第2話世界の輪郭
「もし、何かお困りでしょうか」
突然、後ろから声をかけられた。あれだけ喚いていたのだから当然か。第三者に先ほどの喚き声を聞かれていたのかと思うと不思議と感情の波は引いていった。私は案外見栄っ張りなのかも知れない。
「ナンデモありません」振り返り様、この国の言葉で返す。「オオゴエをダして、ゴメンなさい」
「本当に大丈夫ですか」
心配そうな声色で確認してくる男。周囲が暗いため、表情まではよくわからないが中々に上品なたたずまいをしているように思える。まっすぐに伸びた背筋、そのシルエットだけでも彼が紳士なのだとわかった。
「ダイジョウブです。アリガトウ」
「そうですか。あまりに悲壮な……胸を打つ叫び声に聞こえましたので余計なお節介を致しました。申し訳ない」
「コレからはキヲツケます。さようなら」
心配をされてありがたいと思う反面、心配をかけて申し訳ない気持ちと失態を見られた恥ずかしさが相まって私は足早にこの場を去ろうとする。しかし、男はなおも食い下がってきた。
「あぁ! お待ちください!」
「ナンですか」
本当になんなのだろうか。善意で声を掛けてきたのだとしても私の身なりと言葉使いで浮浪者であることは察したはずだ。これ以上、この紳士に私を気にかける理由があるとは思えない。
「失礼ですが、あなたは異国の方ですね。これからどちらに」
「マチをデます」
浮浪者の深夜徘徊と街路での寝泊りは住民の安全のために禁じられている。誤魔化しても意味はない。
「近くに移民キャンプでもあるのですか?」
そんなものはない。この男はよそ者だろうか。あるいは私が嘘を吐かないかカマをかけているのだろうか。発狂していた浮浪者が嘘まで吐くとなるとよからぬ企みをしていると疑われても仕方がない。
「イイエ。ヤマへイきます」
素直に答える。どこの山とまでは言わない。
「この暗闇を歩いていくのですか? 灯りも持たずに? 山に入るのは危険ですよ」
男は大袈裟に驚いているようだった。
「デハ、マチをデてすぐのトコロでヤエイをします」
街の外では兵の巡回もない。
「これから雨も降るでしょう。土砂降りになるかもしれません」
「ソウですね」
私は肯定する。日没時に見たあの雲の色、厚さからしてそれは間違いなかった。だからと言って、宿には泊まれない身分だ。どうしようもない。
「よろしければ私の店に来ませんか?」
「は?」
思わず素で返してしまった。
「酒場なのですけれどね。バルカスという店です」
その店なら知っている。果物屋の近くだ。しかし――男は私の懸念を遮るように言葉を続けた。
「ご心配には及びませんとも。私はそこのオーナーをしておりますハミルと申します。従業員も皆気のよい者たちです。私の招いた客を無碍にしたりはしませんよ」聞きなれなれない言い回しもあるがそこは適当そうな訳で補完する。男はさらに畳み掛けるように言う「ここであったのも何かの縁です。善意を押し付けるつもりはありませんが、このまま別れてしまっては私の良心が痛みます。私を助けると思って、さあ!」
私は思案する。帰路の途中、土砂振りになれば小屋まではたどりつけない。遭難や滑落する危険性がある。だからと言って雨風を凌げる場所の心当たりもない。いっそ街に潜むか。巡回の兵に見つかっても足蹴にされて街の外に追い払われるだけだ。殺されるわけではない。そこまで覚悟するのならこの男の言葉に甘えればいいとも思うが、単純に信用できるかどうかが問題だった。私が返事をしかねていると、男は
「
雨が降る。
しとしとと地表に落ちるそれは恵みの水か、災いの前触れか。
今の私にはわからなかった。
◇
雨の中、出会って間もない男の後をついて行く。
この世界の酒は美味しい――彼は本当に
「つきましたよ」
顔を上げると彼はつばのある帽子を脱いだ。そして服についた雫を軽く払うと、にこやかな表情で扉を開け酒場へと入っていく。彼はドアを押さえたまま私に入るように促した。
「ようこそバルカスへ」
酒場はあちこちに灯りを
――当然の反応だ。
道端にゴミが落ちていようと気にも留めないのが人間だ。そんなものを好んで拾ったり仕事でもないのに片付けようとおもう人間はいない。だからこそ、私もこの街に出入りが出来る。しかし、そのゴミが自分の店の中にあるとすればどうか。不快でしかないだろう。店内にゴミがあれば清掃をするのが従業員としての正しい姿勢だ。
テーブル席に着く。彼が私のために椅子を引いてくれたのでそこに座った。
「なにか暖かいものを頼みましょうか。冷えてしまいました」
ここに来るまでにさほどの時間はかからなかったが、それでも雨に打たれたことに変わりはない。私の身体は多少濡れていた。床や椅子、テーブルに雫が落ちる。普通の店なら良識がないと怒られるかもしれないところだ。対して、彼の衣服は濡れていなかった。どんな性質なのか布地が水を弾いているようだった。あらためて見てみるとやはり紳士という言葉がしっくりくる男だった。背広を崩すことなく着こなし他者への気配りも見受けられる。私は私自身の彼に対する警戒心が徐々に薄れていくのを感じた。
「このセカイのサケを」
いきなり本題に入る。私の知りたい答えが、もしくはその手掛かりが目の前にあるかもしれないのだ。この欲求を抑えることはできなかった。
彼――ハミルは笑顔で頷きウェイターに酒を持ってくるように頼んだ。注文の際、知らない単語がいくつか彼の口から出たが、おそらくは酒に合う料理でも頼んだろう。ウェイターが去ったのを確認した私は話を切り出した。
「ワタシのナは――――です。アナタのコウイにカンシャします」
「いえいえ、こちらこそ。私の我侭に付き合っていただき有り難く思っております」
「ワタシは――からキました。アナタは――をシっていますか?」
時折あがる酔っ払いどもの笑い声が私の言葉をかき消そうとする。
それでも聞こえていたのだろう、ハミルは無言で頷いた。
私は歓喜した。身体は硬直し、目は見開き口元は引きつっていた。傍からは到底喜んでいるようには見えないだろう。しかし、私は確かに喜んでいるのだ。全身の肌は震え、心は晴れ上がり、中枢神経系から何かが溢れてくるのを感じる。思えばこの世界に来て誰かから肯定されたのは初めてかもしれない。始めは言葉が通じず誰にも何も伝えることが出来ず、言葉を覚えてからはどこか遠くの異邦人、あるいは頭のおかしな浮浪者だと思われてきたのだ。喜んで何が悪い。浮かれて何が悪い。いつしか私の喉は笑い声に震えていた。
「お待たせいたしました」
気がつくと、ウェイターがグラスを二つ運んできていた。中には黄金色に輝く液体が注がれている。テーブルに置かれたそれをよく見ると、小さな気泡がふつふつと浮かび上がっていた。発泡酒のようだ。私はハミルに目をやる。
「どうぞ召し上がってください」
「……イタダキマス」
グラスを手に持つと、ビールとは違う果実の香りがした。ひとくち――口に含んだ途端に爽やかな林檎の香りがひろがった。
「美味しい」ほのかに甘くスッキリとした味わいだ。喉へ流すと微炭酸の軽い刺激が心地よい。
「お気に召しましたかな」
「トテモ、オイシイです」
「それは良かった」
「……ここはドコなのですか? ワタシは元の世界にカエりたい。アナタはナニをシっているのですか」
「全てお答え致しましょう。私の秘密と共に。ついてきてください」
そう言うと、ハミルは立ち上がり、店の奥の方へと歩き出した。
私は飲みかけの林檎酒を置いて後を追う。幾人かの客がこちらに視線を向けたが、すぐに自分たちの談笑に戻っていった。この世界の酒場はもっと賑やかなものだと思っていたがそうでもないらしい。客たちは大人しく席について酒と料理を楽しんでいた。
ハミルはカウンター横のドアを開け私も続いて中に入った。
どうやら店の備蓄室のようだ。いくつかの酒樽と積み上げられた木箱がある。一番上の木箱からは日持ちしそうな根菜がのぞいていた。ここで話をするのだろうか。確かにここならば誰もおらず、客が誤って立ち聞きすることもなさそうだ。非常識的な話題だ。他人がいないにこしたことはない。
しかし、ハミルの歩みは止まらず、さらに奥へと進んでいった。
「こちらです」部屋のつきあたりのドアを開き彼は言う。「さあ、どうぞ」と。
私はドアの向こう側へと足を踏み出す。
そこには地下への階段があった。薄暗く、どこまで続いているのかはわからない。私は一歩、二歩とゆっくりと降りていく。後ろからパタリとドアの閉じる音が聞こえる。ハミルの足音も。
地下の冷たい空気のせいか、背筋に悪寒が走る。
私は振り返ることなく階段を降りていった。
◇
どれほど降りてきたのだろうか。先の見えない不安と緊張が時間的な感覚を狂わせる。
「足元にはお気をつけください」
背後からのハミルの声に、私は返事をすることができなかった。
やがて、下の方から仄かな光が見えた。降りるにつれ光は大きくなる。しかし、とりたてて明るくなるというわけではなかった。出口、というよりは終着点というべきだろうか。そこは外に繋がっているわけではなく、閉鎖的な地下空間の一端に過ぎないのだから。
蝋燭の火がわずかに揺らぐ。私自身が動いたためか、どこかに通風孔があるのかもしれなかった。燭台に立てられた蝋燭は真新しく、数時間は持ちそうだ。地下室は思っていたよりも広い。いくつかの燭台が辺りを照らしていたが、壁は暗闇に溶け込み部屋の奥行きは曖昧なままだった。それでもはっきりと見て取れるものはあった。
――檻だ。
大きな檻が部屋のいたるところに置かれ、その鉄格子が淡い蝋燭の灯を反射していた。そして、いくつかの檻の中では何かが蠢いているようだった。薄暗くて姿形は見て取れない。
「ご覧になりますか」
ハミルが燭台の一つを手に取り中を照らす。
それは大きな蜥蜴だった。巨大な体躯を覆う鱗が黒く艶やかに輝き。獰猛な眼差しがこちらを向く。私は震えた。怯えたからではない。いや、怯えもした。だが、それだけではない。黒い蜥蜴は立ち上がったのだ。人のように、人よりも遥かに太い二本の脚で。
「それの名はエルアド。滅亡したとされるバシリスカスの民、その末裔です」
言葉が出ない。こんな生き物がいるのか。こんなものが存在しうるのか、この世界には。
「あなたになら……そうですね、金貨500枚でお譲りいたしますよ」
ハミルが何かを言った。
「希少な生き物ですが、それ故に買い手がつきにくいのですよ。こんな平和な街では使い道がありません」
ここが異世界だということは理解した。わかってはいた。だが今、心の底から確信を得た。
「観賞用としても少々グロテスクですし……。それを好む方はいらっしゃるのですが、他者に見せ付けられないのであれば飼うに値しないと言われてしまいまして」
身体の震えが止まらない。黒い蜥蜴はもうこちらを見ていない。
「その点、あなた様は浮浪の身。誰の目を気にすることもありますまい。護衛としては最適ではありませんか? もっとも、あなたがこの蜥蜴を調伏できればの話ですが」
ハミルの目がずっと私を捉えている。
「いかがです? 悪いお話ではないでしょう?」
「カネが、ない……」 かすれた声で答えるのがやっとだった。
「おやそうですか。それでは、あちらの品なんてどうでしょう。金貨50枚です」
新たに照らされた檻には女性がいた。人間の女性だ。華奢な体に薄着一枚で膝を抱えていた。顔は良く見えない。体格からは少女のようにも見えた。
「なんの変哲もない人間の女ですが、顔が良いので飼っています。従順な娘ですよ」
奴隷、なのか――。
この世界に奴隷制度があったとしても決して不思議ではない。しかし、私はこちらの世界に来て三年、奴隷を使役している者を見たことがないし、誰かが使役しているという話も聞いたことがない。
つまり、これは悪しき慣習でも制度でもなく――この男のしていることは下劣な人身売買なのではないか。
「このセカイのカネはない。シゴトにつけなかったので」
「それでしたらうちでご紹介いたしましょうか。なんでしたらうちで働いて頂いても構いませんよ。仕事柄、安易に人手を募集できませんのでこちらとしても助かります」
「スみません。デきません」
「それは残念です。貴方様のあの慟哭、あの涙。てっきり、こちらの世界の人間だと思ったのですが……」
沈黙が訪れる。
私から言葉を発することは出来なかったし、目の前の男が次に発する言葉がなんなのか。それを考えるのも恐ろしかった。
「仕方がありませんね。思い違いをした私が悪いのですから」
男は背を向けると階段のある方へ歩き出した。
私は男の視線が外れたことに安堵し、緊張の糸が解けたのかその場に膝を着く。
そのまま男の背中を見送ろうとするが、なぜか、男はゆっくりと立ち止まり、私に告げた。
「私も悪いのですが、貴方も悪いのですよ? こんな所にまで、ついて来たのですから」
私は立ち上がろうとするが脚に力が入らない。頭も霞がかかったようにぼんやりとする。
「こちらの世界の酒は美味しかったでしょう」
私の意識は、そこで途絶えた――。
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