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今回の依頼人であるダークエルフの女性は、〝ネメリス〟と名乗った。
凛とした、楽器のようによく通る声色だ。女性の私から見ても、とてもカッコいい。まさに、女性があこがれる女性像を体現したようだ。
「それで、さっそく取引の話をしたいのだが」
基本的にはお客様との話はタリスさんが進める。私はいつも横で会話を聞くに過ぎない。しかし、今回はタリスさんが表情も変えずに、押し黙ってネメリスさんをじっと見つめる。
途端に訪れる静寂。
一体、どうしたというのでしょうか。
「あの、タリスさん……?」
堪らず声を上げた私の唇に、タリスさんの人差し指がそっと触れる。
黙れ、ということは伝わった。
でも、今はお客様の前なんですけど……。いや、お客様の前じゃなかったら、良いとかそういうわけでは……。
そんな自問を心の中で独り言ちる。
だって、喋るなと合図されているわけですし。
じっと、まるでにらみ合うように視線を交わす二人。私は未だに状況が理解できないでいた。
「取引の前に、」
ようやく、タリスさんが口を開く。
そして、前置きの後、タリスさんを中心に床一面を大きな魔方陣が広がる。
「――えっ……?」
肌が粟立つほどの威圧。空気が振動し、棚から本が落下する。今にも魔法を発動しそうなタリスさんの瞳には、明確に敵意が伺えた。
ネメリスさんはそれを見て、瞬時に腰の短剣に手をかける。
ナーも先ほどからずっときょろきょろしているし、何が起きているのだろうか。
「店を取り囲むように身を隠した方々は、あなたのお仲間ですか?」
静かに、低くタリスさんが問う。
その様に私はちょっとした畏怖を覚える。が、同時に見惚れてしまっていた。
私を背に隠すように、タリスさんが一歩前へと躍り出た。
震撼する空気が一層強まる最中、ネメリスさんはそっと短剣から手を離す。そして、いつでも動けるように曲げた膝をゆっくりと伸ばした。
「すまない。敵意があるわけではないのだ」
彼女の目尻がわずかに下がる。
ふっと、空気が軽くなった。それでも、まだタリスさんは魔方陣を消さない。
「ご説明を」
「……彼らは私の護衛だ。必要ないと言ったのだが……」
どんどんしおらしくなっていくネメリスさんを見て、何だかこちらが申し訳なくなってきた。
「護衛、ですか?」
タリスさんに代わって聞き返す。
「あぁ、私は砂の都カシェットから来たのだ」
カシェット……聞いたことのない地名ですね。
とりあえず、この周辺の街町でないことは確かだ。そもそも、ダークエルフは他大陸にしか集落を持っていなかったはず。もしかしたら、ネメリスさんはとても遠いところから来たのかもしれない。
このお店、一体どこまで噂が伝わっているのだろうか。
タリスさんを一瞥すると、彼は先ほどまでの殺気を解き、いつも通りの柔らかな表情に戻っていた。
やっぱり、タリスさんにはこちらの方が似合っていますね。
私の言わんとしていることがわかったのだろう。タリスさんが難しそうに唸る。そして、ややあって彼は「行けばわかりますよ」と言った。
この感じ、きっとタリスさんはまた少なからず知っていることがあるなと、私の直感が囁く。
そんな意地の悪い店長を横目に、私は過去へと潜った。
「いってらっしゃい」
タリスさんの言葉に見送られ、意識が微睡む。結局、身体の自由が利かなくなり、またタリスさんに肩を借りる羽目になってしまう。
ぐにゃりと歪んだ視界が暗転し、程なくして小さな気泡の群れが私を包み込んだ。
今回、私がしなければならないことは二つ。
ダークエルフの秘魔法の調査。そして、ネメリスさんが『擬態』の魔法を買う資格のある方なのかの調査。
おっと、そもそもネメリスさんがどんな人なのかも調べる必要がありますね。
魔法の等価交換を持ちかけてくるお客様は少なくない。
タリスさんが定める魔法の価値が違う場合は別途差額が出るのだが、今回に関してはダークエルフの秘魔法の方が『擬態』よりも価値が高いと判断された。
一体、ダークエルフの秘魔法とはどんなものなのでしょうか。
私が過去で得た情報と、タリスさんが売り手本人から直接聞いた内容が一致した場合のみ、正式に問題なしと判断される仕組みだ。
誰も、私が時流しの魔法で過去を調査できるとは思うまい。傍から見れば、調査するとか言って急に眠りだすおかしな店員だ。
嘘を炙り出すことは重要。嘘をつく人は信頼に置けない、というのが店の本意だ。
それにしても、砂の都ですか。やはり、砂漠なのでしょうか。
まだ見ぬ世界の景色を想像し、胸が躍った。
さて、今回の旅はどんな出会いが待っているのでしょう。
ふっと意識が覚醒する。今回も問題なく過去へと飛べたらしい。
ぼやける視界に人工的な灯りが浮かぶ。どうやら、室内のようだ。
「ナァーッ!」
鋭い耳鳴りの奥から微かにナーの声が聞こえた。徐々に、喧騒が身を包んでいく。
ゆっくりと、身体を起こした。
「ふぅ……さて、今回の出発地点はどこになりまし――」
「――侵入者だー! 捕えろー!」
四方八方から突きつけられる無数の槍。
「んぇ!?」
我ながら間抜けな声が出る。
晴れた視界に映るのは、きらびやかな広いホールで私とナーを取り囲む無数の甲冑を着た人たち。長い赤絨毯の先には、玉座と思しき絢爛な椅子に座る一人の若い男性。横には執事か宰相のような初老の男性が何人か、固唾を呑んでこちらを伺っている。
「貴様、どこから現れた!」
なるほど。なんとなく状況は把握できました。
「えっと……」
動かない脚を二度擦る。最近決めたナーとの合図だ。瞬間、ナーは私の首根っこを掴み、高く飛び上がる。
「とりあえず、逃げましょう!」
「ナァー!」
どうやら、今回も一癖ありそうな旅になりそうです。
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