第2話 猫と厄日と迷子

 テレビ画面の左上に、九時三十五分と表示されている。待ち合わせ時間は十二時だから、もう少ししたら出かけよう。天気は曇りのち晴れ、なら傘は持っていかなくていいかな。


「豊かな緑に囲まれて第二の人生を過ごしませんか?」


 いつの間にかテレビには、トロイメライをBGMに私と同年代の高齢者達が緑が眩しい庭で楽しげに過ごす映像が流れている。

 ここのところ二階に上がるのも億劫になってきたし、もう少し歳を取ったら家を賃貸に出してこういう昔ながらの施設に入るのもいいのかもしれない。


「当園では最新鋭の介護AIユズリハによるトリアージに基づいたオートメーション介護で、ケアラーのキューオーエルを高め……」


 前言撤回。

 少なくともこの施設はやめておこう。


 それにしても、それっぽいカタカナ語でごり押しできるのは私らよりもう二、三世代くらい上の人たちまでじゃないかなぁ……。


「S5900‐Σで自由を取り戻せ」


 今度は新しい外出用の体のCMか。S社のは相変わらずいわゆるリアルタイプだ。


「最新の生体連動技術で表情も、細やかな動きも思いのまま」


 画面に映る作り物の顔が、次々と自然な表情を浮かべていく。

 涙までは出ないみたいだけれど、ぱっと見ただけじゃ生身と区別がつかないかもしれない。それに、動きの方もかなり生身の人間っぽい。


「……」


 古い写真が飾られた壁の前では猫の頭をした、デフォルメタイプと呼ばれている外出用の体がうな垂れ充電されている。


 表情は顔文字の延長線でリアルさの欠片もないし、完全に思い通りの動きができるわけでもない。自分の身体とは似ても似つかないかりそめの身体。


「よーし、せっかく新しい身体を手に入れたし、一緒に写真撮ろう!」

「うん、そうしよう」


 窓から差した陽が色褪せた写真を照らした。そういえば、そんなこともあったかもしれない。なんだかんだで、この身体にも楽しい思い出もそれなりに詰まっていたはず。


 うん。リアルタイプも気にはなるけれど、買い換えはしばらくいいや。

 さてと、今日もそろそろ外出用の体に着替えないと。


 テーブルに置いてあったヘッドセットを被り、薄暗い視界の中でコントローラーを手に取ってホームボタンを押す。


 ――コイーン


 子供の頃から聞き慣れた効果音とともに製造企業であるN社のロゴマークが表示され、視点が切り替わった。

 微妙に散らかった部屋の中でヘッドセットをつけコントローラーを持った白髪頭の女が、小型の扇風機が乗ったテーブルを前にしてソファーに座っている。

 軽く前に進んでみると、連動して扇風機が動き出し微かな空気の流れを感じた。これで今日も画面酔いになることはないはず。


 さっそく出かけよう。



 玄関の扉を開けると、一瞬だけ視界がぼやけた。やっぱり、明るさの変化に上手くついていけていないみたいだ。眼科の予約、もう少し早い時間にできないか相談してみようかな。


「あら堂島さんじゃない!」


 突然、背後からしわがれた大声が聞こえてきた。

 あまり関わりたくない声だけれども、無視するわけにもいかないか。


 恐る恐る振り返ったさきに、笑顔の高岡さんが杖をついて立っていた。機嫌は悪くなさそうだし、適当に挨拶をして切り抜けよう。


「どうもー、おはようございますー」


「おはよう! これからお仕事!?」


「今日はお休みなんですよー。でも久しぶりに友人と会うことになっててー」


「あらそうなの! うちもね、今日から息子と孫たちが遊びにくるの! 夏休みだから!」


「そうなんですかー。それはいいですねー」


「そんなことないわよ! 元気すぎてうるさいし、ご飯は沢山作らなきゃいけないしで大変なんだから!」


 そう言うわりには、笑顔はまったく崩れていない。ここまで機嫌がいいなら少しくらいは付き合っていい気もするけれど、約束の時間があるしなあ。


「そうなんですかー? でも羨ましいですよー、うちなんて孫どころか子供がいませんからー」


「そんな羨ましがるもんじゃないわよ! 元気すぎてうるさいし!」


「そうなんですかー」


 それはさっき聞いた。


「ご飯の用意は大変だし!」


「そうなんですねー」


 それもさっき聞いた。


「それに洗濯物だって増えるし」


「そうですかー」


 それもさっき聞い……てないけれど、どうでもいい。


「この間の連休に来たときだって本当に大変でね!」


「そうでしたかー」


 なんだか、このまま延々と間延びした相槌を打ち続けないといけない雰囲気になってきている。

 仕方ない、あとあと面倒になりそうだけれど、無理やりにでも切り上げさせてもらおう。えーと、たしかRボタンとFボタンを同時押しで、なんか音が鳴ったはず。


 ――ジリリリリリリリリ


 よし、鳴った。


「すみませんー。友人から電話がはいっちゃったみたいなんでー」


「あら、そうなの」


 正直なところ着信音というより目覚ましに近かったけれど、納得してくれたからよしとしよう。


「じゃあ、私はもう行くから! 息子と孫達がくるから!」


 それもさっき聞いたなあ。

 高岡さんは杖を鳴らして家へ帰っていった。戻ってこないうちに、早くこの場を立ち去ろう。

 それにしても、なんでこんな時間にこんな場所に居たんだろう?

 買い物に行く様子でもなかったし、ゴミ出しの時間にしては遅すぎるし。まさか、徘徊が始まったとかだったり……なんて、私が気にしても仕方ないか。はやく駅に向かわないと。



 待ち合わせの駅にたどり着くと、今度は本当に友人からの連絡があった。


「ごめん! 電車に乗り遅れちゃったから、十五分くらい遅れる!」


 視界の右上に表示されるメッセージに、「了解。時間潰してるから気を付けて焦らず来てね」と返信する。コントローラーでの文字入力にも慣れてきたけれど、やっぱりキーボードが欲しいところだ。

 パート代が入ったら安いヤツでも買おうかな……あ、返信だ。


「ありがとう! 急いで行くから!」


 だから、焦らず来いと言っているだろうに……、なんて返信をする必要もないか。

 急いだところで、危ないことなんて起きないだろうし。外出用の体で車の運転ができるわけでもないし、出せる速度だって早歩きくらいまでなんだから。


 さて、雑貨屋か本屋にでも入って時間を潰そう――


「えぇええええんおがぁっ……ざ……ええぇぇぇぇぇえ!」


 ――と思ったのに。


 今日は厄日なのかもしれない。改札の片隅で、小さな女の子が直立不動で大声を上げて泣き出した。

 えーと、多分迷子だろうし、駅員はすぐ来るだろうけれど。


「えぇぇぇぇええええ!」


 まずは落ち着かせる必要がありそうだ。

 可愛い系のデフォルメタイプの人なら、宥められるかもしれない。えーと、周りにいるのは。


 見渡すと、美男美女たちがこちらに視線を送っていた。デフォルメタイプの人は見当たらない。全員無言だけれども、「猫、お前行け」という言葉がひしひしと伝わってくる。


 子供の扱いは未だによく分からないけれど仕方ない。


「にゃー」


「!?」


 近づくと、小さな肩がびくりと震えた。さすがに怪しすぎたか……、それでも一応泣き声は落ち着いたし、このキャラでいってみよう。


「お嬢ちゃん、どうしたのかにゃー?」


「……ぉ、ぁっさ、ん、いなっ」


「そっかー、それは大変だにゃー……ん?」


 この子、涙がもう乾いている。

 落ち着いたとはいえ、さすがに早すぎるんじゃ?


 最新の生体連動技術で表情も、細やかな動きも思いのまま。


「……ちょっと、ごめんにゃー」


「?」


 大きな目を覗き込み、コントローラーのズームボタンを押し込む。

 いくらズームをしても血管一本見えない白目の端に、黒い文字が刻まれている。


 S5900‐Σ。


「ねこ、ちゃん?」


「あー、ごめんにゃー。とりあえず、もうちょっとでお迎えの人がくるから、いっしょに待ってようにゃー」


「う、ん……。おかあさんも、くる?」


「んー、まあ、おうちの人は誰か来てくれると思うにゃー」


「ほん、とう?」


「多分だにゃー」


 我ながら無責任過ぎる言葉だけれど、構わないだろう。


 きっと、この人はすぐに忘れてしまうはずだから。


 本当に今日は厄日なのかもしれない。

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