第4話 猫とVRMMOと美少女
今日も目の前のベルトコンベアに大量の白いカップが流れている。
「もう、パート帰りにご飯食べにいこうって言ったのは昴なのに、なんでロボットで来ちゃうかな」
「ごめんごめん。最近、家の中でもずっとこっちだったからさ」
「だから、使いすぎは良くないって言ったのに」
「でも、今のうちに操作に慣れておかないと、いざ介護の本番が始まったときに困りそうじゃない?」
目の前のベルトコンベアに大量の白いカップが流れていく。
相変わらず傷も凹みもない。
「そんなこと言ってこのままだと昴、体より先に頭の方にガタが来るんじゃないの?」
「それはない、とは言い切れないかも。この間も椅子からベッドに運ぶ練習をしてたら、一瞬誰を運んでるのか分からなくなったし」
「少しでも違和感に気づけてるうちに病院に行ったほうがいいよ。もう、どこからどう見ても高齢者なんだから」
「ははは、手厳しいね。でも、念のため今度行ってくるよ」
目の前のベルトコンベアに大量の白いカップが流れていく。
少しの汚れすらない。
「来週の月曜から一週間、体験入居ってやつをしてこようと思うんだ」
「また、えらく急な話だね。医者からはまだ軽度だって言われたんでしょ?」
「うん。でも、最近はロボットと自分の区別がつくかどうかっていうのが、判断基準になってるらしくて」
「ふーん、そうなんだ」
「そう。それで完全自動化の介護施設で、いいところがあるって勧められたよ」
「ああ、あの最近CMとかニュースとかで見るやつ?」
「そうそう」
「でも医者がそういう斡旋みたいなことするのって、法律的に大丈夫なの?」
「キックバックとかもらってなければ平気なんじゃない? 多分。ともかく体験入居でよかったら、この家を引き払って二人でそっちに移ってみるのもいいんじゃないかな」
「うーん。まあ、それもありなのかな」
目の前のベルトコンベアに大量の白いカップが流れていく。
異常はまったくない。
「この度は、まことに申し訳ございませんでした」
「一体、なにが原因だったのですか?」
「現段階で分かっているのは、昴様の情報が同姓同名で生年月日も同じ他の入居者の情報と誤って紐付いてしまっていたということと、その方に投与されるはずの薬が投与されてしまったということで、いったいなぜそのような紐付けの誤りがおきてしまったかまでは……」
「……そうですか。こちらとしては遺族への補償さえしっかりしていただければ、別に構いませんので」
「まことに、まことに申し訳ございませんでした」
少なくとも、私の目には異常がないように見える。
視界の端は少しぼやけているけれど。
「十六時になりました。作業員の皆さまは速やかに退出してください」
スピーカーからドボルザークの「家路」をバックに抑揚の少ない女性の声が響いた。
この仕事は楽でいいけど、どうにも注意力が散漫になるからまいるね。早いところ気分を切り替えて帰ろう。
従業員通用口を出ると、また外の明るさに目が慣れるのに時間がかかった。週末の眼科は、絶対忘れないようにしないと。
「あ、あの、堂島さん。ちょっと、よろしいですか?」
突然、背後から裏返った声が聞こえてきた。振り向いた先には黒縁眼鏡で猫背の女の子が立っている。えーと佐々木……、じゃなくて斉藤さんだったかな。
「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
「あ、いえ、その、今日なんだか体調が悪そうに、見えたので……」
わりと鋭いところあるよね、この子。
「もしも、おつらいよう、でしたら、その、明日私はお休みなので、シフトの交換を」
それはちょっと魅力的な話だけれど、さすがに年頃の娘さんの休日を潰すのは悪いかな。
「あー、気にしないで。ちょっと寝不足気味だっただけだから。せっかくのお休みなんだし、ゆっくりしてなって」
「えっと、でも……」
「大丈夫、大丈夫。わしゃあまだまだ若いもんには負けんわい。それじゃ、またね」
「あ、は、はい! お疲れさま、でした!」
深々と頭を下げてから、斉藤さんは走り去っていった。いつも色々と気に掛けてもらってるし、やっぱり今度お菓子でも買ってきてあげよう。
※※※
今日は高岡さんやら迷子やらに遭遇することもなく無事に帰宅することができた。気力がなくなる前に夕食もお風呂も済ませたし、早いところ寝てしまいたいところだけれど。
「光! こっちは準備できたよ! 木漏れ日カフェのいつもの席で待ってるから!」
やたらキラキラとした絵文字満載のメッセージが届いた。疲れているけれど前々からの約束だし、無下にするのは良くないよね。ものすごく、疲れているけれど。
大丈夫とだけ返信して、ヘッドセットを被りコントローラーのホームボタンを長押しする。目の前にはいくつかのアイコンが現れた。えーと、今日の待ち合わせてるゲームは……あ、あったあった。
緑色のアイコンを選択すると目の前に「Last Rhapsody」というタイトルロゴが現れ、くるみ割り人形の行進曲が鳴り響いた。えーと、久々のログインだけれどアカウントは残っている。パスワードも記憶されているし問題ないはず。
決定ボタンを押した瞬間、目の前が明るい光に包まれる。眩しさが落ち着くと、辺りは森の中の町に変わっていた。やっぱりVRMMORPGの最大手だけあって、今日も人が多いなぁ。早く落ち着ける場所に移動しないと。
ファンタジーな見た目の人でごった返す広場を抜けて、大樹のうろに作られたカフェに移動する。店内も同じくファンタジーな見た目の人で埋め尽くされていたけれど、なんとか専用受付までたどり着くことができた。
「すみません、十九時にソウジュさんと待ち合わせている、ネコネコと言う者ですが」
「お待ちしておりましたネコネコ様。招待状はお持ちですか?」
「あ、はいこれ」
「たしかに承りました。では、こちらへどうぞ」
深緑色のメイド服を着た受付嬢が深々と頭を下げると、傍に真っ白い扉が現れた。
「あ、見て見て! あの人専用ラウンジに行くみたいだよ! いーなー!」
「すげー、はじめて見た。あれって、たしか結構な金額かかるんだよな」
「はえー、ブルジョアってのは本当にいるんやねー」
周りからの声と視線が恥ずかしい。しかも、ブルジョアなのは私じゃなくてコレから会う友人のほうだから、余計に恥ずかしい。なんだか虎の威を借る狐みたいだし。
急いで扉をくぐると、大樹の梢あたりに設けられたテラス席に移動した。木漏れ日の中、純白のワンピースを着た黒髪の美少女が頬を膨らませている。
「もう、光ってば遅い!」
そう言われても、約束の時間の五分前なんだけれど。
という反論は心の中にしまっておこう。
「ごめんってば、良子」
「もう、光はいつもそうなんだから。しかも、なんでまたネコの見た目なのよ! 今度はイケメンの見た目にしてきてって言ったのに!」
「しかたないじゃん、見た目と声を変更するアイテムって結構高いんだから」
「それなら言ってくれればよかったのに! その位ならいくらでも用意するんだから!」
「でもさすがにそれは悪いよ。この席がいつでも使える招待状だって、もらっちゃったんだし」
「なに水くさいこと言ってるの! そんなの友達なんだから当たり前でしょ!」
黒髪の美少女が得意げな表情で胸を張る。良子とは真由子よりも長い付き合いだけれど、いまだにわがままなんだか面倒見がいいんだかよく分からない。
私はなんだかんだで、気を遣わなくていいから楽でいいと思っている。
ただし。
「それに、会いに来てくれるのなんて光くらいなんだから」
「そっか」
そう思う人間はあまり多くないらしい。
良子が完全自動化の介護施設に入居したのは、たしか二年くらい前だ。仕事から帰宅して、ベッドに横たわる自分自身を見て「知らない老人が家に上がりこんでいる」と通報したのがきっかけだと聞いている。
「本当に仕事と自分の介護で疲れててちょっと間違えただけなのにさ、みんなここぞとばかり大げさに騒いで閉じ込めてくれちゃって」
「そうだね」
今日もまたそのときのことを含んだ愚痴大会が始まった。
「そうそう。しかも、この間なんて久々に娘が面会に来たと思ったら、『お母さんが使ってたロボット、そろそろ回収してもらったら』とか言い出すし」
「それは災難だ」
長い付き合いだからか、高岡さんの愚痴よりは真面目に聞いていられる。
「本当そうだよ。許可さえ下りれば、あのロボットでなら外出してもいいって言われてるのに」
「なら、まだ回収に出すのは早いよね」
「うん。だって、それに回収なんかに出したら、AIの人類侵略に加担することになっちゃうじゃん」
「よし。一回落ち着こうか」
ただし、ときおり突拍子もないことを言い出すのが心臓に悪い。
目の前の黒髪の美少女は、キョトンとしか言い表せない表情を浮かべて首を傾げている。
ひとまず、他愛のない冗談なのかなにがしかの症状なのかを見極めるために、もう少し詳しく話を聞いてみることにしよう。
「えーと、そのAIの人類侵略っていうのは?」
「えー、光ってばそんな話も知らないの?」
良子が憐れみやら見下しやらが入り交じった表情を浮かべた。昨今の3Dモデリングの技術の高さには感心するけれど、こんな表情を実装するのはゲームの健やかな運営によろしくない気がする。
「そもそもなんで高齢者のロボット使用が努力義務になったのか、ってことくらいは知ってるでしょ?」
黒髪の美少女が腹の立つ表情のまま質問を続ける。ともかく、今は話を合わせることにしよう。
「うん。あれでしょ、自分の介護を可能なかぎり自分でして現役世代の負担を減らしたり、労働力人口の減少に歯止めをかけたりするためっていう」
「そんな建前信じてるなんて、光は幸せだね」
このやろう、「ごっめーん、回線が不安定だから接続が切れちゃった」とか往年の言い訳をしてログアウトしてやろうか。
「もしそうだとしたら、少しぼんやりしたくらいで完全自動化の介護施設に放り込むなんてこと、許されないはずでしょ?」
「あー、それは、まあ」
とりあえず、もう少しだけ話を聞いてみよう。
「諸々の症状の進行を遅らせる薬だってもうあるんだから、それ飲んで仕事なり自分の介護なりを続けたほうが建前からずれてないじゃない」
「たしかに」
「そうでしょ。それなのに、そうしないのは今の状況がただの学習フェーズに過ぎないからなんだって」
「学習フェーズ?」
「そう。日々の会話とか行動とか細かな捜査記録とかをロボットの中に記憶して、某所にあるサーバーにその情報を密かに送信して、使ってる人をコピーするためのAIに学習させるの」
「えーと、それは何のために?」
「もちろん、ロボットにそのAIを搭載させて人間と置き換えるために決まってるでしょ。そのほうが政府を実効支配しているAIにとって都合がいいんだから」
「へー」
「だから、どっちが本当の自分か分からなくなるくらい使い込まれた情報が手に入ったら、中身の老人は隔離してロボットは回収してるんだよ」
なんとも指摘したい点が満載の話だけれど、一番気になるところだけ質問するとしよう。
「それで、その話はどうやって知ったの?」
「この間、まったり解説動画で見た」
「まったり解説動画って……」
可憐な少女の口から、私たちが新卒社員くらいのころからある少女のイラストが棒読みの人工音声で古今東西の事象を解説する動画のジャンル名が躍り出た。まったくの妄想からくる発言でないのはよかったけれど。
「それって、都市伝説の解説動画かなんかでしょ?」
「なに言ってるの! 真実が含まれてるからこそ都市伝説として広まってるんじゃない!」
黒髪を揺らしながら得意げな表情が胸を張る。
ひとまず都市伝説だということも認識しているから、過度な心配をするのはやめておこう。人のことを小馬鹿にする元気もあるみたいだし。
「それにしても、光ってこういう話に本当に疎いよねー。エンジニアと結婚してたわりに」
「……」
多分、こういう所が良子が今居る場所に送られる羽目になった所以なんだろう。
「前にも言ったけれど、あれは結婚とかそいうのじゃないから」
「でも、なんか書類みたいのもらってたし、結婚式だってしてたじゃない」
「別に向こうがやりたがったから記念にしただけで、法的にはなんの効力もなかったし」
「そうなの? でも、愛し合ってたんでしょ? ならさ、別に法がどうこうとかじゃなくて結婚っていうことでよくない? 少なくとも、私とか真由子とかは思いっきり祝福してたよ」
そして、多分こういうところが今でもなんだかんだで付き合いを続けている所以なんだろう。
「でもさ、だからこそあの件は残念だったよね。せめて……」
だから、好ましいほうの所以だけに目を向けておこう。
「そういえばさ、今日は何時くらいまで平気なの? 前はたしか二十一時に消灯だって言ってたよね」
「ああ、消灯時間ね。少し前までは守ってたけど、最近はなあなあになってるから気にしないで」
「そうなの?」
「うん。部屋の外に出なければ、別にあれこれ言われなくなったから。ただ、次の日からちょっと寝付きがよくなる薬が増やされるだけだし」
「え、それってちょっとマズくない?」
「平気平気、出されても飲まなきゃいいだけだし。完全自動化とかいっても、決められた時間以外は何があっても面倒をみないってだけで、管に繋がれてあれこれされるわけじゃないから。普通に世話してくれるのも人間だし」
「ああ、そうだったんだ」
それなら、つらい思いだけをしていたわけじゃなかったのかもしれない。
「そうそう。だから、これから久々に大型モンスター狩りにいかない? 今イベントやってて、クリア報酬で可愛いドレスもらえるんだって」
「いいね。じゃあ、ちょっとお手洗い行ってくるわ」
「うん! 早めに帰ってきてね!」
「はいはい」
メニュー画面を開いて「離席」アイコンを選択すると、視界が徐々に暗くなっていった。それから辺りは完全に黒一色に変わり、表示されたメッセージにしたがってヘッドセットを外した。目に入るのは古びた写真のかかった壁と、そこにもたれ掛かるデフォルメタイプの黒猫型ロボット。間違いなく自宅の部屋だ。
ヘッドセットを外したばかりだと少しフラつくけれど、早く行って戻ってこないとまたむくれられてしまいそうだ。この間も、職場からの電話で十分くらい離席したらめったやたらに怒られたし。
そんなこんなで、なんとか五分以内にヘッドセットを再び被り、木漏れ日のカフェに戻った。
「ふんふんふふふーん」
予想に反して良子は頬杖をつきながら上機嫌に鼻歌を歌っている。これなら、怒られることはないだろう。
「良子、お待たせ」
「ふんふんふふふーん」
「イベントの参加申請って、カフェの受付ですればいいの?」
「ふんふんふふふーん」
「それとも、メインメニューからできるんだっけ?」
「ふんふんふふふーん」
「最近ログインしてなかったから、仕様忘れちゃってさ」
「ふんふんふふふーん」
「おーい?」
「ふんふんふふふーん」
「ひょっとして、怒ってる?」
「ふんふんふふふーん」
「良子? 良子ってば」
「ふんふんふふふーん」
黒髪の美少女は微笑んだまま鼻歌を歌い続けている。
なんだか、怒られるよりはるかにマズい事態になっている気がする。とりあえず、機嫌を損ねてるだけなのか、通信障害でも起きているのか確認しないと。
よく見てみると、頭の上のあたりに見慣れないアイコンが表示されていた。しかも、やけに刺々しい形をしている。
これは、一体?
「注意」
突然、目の前に大きなメッセージウインドウが表示された。
「このプレイヤーはゲームに復帰する可能性が極めて低くなりました」
「……は?」
一体、なんの話をしてるんだろう。
「しかしながら、このプレイヤーはエグゼクティブプランに加入しているため、サーバーに過去の全てのプレイ記録が残されています」
この外国語を直訳したような文章はなんだろう。
「あなたは、それらの情報に基づいて作り上げたAIと一緒に、またこの世界を冒険をすることができます」
なんで良子が二度と戻らないような話になっているんだろう。
「それをするか否か決定する権限は、このプレイヤーによってあなたに与えられています」
少なくとも、プレイヤーキャラにリアルな感情表現をさせるためにコントローラーで脈拍や体温を計測する仕様と、目の間のメッセージとの間に関連性なんて少しもないはず。
「回答期限はただ今より四千三百八十時間後です。また一緒に冒険をしますか?」
目の前に、「はい」と「いいえ」のボタンがついたウインドウが新たに表示された。
状況はまったく分かりたくないけれど、とてつもなく重い選択を任されたことだけは分かる。
とりあえず、前に教えてもらった入所先の緊急窓口に連絡を入れないと。仕事の後に時間を割いて会いに来た友人を無駄に驚かせたことを、職員さんにでも叱ってもらわないといけないから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます