第30話 ネ甲の惑星

 美来は目眩を起こしたような間隔に見舞われる。


 宇宙飛行士が訓練でやるような、縦横斜めに回転する装置を一瞬で、高速で体験したように目が回っていた。


 意識を集中しすぎて、知恵熱が出たと言うか、頭がキーンとなったような。


 そのまま一瞬気が遠くなったが、バッと周囲の気圧が一気に変わったような衝撃と共に、未来の身体は投げ出された。


 地面に足をつき、次に手をつく。平衡感覚が戻らず、周囲の様子もよく分からない。


 見えないわけではない。光は感じるが、目を回しすぎてよく分からないような。体はそのままだが、周囲の景色だけがまだぐるぐると回っているような気がした。


 硬い地面の感触。アスファルトだ。帰ってこられたんだ、と安堵感が一気に襲ってきた。


 大きく深呼吸する。


 間違いない。元の、地球の空気だ。


 ハッと思い出して、腕に巻かれたサティの画面を見る。


 そこに書かれた文字は……。


『神』


 うまくいった……、と安心したのもつかの間、画面の上部にビシッと亀裂が入る。


 失敗? いや、壊れた?


 帰れたのだから成功はした。だが扱うには強い意志力が必要で、足りなければ破損すると聞いた。


 意志力が足りなくて、大きすぎる力を制御できずに壊れたのか。


 だが文字は消えていない。神の文字のつくり「申」の一部が欠けただけだ。


 これでは「甲」だ。


 あはは、と乾いた笑いを漏らした所で、


『ミライ!』


 という音声が聞こえる。


 この聞き慣れた無機質な音は……、と周りの景色に注意を向けた。


 美来が座り込んでいるのは、街の公園。


 飛ばされた場所と全く同じ場所だ。


 傍らではロータスがカートの上から心配そうに覗き込んでいた。


「ただいま。ローたん」


 呑気に話しかけるとロータスは「ニャア」と鳴く。


『なんだ? 1931、お前が戻したのか?』


『いや……』


 と宇宙服の会話に注意を向けると、ケーニッヒや陽子も先程のままこの場にいるのに気がつく。


 陽子は地面にへたり込み、事態についていけずに目を丸くしている様子だった。


『なら、こちらの問題は解決だな。規定に基づき、この人間を追放する』


 とビーグルは陽子に向き直る。


「そんな。戻ってきたじゃない! 許してよ!」


 陽子は後退りするが腰が抜けているようだ。


「あ、私からもお願いします。私は大丈夫なんで、許してあげてください」


 だがビーグルは聞く耳を持たないようだ。


 ランファにも助けてあげるよう懇願するが、


『我々には関係ない。もっとも我も同意見だ。さっきまで地獄星へ追放させろと揉めていたのだ。お前が戻ってきたので奴に委ねることにした』


 え? とランファとビーグルを交互に見る。


 ランファの言葉から、美来が事故で予測不能な場所に飛ばされたのは間違いないのだろう。


 事故なのだから、戻そうと頑張っていたが、不測の事態だったので絶望的と判断された。


 美来はロータスの下僕、ネコ族の資産だ。


 それをイヌ派の陽子のせいで飛ばされたのだから、その処遇を巡って揉めていたのだろう。


 ネコ族の資産なのだからネコ族に処罰させろ! いやイヌ派のやったことだからイヌ族が処罰する、というところだろうか。


 地獄星へ追放させようとしていたということは、イヌ派の処罰では生温いということなのだろうか。


 美来が戻ったので、ランファの気は済んだようだ。


 だがそれでも、目の前で追放されようとしている陽子を見捨てていいものだろうか。


「た、助けて!」


 と懇願する陽子にビーグルは容赦なく手をかざす。


 陽子はギュッと目を閉じた。


 ……だが、陽子に変化はなかった。


『……?』


 ビーグルは訝しげに自分の手を見る。


 また陽子に手を向けるが、同じ。陽子は消えることはない。


『どういうことだ?』


 ビーグルは疑問を口にするが、美来は自分が無意識に陽子に手をかざしているのに気がついた。


『それは……』


 とランファが美来の手首に付いているサティを見る。


『相殺……されたのか!? なぜ?』


 動揺するビーグルはランファの仕業でないことを確認するようにこちらを見たが、美来の手にも気がつく。


『バカな……。なぜお前がそれを持っている?』


 話せば長いんですけど……、と困っていると、


『いずれにせよ、ここではやるな。保留にして、改めてそちらで処遇を決めるのが良いだろう』


 とランファが言う。


『むう……』


 ビーグルは納得してないようだったが、他にどうすることもできないようで、渋々だが陽子を連れて帰っていった。


 残された美来達はそれを黙って見送っていたが、ビーグル達が見えなくなったところで我に返る。


「あ、えーっと、これは……」


 と手首に付いている物の経緯を説明しようと振り向いたが、そこにはヘルメットを脱いだランファの姿があった。


 驚いて固まっていると、宇宙服の手が美来を抱きしめる。


『良かった。ミライ……、戻ってきてくれて』


「あ……、え? いや、あの」


 あたふたとするも、されるがままにする。


「話せば長いんですけど……」


『なら後でゆっくり聞く』


 いつもランファの目の前に立体映像のように映し出される字幕は、美来の頭の後ろに来るくらいにランファの顔が近かったが、美来は構わず鼻と鼻を近づける。


 美来がサティを手に入れたことで、もしかしたらランファに危険分子として警戒されるかもしれないという不安があったが、その心配はなかったようだ。


 美来のサティが、ビーグルの若無砲を相殺したようだが、正直どうやったのか自分でもよく分かっていない。


 それに破損していて、本来の力を発揮できないのかもしれない。


 文字の通りの「神」の力を行使できるわけではないだろう。


 これからどうなるのかは分からないが、ランファの言う通り、それは後でゆっくり考えることにしよう。


 美来はランファと鼻同士擦り付ける。


「初めて名前呼んでくれた」


『そうだったか?』


 ロータスがカートの上から身を乗り出し、「ニャア」と声を上げる。


「ごめんね。ローたん。今だけ許して」


 美来は首元のふさふさした手に腕を回し、額をくっつけるようにして目を閉じる。


「私のセリフにも字幕出せるんですかね?」


『知らん』


 美来はくすくすと笑いながらも額を擦り付け、続いて身を利出してせがむロータスにも同じように擦り付けた。

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