第3話 ヤマンバと黒猫

「それで時間通りに来たのに結局遅刻になったんだ、ウケる!」


 洋楽のオルゴールアレンジが流れる喫茶店。

 友人の真由子が何も入っていないマグカップを手にしながら笑った。


「ウケないでよ。こっちは交番に同行したり、もろもろ手続きしたりで大変だったんだから」


「ごめんごめん。でも光って昔っから迷子やら徘徊老人やらに巻き込まれるよね」


「本当、なんでだかね」


「その見た目だと余計なんじゃない」


「あー、たしかに、それはあるかも」


「なんで猫にしたのよ?」


「ほら、未来の世界のロボットといえばネコ型って、昭和の昔から相場が決まってるし」


「えー、そんな理由で?」


「そうそう、そんな理由で」


「ふーん。でも巻き込まれたくないなら、いっそのこと光もリアルタイプに買い変えてみたら?」


「リアルタイプねえ」


 顔に近づけたからのマグカップから、ジャスミンティーの香りがはっきりと伝わる。


 最近は当然になったけど、はじめて体験したときは感動したなぁ。


「すごっ! 本当に匂いまで分かるんだ!」

「うん。もう少ししたら味も伝わるようになるよ」

「へー……、私たちなんだか未来に生きてるね……」

「あはは、たしかに」


 そうそう。たしか、こんなかんじの会話をしたはず。


 面倒に巻き込まれなくなるのは魅力的だけれども、やっぱり買い換えはまだいいかな。お勧め話は適当に聞き流しておこう。


「私のこれもちょっと型落ちだけど、補助金の対象だから中古の軽より安い値段で買えるし」


「ふーん」


「デフォルメタイプより細かい作業もしやすいし」


「へー」


「生身に近い造りだから、着る物も普通の服でいいし」


「ほーん」


「それに、若かりしころの見た目を取り戻すこともできるし。私みたいに」


「うん、ちょっと待とうか」


 さすがに、そのセリフは聞き流せない。


「え? 私なんか変なこと言った?」


「変なこともなにも」


 金から水色にグラデーションがかかった長い髪に小麦色と呼ぶには焼けすぎている肌。

 三段重ねのつけ睫毛の目元を取り囲むシルバーのアイシャドウ。

 実際の唇より大きく塗られたピンクパールのリップグロス。

 しかも、着ているのは学生用ブラウスに馬球のロゴマークがついたベスト。

 スカートはタータンチェックのミニで足下にはルーズソックスとローファー。


 目の前に居るのは、どう見ても往年のヤマンバコギャルだ。


「私の記憶の中に、そんな真由子は一瞬たりとも存在しなかったんだけど」


「えー、でも周りの子達はこんなかんじじゃなかったっけ?」


「少なくとも、うちらの学校ではいなかったと思うよ。そこそこのお嬢様学校だったし」


「あはは、そうだったね」


「そうそう」


「でも、だからこそだよ。昔できなかったことを昔と同じ姿でやってみたいし。その迷子さんだって同じような理由で子供の見た目になってたんでしょ、きっと」


「そういうもんかな」


「そういうもん、そういうもん」


 真由子がふたたびマグカップを持ち上げると、店内のBGMが切り替わり英国出身の四人組ロックバンドの曲が流れはじめた。

 曲名がすぐ思い出せないけれど、母親が生きていた頃よく聞いていた曲だ。しんみりしたメロディーが好きで、デタラメな英語でよく口ずさんでたなぁ。


「……でもさ、本当に変な時代になったよね」


 突然、ピンクパールの唇がへの字を描いた。


「変な時代、か」


「うん。仕事やら子育てやら介護やらが終わったら、穏やかにくらしていけると思ってたのにさ」


「まあ、そうだね」


「それが今度は、『自分の世話は自分でしろ、人手が足りないから死ぬまで働き続けろ』だもん」


「たしかに、そこそこのハードモードかも」


「でしょでしょ。ま、このロボットのおかげで力仕事とかもそれなりに楽になってるから、そのへんはいい時代になったって言えるかも。娘に余計な負担かけなくて済むし」


「そうだね。そういえば、娘さんってもう結婚したんだっけ?」


「してるしてる。この間なんてひさしぶりに家にきて、孫が真似したら困るからもっと落ち着いた見た目にしろ、なんて説教してきたんだよ。酷くない?」


「あー、その件に関しては私も同じこと言うかも」


「え、マジで?」


「マジマジ」


「マジかー。ああ、そういえばさこの間――」

 

 とりとめのない話をしているうちに、窓の外はすっかり夕方になっていた。


「光といると時間が経つのが恐ろしく早いね」


「私も真由子といると時間が早く感じるよ」


「だよね! あのさ、また近いうちに会わない?」


「そうだね、パートがない日なら大丈夫だから」


「オッケー! じゃあ、こっちもパートのシフト確認しとく!」


 こめかみの辺りで横倒しのピースサインを作りながら、ヤマンバメイクの顔が満面の笑みを浮かべる。


「それじゃ、そろそろ帰ろっか。光、今日は電車?」


「うん、電車」


「なら、駅まで一緒だね!」


 それから、またとりとめもない話をしつつ二人で駅まで向かった。構内は相変わらず美男美女やら可愛らしい動物やらで賑わっている。さすがに、一人でウロウロしている女の子はもういない。きっと、帰るべき所に帰れたんだろう。


 ひょっとしたら、回収とか連行というのが正しいのかもしれないけれど。


「光、どうしたの?」


「あ、ううん、なんでもない。今日は楽しかったよ」


「うん、私も!」


 真由子が満面の笑みを浮かべる。厄介なことはあったけれど、この笑顔をみるとやっぱり元気をもらえる。また会える日が楽しみだ。



「じゃあ、私こっちの路線だから。明日また学校でね!」


 

 でも、ひょっとしたらもう会えないのかもしれない。


  

 電車を乗り継いで家の近くに着いたころにはすっかり夜になっていた。


 今日は早く寝てしまいたいのに――


「ちょっと、堂島さん聞いてよ!」


 ――こんな時間なのに一人で道を歩いていた高岡さんと遭遇してしまった。


「なんですかー」


「息子達ったら酷いのよ! せっかくのご馳走を作ってあげたのに、母さんも歳なんだからいい加減にロボットを使えだとか言うの!」


「そうなんですかー」


 まあ、高齢者はロボットを使って自分の介護をしたり、未来ある若者に就かせるには忍びない職に就けっていうの努力義務だからね。


「なんであんな年寄り用の道具を使わないといけないのよ! 私はまだ自分のことを自分でできてるのに!」


「そうなんですねー」


 元気かどうかはともかく、年寄りではあるんじゃないのかな。私よりも五歳は年上なんだから。


「それが嫌なら心配だから施設に入れって言うのよ!」


「そうですかー」


 こんな時間にウロウロしてるんだから、息子さんがそう言う気持ちも分からなくはない。ただ。


「あんなの、人間のいる所じゃないのに!」


「そうですね。本当に」



 適当に相槌を打ち続け数十分ほどで高岡さんは満足し、私もようやく家に帰ることができた。


「ロボットを使い続けることによる自己同一性の――」


「S5900‐Σで自由を取り戻せ――」


「完全自動化の介護施設。その実態に――」


「N2800で毎日をちょっとだけ楽しく――」


「遺族はこう語る。あれは施設なんかじゃなく収容所で――」


 なんとなくつけたテレビから、ろくでもない話ばかりが流れてくる。早く風呂に入って寝てしまいたいのに、ソファーから立ち上がる気力が湧いてこない。


「当園では最新鋭の介護AIユズリハによるトリアージに基づいたオートメーション介護で、ケアラーのキューオーエルを高め――」


 画面の中でトロイメライをBGMに、高齢者達が楽しそうに笑っている。

 

 高齢者がロボットを使用することが努力義務になってから、世間に一つの不文律のようなものができた。

 どちらが本当の自分か分からなくなったら、完全自動化の介護施設に連れていく。

 そうすると簡単な面接を受けて、大体の人間が即入所となる。それで、大体の人間はそのまま帰ってこない。

 ちなみに、完全自動化の介護がどんなものかという説明は一切されなかったし、今もされていない。


 テレビから目を離すと、古い写真がかかった壁とそこでうな垂れながら充電されている黒猫が目に入った。


「これはあくまでも外出用の体。介護が必要になったら家の中でも使うかもしれないけれど、あくまでも仮の体。間違っても私自身じゃない。だって、これ猫だし」


 口に出してみると、少しだけ気分やら体やらが軽くなった気がした。

 よし、この勢いで風呂に入ってさっさと眠ってしまおう。

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