

「そうそう、アルヴ族の男なんだけどね。どうなったと思う?」

「知ったことか――」


 伝わるはずのない日本語で返す。


「逃げ出したの」


 さも残念そうな声だが、彼女の目はやはり笑っている。

 いったい何を笑っているのか。逃げ出せるのならこちらとしてはありがたいだけだ。

 

「だから、探しだして殺したわ」


 私は絶句する。この女まさか――。


「やっぱり、あなたもその口だったのねぇ」

  

 畜生。


 「私だって常に奴隷を監視しているわけではないわ。隙を見て逃げ出すことはできる。けれどね、逃げ出した者を私が見逃すはずがないじゃない。首輪の外れた奴隷なんて害獣でしかないの。他人様に危害を加える前に探しだして殺す――それが飼い主の責務というものよ」


 最初からこちらの考えは見透かされていたのか。

 侮っていた。


「最後の機会よ。たたせなさい。そしたら買ってあげるわ」


 この地下から脱出する見込みはなく、かといって奴隷として買われても地獄が待ち受けていることは明白だ。どちらなのか。どの選択が正しいのか。

 ――現実をみろ。

 闇の中で聞いたエルアドの声を思い出す。いま見なければならない現実とはなにか。いま見落としてはならない情報とはなにか。いまこそが本当の決断をするときだった。

 私は自らが突き飛ばした少女――シルガのもとへと歩み寄る。

 しゃがみこむ彼女の目の高さに合わせて私も膝をつき、頭をそっと抱き寄せた。

 私が選ぶのは用意された逃げ道だ。この道を通ることは私が私を卑劣であると認めることに他ならない。なら――。

 ――胸を張ればいい。

 この逃げ道、言い訳などせず、堂々と使うべきだ。

 シルガ――美しい女。死なすには惜しい。奴隷という同じ身の上でもある。できれば助けてやりたい。しかし、私の彼女に対する想いはその程度だ。何かを話したわけでもない。所詮は見ず知らずの女でしかない。私は私が助かるためにこの選択をする。彼女が助かるのはただのついでにすぎない。

 私はシルガを立たせて彼女の背中と細腰に腕を回した。身体は重なり、密着して互いの温もりを奪いあう。柔らかなふくらみ、心なしか乱れた吐息。下唇の上に覗く舌先が欲情をそそる。彼女は役割を理解していたのか、ごく自然にそれは絡み合った。響く水音。少しの間をおいて、私は腰に回していた腕に力を込めた。小さく短い呻き声とともに女の上体が仰け反る。透明な糸がわたり、二人の隙間にゆっくりと垂れ落ちた。これで十分だった。

 私は女体を引き剥がすと、檻の外で笑う女に見せつけた。


「普通ね」


 なんとでも言え。


「女として言わせてもらうのだけれど、どうでもいい男に恋人みたいな愛撫をされるくらいならさっさとしゃぶったほうがマシだわ。シルガちゃんかわいそう」


 …………。


「けれどまぁ……合格よ、あなた」


 私はいま、奴隷となった。



 ◇



 女がハミルに硬貨を渡す。


「朱貨四枚に金貨一枚、確かに受け取りました」


 扉が開く。

 それは解放を意味しない。新たな束縛の始まりだった。 

 私はエルアドのときのことを思い出す。膝をついて契約の誓いを立てていたはずだ。

 私も同じように膝をついてみる。 


「ケイヤクはどのように」 

「お金ならいま払ったじゃない。さっさとでなさい」


 女が呆れたようにいう。どうやらエルアドは特別だったらしい。

 檻から出るが特に感慨はない。

 シルガも後に続く。


「ハミル、ランタンを彼に渡しなさい」

「はい」


 意図がよくわからないが、私はハミルからランタンを受け取り、辺りを照らせるように胸の高さで掲げた。ハミルが燭台の灯を消しにいく。すぐに光源は私のもつランタンだけになるだろう。そして、これが消えれば地下空間は暗闇に覆われる。

 ――逃げられるのではないか。

 そんな考えが頭をよぎる。ランタンを捨て、女を突き飛ばし全力で走れば逃げ出せるのかもしれない。彼女は逃げた奴隷を探しだして殺したと言った。彼女自身がそうしたのか何者かにそうさせたのかはわからない。女を見る。細い体つきだ。病的ではないにせよ鍛えているようにはあまり見えない。しかし、いまの私は体力的に大きな不安がある。はたして、あの長く暗い階段を駆け上がれるのだろか。シルガはどうする。ついてこられるのか。できない理由ばかりが次々と浮かぶ。

 燭台の灯が消える。ハミルはまだ遠い。女は私の近くにいるがそっぽを向いている。やるならいましかないが――。


「手が震えているわよ」


 女の声にはっとする。そして、私は動揺のあまりランタンを手から滑り落としてしまう。

 しかし、暗闇が訪れることはなかった。そっぽを向いていた女がこちらを見もせずに落下しつつあるランタンの柄を握ったからだ。彼女が持つランタンの位置は私の鳩尾の高さとほぼ同じ。つまり、ランタンはほとんど落下していないのだ。いったいどんな反射神経をしているのか。私は途端に女が恐ろしくなった。恐ろしさは感じていたのだ。その言動からまともではないと。しかし、それは彼女の精神性に由来する話で物理的な恐怖ではなかった。その認識がいま変わった。

 女の顔がこちらを向く。


「あなたは先頭を行きなさい。シルガはその後ろ」


 私はランタンを受け取り、指示に従うべく震える足で一歩を踏み出した。


 階段を上る。広くはない道幅だ。一人が転倒すれば後続の者も巻き込まれるだろう。私は先頭で後ろにシルガ、私を買った女、ハミルの順で続く。逃げようと思えば逃げられる状況――そう思わされているに違いなかった。私は先頭にいる。しかしそこに優位性を感じることはできなかった。プレッシャーを感じるのだ。私はいま背中を見せている。自らよりも圧倒的に強者である彼女に。猛獣に背後をとられているとしか思えなかった。彼女は獅子で私は衰弱した兎でしかなかったのだ。


 階段をのぼりきる。私の息はすでに上がっていた。

 扉を開けると男が立っていた。後ろがつかえるので前に進み部屋に入る。


「ご苦労」


 ハミルが男を労う。それは酒場の店員だった。男は部屋の灯りを消して次の扉を開ける。万が一に備えて出入り口を見張っていたようだ。私が逃走をはかっていればどうなっていたのだろうか。あまり想像したくはなかった。

 

 私たちは備蓄室を抜け酒場に入った。客はいない。そのまま無言で進み、店の入り口で足を止める。

 ハミルが扉を開けて先に出る。私もすぐに外に出た。何日ぶりの地上だろうか。地下とは空気がまるで違っていた。


「道中お気をつけて。それではまた」


 そういってハミルは会釈する。

 今後、彼に会うことはないように思う。私はランタンを返すついでに問う。


「アナタはこことはコトなるセカイをシっているのか」 


 ハミルが答えることはなかった。


「少し歩くわ、ついてきなさい」

 

 何者かわからない女が前を歩き、よく知らない少女がその後を追う。

 私が空を見上げると満月が浮かんでいた。

 ――27日目。

 月齢から地下で過ごした日数を把握する。

 そうして私は、幽かな光の中で夜を歩きはじめた。

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