第4話青年の価値

 あれから何日経過したのだろうか。

 昼も夜もない地下での生活は、私から時間的感覚を奪いつつあった。

 食事はおそらく日に一度。ハミルの手下と思われる男が定期的に水と果物を一つだけもってくる。檻の中でじっとしているだけの生活とはいえ、人間の食事としては十分な量とはいえないだろう。私は徐々に痩せていった。もともと無駄な肉はついていない身体ではあったが、摂取カロリーが極端に減ったため、体内のたんぱく質がエネルギーに変換され筋肉が衰えていったのだ。排泄もほとんどしない。必要があれば檻の隅にある砂の入った箱にしていたが、いまでは箱も砂も清潔なものだ。

 奴隷として地下にいるのは相変わらず、私と少女の二人だけだ。何度か会話を試みたが、彼女から言葉が発せられることはなかった。


 何者かが階段を降りてくる音が聞こえる。足音は二人分。

 ハミルが客を連れてきたのだろう。私と隣人である少女はさきほど、手下の男から体をふくように濡れた布を渡されていた。客が来る予感はあった。

 

 いつものようにハミルが燭台に灯をつける。客の顔は案の定、布で隠されている。

 また、隣の檻を見に行くのだろう。客によって目的は様々だったが、会話のできない少女の様子をみて「値段に釣り合わない」と言って立ち去るのがお約束だった。性奴隷として購入するにしても、世間体というものがあり、仕事のできない者をある日突然に愛人として側に置くのはリスクがあるらしかった。購入後も生活を工面してやらなければならない以上、隠れて養うのは難しいだろう。そんな手間と金をかけるくらいなら娼婦でも買ったほうがマシというわけだ。彼女がここから出れる日はくるのだろうか。私は憐憫をおぼえ、膝を抱えた彼女を見つめる。 


「服を脱ぎなさい」


 それは、女の声だった。ここまで露骨な客も珍しいかもしれない。


「聞こえないのかしら。服を脱ぎなさいといったのよ」


 だが、客が同性愛者だとしてもいまさら驚くようなことはない。むしろ、そういったマイノリティだからこそ、奴隷市場という闇に手を出すのかも知れなかった。


「異邦人とは聞いていたけれど。なるほど、言葉が通じないようね」


 その言葉に私は少なからず興味を抱く。

 あの少女も異邦人だったのか――と。

 それで話しかけても返事をしないのか。さすがに私と違って、この世界における一般的な意味合いでの異邦人だろうが、もしかしたらという思いもある。あとで私の知る限りの言語で話しかけてみよう。挨拶くらいならいくつかの外国語を知っている。


「会話はできますよ」

「なんですって?」

「街を彷徨っていたところを私が声をかけて連れてきたのです」


 私だけでなくこんな少女まで騙したのか。おのれ、どこまでも下衆な奴。


「ということは、私は愚弄されているのかしら」

「いえ、それは……」


 奴隷が客を馬鹿にしたとなると、ハミルは顧客から叱責をうけ、信用も落とすだろう。あの少女、なかなか肝が据わっているな。しかし、やりすぎると後が怖いのではないか。我々の命はハミルが握っているのだ。


「奴隷の分際で私を無視するとはね――こちらを向きなさい」


 不味いな。客の怒りの矛先はハミルではなく少女に向いたようだ。


「聞こえているのでしょう。こちらを向け」


 ガシャリと金属音が響き、私の檻が揺れる。客は癇癪を起こし私の檻を蹴ったようだ。

 八つ当たりをするのなら私の檻ではなくハミルの脛でも蹴ればよいものを。


「あなたはここから出たくないのかしら」


 うるさい女だ。なぜ私の檻の近くで叫ぶのか。

 私は少女から客のほうへ視線を移す。

 客はなぜか私を睨みつけていた。

 

「それでいいのよ。ここから出たければ精々私に気に入られるように努めることね。さあ、ち◯こを見せなさい」


 は?



 ◇



 目の前の客が私のナニを見たがっている。それもそこそこ必死に。 

 この女はアホなのか。アホなのだろうな。アホでしかない。

 

「アホですねあなた」


私は素直に思ったことを述べた。日本語で。


「反省したのかしら」

「反省するのはあなたのほうです。見ず知らずの男になにを破廉恥な」

「なぜ無視したのか答えなさい」

「心当たりがないからです。あなたは知らない異性に脱げと言われて喜んで振り返るのですか。いえ、あなたならそうするのかも知れませんね」


 そういって、私が頭を下げると彼女は納得したような素振りを見せた。

 こちらの言葉が伝わらないようで何よりだ。


「反省しているのなら構いません。あなたの謝意を受け入れましょう。それにしてもどこの国の言葉かしら? ハミル」

「さて、私と話すときはミランダル語ですが。なかなか流暢ですよ」

「……きっと心から反省しているね、それでつい母国語がでているに違いないわ」

「おっしゃるとおりかと」


 私は愉快だった。

 不当に監禁され、肉体的にも精神的にも抑圧された生活。そんな状況下での、ささやかな意趣返しだった。


「では、あらためて命じます。服を脱ぎなさい」


 とはいえ、これ以上の反抗は危険だろう。それに、この女が相手なら、ここを出た後に逃げられるかもしれないとも思った。私は命じられるままに上着を一枚脱ぐ。一枚脱いだだけで半裸だ。


「痩せているけれど、怪我はしていないようね」

「幸いにも無傷で捕らえることができましたので」

「どのようにして騙したの? あまり頭が悪くても困るのだけれど」

「同郷のふりをしました」

「どこの生まれかしら」

「こことは異なる世界だそうです」

「意味がわからないわ。詳しく話しなさい」


 客に説明を求められたハミルは何かを考慮したのか、少し間をおいて経緯を語りだした。


「三年前のことです。街に一人の浮浪者が目撃されるようになりました。その者は意味不明な言葉――というよりは異邦の言語を用いて街の住民に声をかけていました」


 私がこの世界にきて間もない頃のことだ。この男はその時から私を知っていたのか。


「その者の言葉は誰にも通じませんでした。他国と交易をしている商人でも理解できなかったそうです」


 わが身に起きた状況を説明できれば誰かが助けてくれる。そう信じていた時期だった。言葉が通じない焦燥はあったが、逆にいえば言葉さえ通じれば希望はあるのだと前向きに考えていた。

 しかし――。


「二年ほど後、私は再びその者を見かけました。その者は道行く人々に片言のミランダル語で、”自分はこことは違う世界からきた。助けて欲しい”と訴えていました。通行人が浮浪者に”こことは違う国か?”と問うとその者は、”国ではなく世界だ”と答えます。通行人は主たる国や大陸の地名を挙げますが、浮浪者は首を横に振り、違う世界、異なる世界と言うばかり。結局、浮浪者は頭のおかしな異邦人と思われて誰からも相手にされなくなりました」


 そもそもの話、この街の住民には異世界という概念がないのだ。時空や次元、その概念すらないのだろう。おとぎ話としての夢の世界ならば概念自体はあるのかもしれない。しかし、だとしてもそんなところから人がやって来られるはずがないのだ。頭がおかしいと思われるのは当前だった。

 どこか遠い地から流れてきた者――異邦人。この世界で私の存在を表す言葉はこれしかなかった。


「そこからさらに一年後――つい先日のことです。可哀想に、なにかあったのでしょう。目尻に涙をためて、嗚咽を漏らしていたのです。私は彼を慰めようと声をかけましたが、その警戒心たるや野生動物のそれでして、安心させるためにも同郷であることを匂わせて酒場に誘ったのです。その後はすっかり打ち解けて、私は彼に一杯奢り、彼は眠りこけ、目が覚めたときには檻の中というわけです」

「こことは異なる世界ね。神々の座す天上世界のことかしら」

「まさか」

「天からの使いを騙して捕まえるなんて罰があたるわよ」

「それは参りましたね、彼が天使であるなら値段も相当跳ね上がりますが」

「冗談よ、どうせ言葉を知らないか間違えて覚えているのでしょう」


 これが普通の反応なのだ。だからこそ、ハミルの言葉は不自然ではあった。


「それにしても独学で一つの言語を習得するとは、なかなか見込みがあるわね」

「お気に召しましたか」

「どうかしら、少し間が抜けているようにも思えるわ」

「と言いますと」


 女は私に視線を合わせると、からかうように問う。


「ねぇあなた、どうしてそんなに簡単に騙されてしまったの。ハミルもあなたも黒髪だけれど、目鼻立ちがまるで違うわ。同郷だなんて明らかに嘘っぱちじゃない」


 当然の疑問だ。ハミルと私では西洋人とアジア人ほどの違いがある。この女からすれば騙された私が愚かしく見えるだろう。私からすればハミルがそれで騙せると踏んでいたのはなぜなのか、ということになるのだが――。

 やはり、彼は異世界に関して私と共通の認識を持っている可能性が高い。

 だが、今はそれを言及するときではなかった。


「ワタシのソコクはタミンゾクコッカですから」

「そう、あなた素敵な声ね」

「アリガとうゴザいます」


 私の答えに納得したのか女は満足げに頷いている。

 彼女はさきほど、私に対して間が抜けていると感じていたようだが、私も同じような印象を彼女に抱いていた。私をまるで警戒していない。完全に下に見て油断している。ささいなことで感情的になるかと思えば、見せかけだけの誠意を受け入れる安直さ。つけいる隙は十分にあるように思える。ここはやはり、あえて買われて、逃げ出す機会をうかがうのが得策だろう。


「下も脱ぎなさい」


 なんの為に――とは聞かない。これまでの様子から、彼女が性的に私を欲しているのではないとわかる。おそらく傷の有無を確認するためなのだろう。

 多少の気恥ずかしさはあったが、私は躊躇うことなくズボンを脱ぎ捨てた。ちなみに下着はつけていない。


「よろしい」 


 彼女はじっくりと私の裸体を査定した。その眼差しに恥じらいの色はなく、むしろ冷ややかでさえある。

 そして、彼女は評価を告げた。


「小さいわね」


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