天才
フェリクス王国は実用技術の研究や、その製品においては隣国の工業大国「メカナティア連邦」に遅れを取っているが、自然科学にまつわる基礎研究はむしろ先進的な国である。
その理由の一つは、特に禁じている研究や思想がないということが挙げられ、もう一つには若き天才の存在が挙げられるだろう。
ブレアノ大学、駅の南口側に開かれたその学び舎は、ブレアノ城並の建造物と敷地を誇る国内最大級の学び舎であり、特に自然科学系の研究においては件の天才の影響もあり、他の追随を許さない。
「フィオル、先生は息災か?」
「ええ、多少元気すぎるほどに」
その大学にカロッツ、ミリアリア、そしてフィオルの3人は訪れていた。先ほど、フィオルが怪しげな噂に関連するかもしれない者がいる、と話したことで、とりあえずその人に会おうということになった運びである。
門をくぐったところで、ミリアリアはいささか緊張様子で二人に問うた。
「あの、今からお会いする方ってどんな方なのでしょう」
「「変人です」」
その者がどのような人物なのか、直接会う前に所感を聞いておきたいミリアリアだったのだが、異口同音で即答だった。
(本当に大丈夫なのでしょうか……)
その人のことを真に知る前に、偏見を持つのはよくないと思いつつも、やはり不安を拭えない優しい異端審問官。そんな彼女を見て、フィオルは少しプレッシャーをかけすぎたかと思い、その男のフォローに回った
「まあ、悪い人ではないですよ。アクの強い人ではありますが」
「うん、多分この世で唯一無二だな」
「ええ……」
フォローになっているのかなっていないのか分からない補足に、ミリアリアは戸惑った。そうこうしてる内に、一行は目的の場所である、フィオルの師がいる研究室にたどり着いた。
「では、行きましょうか」
そう言って、フィオルは部屋の扉をノックした。返事がないことはいつものことなのか、そのままがちゃりと開けた。
部屋に入った一同の目に飛び込んできたのは、まずその特異な髪色と、黒の生地に白の生糸で背中に「天才」と縫われたシャツであった。何事かに集中しているのか、こちらの存在に気づいてさえいないようだ。
「先生、お時間よろしいでしょうか」
「んん?我が弟子じゃあないか」
フィオルの声にやっと反応し、紫紺を極めたようなその髪を揺らして、こちらを振り向く。思わず目が奪われるほどの美形で、彼ほど均整の整った美貌の持ち主は、王都にすらいないだろう。彼はまず愛弟子の姿を確認して、そのまま横に視線をずらしていった。
「おお、我が弟子の兄もいるのか!それとそこのマロンの髪の女性はだれかな?まあいい良く来た。ん?そういえば久しいな我が弟子の兄よ」
「カロッツです、カロッツ・ドラゴノート」
「ふははははは!!我にとっては些事よっ些事っっ!!」
ぶははと豪快に笑い飛ばす男性はかなり、大分、相当、凄く、癖のある人物のようだ。ミリアリアは自分がどのような反応をしたらいいのか戸惑い、その様子を見た男は「おっと、これは失礼」と言いながら立ち上がった。
「初めて
彼は意外にも完璧な所作で一礼を行い、自らの名を告げた。
「我が名はアルスティン・ニュートニウス・マクスウェル。国王陛下より栄誉ある名を頂いた天才だ、よろしく」
「ミ、ミリアリア・シュミットです。よろしくお願いいたします」
「ふはは、そう緊張するな。取って食ったりはせんよ」
彼の奇天烈さと礼儀正しさのギャップに困惑しているだけで、別に彼女は緊張をしているわけではないのだが。
さて、それはともかくこの男、何もホラ吹きの誇大妄想主義者というわけではない。国王からその数々の科学的発見の功を認められ、”ニュートニウス”の名を下賜されるほどには、余人と隔絶した頭脳の持ち主なのである。
「して我が弟子よ、何用かな。講義にはまだ時がかかるはずだが」
アルスティンは大学で教鞭を執っており、彼がフィオルを弟子と高らかに言っているのも、彼女の才気が天才の頭脳に追いつくほどだという証左である。
「先生、実はこちらの異端審問官であるミリアリアさんが先生を罰しにいらっしゃったのです」
「なんとぉ!?私を売ったのか我が弟子ィ!!」
「いえ違いますよ!?」
独特のテンションに戸惑うミリアリア。教会にも様々な人間がいるが、このような人柄はかつてないほどに強烈であった。邸宅ではしっかり者に見えたフィオルも、雰囲気が違うように思える。
「あの、つかぬことをお伺いしますけど、噂されてるような危険な研究や教えを広めてたりとかされてないんですよね……?」
ミリアリアはもしかしたら、という一抹の不安を覚え、恐る恐るといった様子でアルスティンに問う。彼はそれに対してはいくらかテンションを落ち着かせてこう答えた。
「わからん」
分からないとはどういうことだろうか、そう質問する前にアルスティンは補足するように言葉を連ねた。
「そうだな……私はどこの誰がどう見ても天才だ、天才故にあらゆる学問に精通している。数多の研究領域を開拓し、充実させたという自負もある」
彼は右腕を掲げ、力強く握りしめる。それは今までの功績を、プライドを掴み取ってきたという比喩だろう。
「だからこそ、他者から見れば危険と思われるようなことにも手を出したかもしれん。故に分からん」
先ほどとはうってかわって、その精神に秘められた知性を顕にしたかのような様子に、フィオルを除く二人は戸惑う。
「マロンの少女よ、君は何を以て危険と断ずる?」
「私は…私たちハレウス教会は、民の安寧を揺るがす者を危険と、異端と断じます」
そして、とミリアリアは一呼吸起き、アルスティンの目を毅然と見つめて続けた。
「そして私は、貴方を
「ふ、ふはは!ははははっっ!!そうか、ならば宜しいッ!!」
ミリアリアの答えを聞いたアルスティンは、高らかに笑った。哄笑が落ち着いた後、彼は「気に入ったぞ」とミリアリアを認めたように言うと、自説を展開しだした。
「これはこの天才の推測に過ぎんが、ミリアリア女史の言う噂とは、十中八九でこの私と、それを擁している
早口だが、リズムよく紡がれる言葉は聞く者を置いていかず、むしろ自身の思考に他者を引き上げる。
「であればそいつらは、評判を落とす噂を広め、その次に列車の事件を起こすことで治安の悪化を図った、ということですね?」
「いい演繹じゃないか我が弟子の兄よ」「カロッツです」
ミリアリアは名前で呼ばれたのに、自分は不可解な呼称なのが納得いかないと言わんばかりに、カロッツは眉根を寄せていた。その様子がおかしかったのか、ミリアリアとフィオルはくすくすと笑っている。そんな3人をよそに、アルスティンはさらに持論を展開していった。
「おそらく、これはまだ始まりに過ぎんな。列車の件が失敗に終わった以上は、更に過激な手段に出ることも考えられよう。それこそ、私の暗殺だとかな」
「そんなことは俺達がさせません」
「ああ、その点においては一点の曇りなく信頼しているともさ」
彼にとってドラゴノート家は最大の後ろ盾であり、既に一定以上の信頼をカロッツらに向けている。この領土にいる限りは当面の間は安全だろうと、彼の脳内も結論付けていた。
「さてここで、いま一番重要な問いを諸君に投げかけよう」
芝居がかった言動で、あるいは教壇に立って指導するかのように、フィオルたちを順に見渡した。
「その連中にとって不都合な私の研究とはなんだ?」
その質問に即答したのは、白金の髪を持つフィオルだった。
「先生の過去に導いた成果が邪魔なら、今更先生を害する意味はありません」
「そうだろうな、既にそれらは私の手元を離れ、大衆の元にすら届いているものがあるだろう」
師の応答にコクリと頷いて、フィオルは「ですので」と続け、彼女の結論を発表した。
「先生と私が現在行っている研究、天文学に関する研究に鍵があるのだと推察します」
「ンンッ
弟子の回答に対して声高らかに花マルをつけてやると、彼はまるで理論を証明するかのように、皆に述べた。
「そう、つまり現状最も直接的に兵器や魔法に応用できる領域からかけ離れている研究が、我が敵にとっては不愉快この上ない、ということになる」
この場の誰よりも、アルスティンは憤りを覚えていた。それは自身の命が狙われたからではない。もしこの一件が長引けば、思想や科学の弾圧に繋がりかねないからだ。
「では、人々の平和を脅かすから狙われたのではなく、思想の対立でアルスティン様を害そうと?」
「で、あろうな」
ミリアリアは少々信じられないといった驚愕の表情を浮かべていた。それはアルスティンの推察への不信ではなく、ただ個人の研究が気に食わないからと攻撃を行うような者たちへの、軽蔑すら混じったような感情だった。
「なんにせよ、このまま後手に回るのはよくないな。我が弟子の兄よ、腹案はあるのか」
「それについては、ここにくる道中で二人と話していました。結論として今回の事件で捕らえた襲撃犯をまず調査、利用するべきかと」
カロッツの答えに、天才はニヤリと笑みを浮かべ、簡潔に「エクセレント」と答案に満点で返した。
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