第2話

 反抗期ってやつだろうな。

 姉が1年前に離婚して一人息子の陸が俺の部屋に通い始めて以来俺と陸との間で会話がまともに機能した覚えがない。陸は昔は

「おじちゃ! おじちゃぁ!」

 って俺を呼びトテトテ危なっかしく歩いては足に抱き着いて来てそれはもう可愛くって目に入れても痛くない程だったが小学校高学年になった今では俺を

「変態……」

 としか呼ばない。そりゃあ陸とは実家で年に数回しか顔を合わさずその時は俺も他所行きの風体で気前良くおもちゃなんか贈って見せる訳だから幼い陸の目には優しくて立派でカッコいい叔父さんに映っていたのかもしれないが実はその憧れの叔父さんの正体は色狂いの冴えない情けない独身あぶれオスなんだ。この半裸の女で埋め尽くされた不気味な部屋で暮らしてりゃ嫌でも気付くよな。ごめんな陸。今までずっと隠してて。

 回想しながら俺は陸が回線で繋がった全国各地のイカをぶっ殺しまくるのを2メートル程離れた位置から眺めていた。そう2メートル。これ以上の接近は陸の警戒網にかかるというか露骨に嫌悪されてしまう。いつからか陸との間に生まれてしまった距離。あの無邪気に俺と肌を重ねた幼い陸と今目の前にいる陸は本当に同じ人物なのだろうか……。

 ゲームの合間に陸は俺が買っておいたペットボトル入りのジュースに手を伸ばした。陸はどろどろしたゼリー入りの果汁系ジュースが好きでこくこくと喉を鳴らして飲み下すとプハと息を吐いて中々良い顔をする。俺の部屋にいながら陸の顔が緩むのは稀なので陸が好きなこのジュースだけは欠かさず常備するよう心掛けている。

 陸がいつものように小さく可愛らしい唇を透明な筒に触れさせて中に詰まってるドロドロした液体を口から喉に流し込もうとしている時に俺がうっかり話しかけたのがいけなかった。

「なあ、陸。実は──」

「うる、ブッ!」

 人は飲もうとする時に喋ろうとするとむせる。陸もまた人だった。ジュースを飲みながら俺の言葉を遮り罵倒しようとした陸は二兎を追って一兎をも得なかったのだ。

「げほっ! がはっ! げほっげほっ!」

 陸は激しくむせて誤って気管に侵入した粘液を吐き出そうとした。

「ああ! ごめん陸! ごめん!」

 俺もタイミング悪く陸に話してしまった非を詫びせめてもと陸の背中を撫でる。一瞬思いほか成長を遂げていた陸の背に感銘したが今は陸の呼吸が最優先だ。排出を促す効果は不明だが円を描くようにまあるく陸の背中をゆっくりとさする。

「けほっ、けほっ、けほっ」

 陸は大きな目から涙を零して体内への意図せぬ侵入者を口内から排出し終えた。俺はずっと陸の背中を撫でていた。

「おじさん……ごめん。ゲーム……」

 呼吸を取り戻した陸がやおら謝る。陸が指差した方向を見ると陸が吐き出した粘液がテレビ画面、壁、床、ゲーム機、掛軸、フィギュア、そこら中に飛沫していた。叔父の大切なコレクションを汚してしまった。その事実が陸には居た堪れなかったのだ。

「あー、いいんだよ、あんなもん。陸の体が一番大事だ」

 俺は陸に心からの想いを伝えるともう一度陸の背中を円を描くように撫でて手を離した。

「それより……陸。ベッタベタになっちゃったな」

「えっ……?」

 陸の服について言及する。陸はえずくのに必死で気付かなかったみたいだがペットボトルの中身が全て陸の着ている服に零れ落ちてグショグショに濡らしてしまっていた。染みて色が濃くなったジュースの跡を辿ると陸の首から胸そして腹から股まで重力に従い綺麗に流れ下っている。きっと陸の下着の中までびしょ濡れだろう。

「ヌルヌルして気持ち悪いだろう? 今着替え用意するからな」

「う、うん」

 最近陸とろくに会話もなかったが不意のアクシデントがきっかけとは言えこうしてまた陸と普通の家族の会話ができて嬉しい。俺は今回陸が持ってきた着替え入りのスポーツバッグの中身をドロドロまみれの陸に代わって探す事にした。陸は俺のすぐ側で俺が陸の私物を漁るのを不安気に見守っている。陸の穿いている白いブリーフパンツはすぐに見つかったがどこを探しても上のシャツと下のズボンが見つからない。おかしいな……。いつもなら姉が入れているはずなんだが。

「陸。パンツはあったけど着替えがない。ほら」

「っちょ! パンツ広げて見せんな!」

 陸は叔父さんが目の前で自分のこどもぱんつを見せびらかすのが恥ずかしいみたいだ。陸が珍しく……というかいっちょ前に赤面して羞恥するのってこれが初めてじゃないか? 陸は耳の先まで真っ赤に染めて俺を言葉で牽制した。しかし……いつの間にか陸にも恥の概念が生まれていたのだな。甥の着々とした成長を間近に感じて俺も叔父さんとして嬉しさが込み上げてくる。20歳近く年の離れた叔父と甥だもんな。もう親子と言っても差し支えないくらいの年齢差なんだけど俺はこんなうだつの上がらない人生だし次世代の生育を実感できる貴重な機会が甥の陸なのかもしれない。姉や陸を捨てた父親は嫌いだがこの不思議な縁には感謝だな。

「お、おじさん……着替えどうしよう……」

「そうだな……」

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