第8話 作戦実行、からの失敗と見せかけて

 目の前で一服している輪島記者がどんなことを聞いてくるか。その返答に間違えれば警戒される恐れもあるだろう。だから亜希はここでもう一度気を引き締めた。

 ほどなくして彼が口を開く。


「まず率直に思ったのは、なぜ元トップアイドルである白川くんがパパ活なんかを? ほかにもっと道はなかったのか」

「……元アイドルといえどもほかに社会経験はまったくありませんから。スキルもなく何もできなかったという話にすぎません」

「たとえ一般職が難しかったとしても。ホステスとかは可能だったんじゃないか」


 なんせ容姿が抜群なんだから、と言葉を添えていた。とりあえず褒めておけばいいだろう的なかんじで。

 しかし輪島の意見には一理ある。夜の世界もそう甘くないだろうが、容姿が優れていることでメリットがあるのは事実だった。自分で認めてしまうのもなんだが。


 かといって、はいそうですねと答えるわけにはいかない。パパ活を選ばざるをえなかった理由を作らなければならなかった。

 少し考えてからいった。


「例の一件以来すっかり人間不信に陥ってしまいましたから。なるべく人と接するような仕事はしたくなかったのです」

「ふむ。パパ活はそうじゃないと?」

「ゼロとはいきませんが、少なくともだいぶましですね」

「なるほどなぁ。たしかにそうかもしれんが」


 どうにか納得したところでポロッと本音がこぼれる。


「にしても落ちぶれたもんだ。S級小町にいた頃の君は輝いていたが、いまは見る影もない」


 傍から見ればそのとおりだろう。本来の職業(復讐稼業)を伝えたとしても感想は変わらないと思う。


 けれどそれを本人の前でいうのはたいへん失礼だし、そもそも輪島記者にいえる資格はない。

 ガセで亜希をアイドル引退に追いやったのは週刊夏冬であり。記事を書いた本人でないにしろ、同じ組織に勤めている時点で、まったく罪がないわけではないからだ。


 できることなら彼に非難の声を浴びせたかった。しかしここは我慢だ。深呼吸をして怒りを押し殺した。


「残念ですがそう思われても仕方ないかもしれませんね。……ほかに聞きたいことは?」


 輪島記者は灰皿に煙草の灰を落とした。


「パパ活を始めた事情はわかったとして。なぜ俺に近づいたのかということだ」


 想定内の問いだったが、いちおうぴんとこないふりをしてみた。


「と、いいますと」

「ウルトラライクを先に送ってきたのは白川くんのほうだ。パパ候補は腐るほどいるにもかかわらず。その中から俺を選んだのはどうしてだ? もしかして記者をやってるからか」

「記者であることがどう繋がるのでしょう?」

「心当たりがないわけないだろ。君が記者に対して恨みを持ってるからだ」

「なるほど。よく理解しました」


 さすがに記者をしているだけあって、なかなか勘が鋭かった。そしてそれは見事に的中していた。


「つまるところ私が仕返しをしようと思って近づいたのではないかと疑ってるんですね」

「違うのか」


 おおよそのところ合っている。

 はっきり違う点があるとすれば、復讐したいと思ったのは亜希ではなく、青島ヒロであるということだ。恨み云々はともかくとして、今回はサポートするためにやってきた。


 無論そのことは輪島には内緒だ。亜希は笑ってごまかした。


「考えすぎですよ。輪島さんにウルトラライクを送ったのは、純粋にいいなと思っただけで。それ以外に意味はありません」

「ほんとだな?」

「ええ。正直な話、週刊誌記者を恨んでいた時期はあるんですが。けれどそれはもう過去のことです。いまとなってはすべて水に流しました」


 いうまでもなくそれも大嘘だ。彼らのことを生涯好きになることも、許すこともないだろう。


「そうか。気のせい、だったらいいんだが……」


 輪島記者は短くなった煙草を灰皿に押しつけもみ消した。


 話が途切れたところでチャンスだと思った。このままペースを握られ続けるわけにはいかない。攻守交代だ。

 亜希は前のめりになった。


「ほかにもまだ聞きたそうですが、私に順番を譲ってもらっても?」

「もちろんかまわんよ。で、何が知りたい」

「そうですね……」


 時間の都合もあるし、回りくどい真似はしないことにした。


「記者さん、とのことでしたよね。それでちょうど聞きたかったことがあるんですが、先程ニュースで青島ヒロさんのスキャンダルを目にしました。ずばりそれについて非常に関心があるんですが」


 いきなり自分がかかわっている件について触れられて、警戒されてもおかしくないはずだったのだが、輪島記者は至ってふつうだった。少なくとも表情や態度に表れてはなかった。

 続けざまに二本目の煙草を口にくわえた。


 顎をしゃくりながらいう。


「具体的に何を知りたい?」

「シンプルに真実か否かが知りたいです。青島ヒロはほんとに女性と行為に及んだのか。あるいは私のときと同じく、表舞台に立っている人間の足を引っ張るため、世間の注目を集めるために、あることないこと好き放題記事にしたのかを」

「フッ、なんだか取材を受けてるみたいで新鮮だな」

「真剣に答えてくださいよ。私も聞かれたときそうしたんですから」


 テーブルから身を乗り出した。ここはなんとしてでもはぐらかされるわけにはいかなかった。

 輪島記者は腕組みをした。


「べつにそこまで気になるなら教えてやらんでもないが。しかし知ったところでどうするんだ」

「どうにもしませんよ。真相を聞いて納得するだけです。いうなれば自己満のようなものです」

「要するに口外するつもりはない。ここだけの話にしておくと、そういうことだな?」

「ええ、そのとおりです」

「じゃあこれはなんだ」


 輪島記者の行動は素早かった。

 いいかんじのところに仕掛けていた亜希の鞄を掴み取ると、強引に中を開けてスマホを引っ張り出してくる。


 しまった、と思った。彼は平静を装っていて、ほんとはかなり警戒されていたのだ。


 手のひらで口元を覆う。


「それは……」


 録画中の画面を向けられると言い訳が出てこなかった。

 それを見て輪島記者は口をへの字に曲げる。


「何が自己満だよ。たぶらかしやがって。初めから世間に暴露する気満々じゃないか」

「……」


 亜希はがっくりと項垂れてみせた。

 輪島記者はビデオを止めると、もう完全に証拠隠滅に取りかかっていた。削除したゴミ箱の中までチェックしている。


「俺に近づいたのもそれが目的だったんだな。たぶん暴露して、うちの会社に一杯食わせたかった。まぁ怪しいとは思ってたよ。あんなひどい仕打ちにあって、そう簡単に許せるはずないからな」

「……当然、ですよね。あのときの恨みを一瞬たりとも忘れたことはありません」


 もうこの際だ。亜希は開き直った。


「だからこの機会はある意味チャンスだと思いました。うまくいけば復讐を果たせるのではないかと」

「ふん。それができなくて残念だったな」


 輪島記者に鼻で笑われてしまった。

 悔しい、といわんばかりに歯を食いしばってみせる。


「せめて……例の記事の真相だけでも教えてくれませんか?」

「最後の情けにってやつか。まぁいいだろう」


 すっかり勝ち誇ったような顔である。

 口にくわえっぱなしだった煙草に火をつけると、深く煙を吐き出してその余韻に浸っている。


「とはいったものの、白川くんもすでに察しがついてると思う。そしてもちろん正解だ。スキャンダルはうちが勝手に作り上げたものであって。当の本人、青島くんは無実も無実。性的合意云々どころか、女に指一本たりとも触れちゃあいない。なのにいまでは地の底だ。どうだい、笑っちまうだろ?」


 笑えるわけがない。そんな最低な行いをして笑顔になれるのは人間のクズくらいのものであって、ふつうの良識あるものにとってはたんに不快でしかなかった。

 また過去に同様の被害を被った身としては、より一層強く感じたのかもしれない。


 輪島記者を蔑むような目つきで睨みつけた。


「むしろ気分が悪くなりました。なのでもう帰ってもいいですか?」


 スマホの回収はあきらめて、自分のバッグに手をかけようとする。も、彼にそれを阻まれてしまった。


「おっと、そうはさせん」


 それから彼はおもむろに腰を上げて、こちらにじりじりと詰め寄ってきた。

 見るからに悪い顔をしている。


 舌なめずりをしながらこういう。


「危うく一杯食わされるところだったんだ。となればこっちもタダで済ませるわけにはいかんだろ」


 亜希はさっと身構えた。


「いったい何をするつもりです?」

「そうだなぁ。とりあえずパパ活をしてもらうことは確定として」


 うひひ、と気味の悪い笑い声を上げている。


「ついでに白川くんのやらしい姿を撮らせてもらうかな。それを使ってまた記事を書くんだ。見出しは『元トップアイドルの××撮り写真流出!?』とかがよさそうだ。うん、これも絶対売れるぞぅ!」


 きゃあ、と亜希は悲鳴を上げた。

 涙声でもう一度確認をとる。


「私がやめてくださいといってもえっちなことをするんですか? パパ活を続けるつもりなんですか?」

「ふん。当たり前だろう。元々パパ活するつもりでこうして出向いてきたわけだし。ほんとはその気がなかった、復讐が目的だったといわれても俺からしたらそんなのしらんがな。いまさら退けるわけがない」

「そんな……!」

「だから君もおとなしく観念するんだな」


 鼻息を荒くした輪島記者がついに目の前まで来た。いまにも亜希の身体に襲いかかろうとしている。

 ふつうであればこのまま泣きじゃくるか、あるいは何かしらの抵抗を示すだろう。


 けれど亜希が選んだ行動はそのどちらでもなかった。

 嘘のようにぴたりと泣き止め、そして毅然とした態度を取ったのだ。


 ぱんと手のひらを打ち鳴らした。


「はい。ではもうけっこうです。ありがとうございました」


 その変わりようには輪島記者も呆気に取られていた。


「……は? いってる意味がよくわからないんだが」


 恐怖のあまり頭のネジが外れたとでも思われているのだろうか。


 もちろんそんなことはない。亜希は至って平常運転だった。

 輪島が鈍感で気づいてないだけなのだ。仕方なく教えてやることにした。


「あなたが取り上げたスマホはいうなればフェイクです。じつのところ『もう一台のスマホ』でばっちり言質を取ってました。青島ヒロのスキャンダルがでっち上げだという暴露。そして輪島さんがパパ活をしてるという事実」

「な、なんだと!?」


 顔を真っ赤にした輪島が取り乱した様子で、ポケットから出した本命のスマホを奪い取ろうしてきた。


 一方で芝居を止めた亜希は非常に落ち着いていた。冷静に彼の行動を見切って、難なくそれを回避した。

 ソファから少し離れていう。


「いちおう、そんなことしても無駄ですよ。録音と同時に、ヒロと通話で繋いでますから。スマホが一台だけだと思い込んでいた。もう一台あると見抜けなかった時点ですでに勝負ありなんです」

「こんちくしょうめが……ッ!」


 悪態をついている様を見て痛快だった。

 まんまとこちらの作戦・演技に引っ掛かってくれたのだ。完勝といってもいいのではなかろうか。

 これで無事復讐を果たせるだろう。そしたら輪島記者の人生も終わったも同然だ。


 ざまぁみろ、といってやりたい気分だった。さんざん人を不幸にしてきたやつにかける慈悲などない。


 けれど今回それをするもしないも、最終的な判断を下すのは青島ヒロだ。亜希の役目はあくまでここまで。

 手に持っているスマホに向かって話しかける。


「ヒロ? そろそろ出番のようですよ」

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