ビジター 異邦の天秤

本山のじか

異邦人

第1話選別

 こちらに来て早三年。

 紆余曲折はあったものの、今では現実を受け入れ、豊かではないが飢えない程度に生活は安定していた。

 たゆまぬ鍛錬の成果で、ある種の鑑定眼を獲得した私は、その能力を生かして、日々、選別を行っている。

 今も飯の種を前に慣れた手つきで真に価値あるものを見定めていたところだ。

 私は選りすぐりの品を手に取り頷く。

 これは、食える、と。

 私の名は――――。

 職業は浮浪者。

 異世界で今日もたくましく路地裏のゴミを漁っている。



 ◇



 日が沈む。

 空は茜から藍に染まり、街に不気味な影がのびていた。仕事人たちは店を閉め、家路につく。

 太陽が完全に沈む頃には、昼の賑わいはどこ吹く風と言わんばかりに街路は静まり返っていた。

 周囲に人の気配がないことを確認した私は物陰から月明かりにその身を晒す。

 ナイフで乱雑に切ったボサボサの髪。麻でできた質素な衣服。藁の靴を履き、木筒を腰にぶら下げ、つたで編んだかごを背負っている。見るからに貧しそうな姿だが薄汚れているつもりはない。現代人としての意地は捨てたが、衛生観念は未だに健在である。医者にもかかれず薬も買えない身だ。見知らぬ世界で見知らぬ病にかかって死ぬのはごめんだった。

 私は贔屓ひいきにしている果物屋、その店裏に足を運んで籠を下ろす。案の定、そこにはいつもの木箱が置かれてあった。

 品質にこだわる店主は、部分的に腐っていたり虫に食われた果物が溜まると、こうして木箱につめて店の外に出すのだ。

 木箱の中身は翌早朝、手押し車の男が回収しにくる。町で雇っている清掃業者なのか、農家が堆肥をつくるために集めているのかは知らないが、私にはどうでもよいことだった。

 私は目の前の生ゴミから食糧を選別し、黙々と籠に移していった。

 

 その後、私はなじみの店を何軒か巡り、籠がいっぱいになったところで街を出た。

 街の境界に外壁や門はなく、出入りは自由だ。穏やかな世情なのか、街が盗賊やならず者の集団に襲われることもないようだった。兵隊だか自警団だかの詰所もあるので、それによるところが大きいのかもしれない。私も以前、街中での野宿を試みたのだが、巡回の兵士に見つかり追い出されてしまった。良くも悪くもこの町は治安が良いのだ。もっとも、住民からすれば悪いことなど一つもないのだが――。

 それはさておいて、私は帰路を歩む。

 馬車が通るような広い街道から外れて、山へと続く細道に入った。しばらく進んで、その細道からも逸れて更に山奥へと進む。所々で茂った木々が月光を遮るが、通いなれた道だ。迷うことはない。ここは私が歩き、草を踏み、枝を払って拓いた道なのだ。

 時折、鳥獣たちの不気味な鳴き声が聞こえてくるが構いはしない。怯えて足をとめても良いことなどない。

 かくして、私は一軒の小屋にたどり着いた。私の住処だ。

 一般的な住居と呼ぶにはいささか不十分で、四方と天井を木の板で囲っただけの掘っ立て小屋だ。雨風をしのぐだけ機能しかない。それでも、私にとっては十分なものであった。残念ながら、私が建てたものではない。廃屋としてあったものを、多少の手入れをして勝手に住み着いたのだ。不法と言われればそれまでなのだが、見つけた当時は小屋中を植物のつるが覆い、戸口も開かない有様だった。そもそも、ここへ至る道はなかったのだ。管理されなくなり数年は経過していたのだろう。そんなことを言い訳にして、私は罪悪感を誤魔化していた。


「ただいま」


 返事はない。

 小屋に入った私は、出掛けに開けておいた天窓から射し込む光を頼りに、明日の準備に取り掛かる。

 荷を降ろし、腰にぶら下げた水筒に口をつけ空にする。そうしてから、藁の敷かれた寝床に入り身をゆだねるのだ。さっさと寝て疲れを癒し、日の出とともに目を覚ます。それが生きて毎日を迎えるうえで何より重要なことだった。


 私は天窓からのぞく満月に「おやすみなさい」と声をかけ眠りについた。



 ◇



 肌寒い隙間風が体をなでる。


「おあ゛おうごあいまず」


 寝起き特有の濁声だみごえ


 私は藁の温もりを惜しみつつ、寝床から這い出した。

 辺りは薄暗いがそれは夜明けの前兆だ。

 照明器具のない状況下では、一日の活動時間は限られる。太陽が出ているうちにやらねばならないことがたくさんあるのだ。二度寝するわけにはいかない。

 私は早速、昨夜調達した食糧を担ぎ、それとは別に多少の手荷物をぶらさげて歩き出した。


 少し山を下って水場へとたどりつく。

 三メートルほどの落差の滝は小さな泉を形成し、そこから緩やかな川が流れていた。長い月日をかけ流水に磨かれた岩は滑らかに輝き、岩場の合間からシダや山葵わさびがのぞいている。母国の自然風景そのものだ。

 私は便宜上、この世界を異世界と呼んでいるが、本当にここが異世界であるのかは実はよくわかっていなかった。まるで違和感のない風景や動植物。当然のように人間がいて中世ヨーロッパのような街に住んでいる。太陽と月があり、およそ二十四時間であろう一日を繰り返す。かと思えばこの世界の住人は聞いたことのない言葉を話し、夜空に見知った星座はひとつもない。北斗七星もオリオン座も存在しなかった。


 泉付近に荷を下ろした私は一旦、流れのある川下へ行き、服を着たまま水に入った。早朝ということもありなかなかに冷たい。腰まで浸かったところで服を脱ぎそのまま排泄をした。以前は穴を掘って用を足していたのだが、穴を掘る手間と虫や蛇、獣の跋扈ばっこする山林で下半身を露出するリスクを考えた結果、このような様式スタイルに落ち着いてしまった。


 私はそのまま体と衣服を清めながら川をさかのぼり、泉――あるいはよどというのかもしれないが――その場所にたどり着く。


 まずは岸辺に上がり、大きな岩に衣服をべたりと張り付けて乾かす。そして再び泉に入り、今度は頭まですっぽりと潜った。水底にある木製の仕掛けを引き上げるためだ。筒の中をのぞき見るが残念ながら空だった。魚や蟹が入っていればいいと願ったのだが、そうそう上手くはいかないようだ。ポイントを変えて、再び仕掛けを沈めてから私は水から上がった。


 体の水を切った後、あらかじめ持ってきていた衣服に着替えて本題にとりかかる。

 昨夜収穫した果物をカゴから出して積み上げる。一つ一つ手に取り、痛んだ部分をナイフで削ぎおとす。削りすぎて皮がほとんど残らないものはその場で食べることにしていた。皮がなければすぐに酸化や腐敗がすすむからだ。そうして、トリミング処理をした果実は一つ一つをその辺に群生していた山葵の葉で包んでカゴに戻す。残った生ゴミは集めて川に流した。その場に捨て置いたり埋めたりすると獣や蜂が寄ってきてしまうのだ。小屋の近くで食糧を処理をしないのもそのためだった。


 後片付けを終えた私は岩場から湧き出る水をいくつもの水筒へ注ぎ、腰にぶら下げていった。小屋には桶を置き雨水を貯めているが、湧き水のように天然の岩床を通りぬけ、自然にろ過された水は清らかなだけでなくミネラルも含んでいるという。やはり、飲み水としては格別の価値があった。

 最後に干してあった衣服を回収し帰路に着く。

 道すがら山菜や野生の果実はないかと注意はするが、私が知っているようなものは生憎あいにく と見つからない。キノコならよく見かけるのだが、毒キノコであったなら取り返しがつかないので手はつけなかった。歩きながら先ほど汲んだ湧き水を一口飲むと不意に言葉が漏れた。


「うまい」


 ただの水だが、それがうまいのだ。

 思わず立ち止まり、もう一口ゴクリとのどを鳴らす。片手を腰にやるのは愛嬌だろうか。

 ああ、牛乳が飲みたい。



 ◇



「ただいま」


 やはり、返事はない。

 小屋に戻った私は荷を降ろし、取って返すように山を降りた。太陽の高さから鑑みるに正午を過ぎる頃には町へ着くだろう。ゴミを漁ろうというのではない。勉強に行くのだ。


 商店街は賑わっていた。食品、衣服、陶器、装飾品など様々な物を扱う露天商たちが広場や街路に集まり市場を形成している。香ばしく焼けた串焼きを手に走る子供。酒を片手にわめく老人、楽しげに言葉を交わす若者たち。人の往来は止まず、まさに都の喧騒そのものだった。今日が祭りの日というわけではない。週間という概念があるかは不明だが今日は七日毎に訪れるこの街の休日なのだ。

 

 私は立ち話をしている商人風の男二人の会話に聞き耳を立てる。

 

「グウェリアとセレインが近々ウェルアをするらしい」

「本当か?」

「ああ、間違いない。グウェリアの知人が言うにはメルスが複数の商人から小麦とソルを買い上げたって話だ」

 

 セレイン、ウェルア、メルス、ソル。知らない単語が出てきたのでその意味を推察する。

 グウェリアとは隣国の名だ。詳しい地理までは知らないがそういう名の国があるのは間違いない。となるとセレインも国か。そして、男たちの不穏な空気からしてウェルアとは戦争ではなかろうか。文脈からは交渉という意味も考えられるが交渉はまた別の単語だ。同義語の可能性は捨てきれないが今回はウェルアを戦争と定義しておく。違っていれば今後の立ち聞きや自分が使うときに気がつくだろう。メルスは軍や政府、なんらかの役職名、ソルは武具もしくは食糧の類と覚えておく。しばらく男たちの会話を聞いていたが、知らない単語が出てこなくなったところで私は見切りをつけその場を立ち去った。長居をして因縁をつけられても面倒だった。


 湿り気を帯びた風が頬をなでる。

 私は覚えた単語をぶつぶつと独りで反芻はんすうしながら路地を歩いていた。


 見知らぬ世界の未知の言語の習得――この世界に来て真っ先に始めたことではあったが、私はすでにそれを完了しつつあった。アクセントやイントネーションに不安は残るものの基礎文法は把握し、単語も日常会話に支障がない程度に記憶していた。その歳月は三年である。生きるためとはいえ辞書もネットもない状況で、ただ聞いただけでここまで一つの語学が上達したのはなぜか?

 類似性があるのだ。もとの世界の言語――インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派――平たく言えば英語やドイツ語に酷似している。単語こそ違うが基本文法は中高生の教科書に載っていることがそのまま通用した。

 ……やはり、ここは地球なのだろうか。異世界にきたと私が思い込んでいるだけで、本当は地球の片田舎で彷徨っているだけなのではないのだろうか。聞いたことのない国名や地域も、単に国際的な呼び方ではないだけで地方独特の方言なのではないのか。異邦人という理由で私に人権がないのも本当にただ外国人だからというそれだけの理由だからではないのか。移民の差別、人種の差別など先進国でも珍しくはないのだ。この街にはネットも電気も車も蒸気機関すらもない。だが、文明レベルが中世だとしてそれがなぜここが異世界だということになるのだ。地球のどこかには世界の発展から取り残された国があってもおかしくはない。衛星画像によって地表の99%以上が解明されたとして残りの1%に満たない未知がここでないとなぜ言い切れる。そんなところに私が迷い込んでいるというのはそれはそれで説明がつかないが、少なくとも異世界転移などという馬鹿げた妄想よりはずっと現実的ではないだろうか……。

 

「こ……は――」


 私の奥底から何かがこみあげてくる。


「ここは……なんだ――」


 やるせない苛立ちと不安が喉を震わせる。

 

「ここはどこなんだ――」


 涙が堰を切ったように溢れ出す。


「私はなぜここにいるんだ!」


 感情という二文字には収まりきらない叫び。

 獣のような慟哭。

 今の私の心情を表す言葉は、私の知るどの言語にもなかった。


 日は沈み、夜のとばりが訪れる。

 どんよりと暗い曇が、月を隠した。

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