第28話 晴れた日は公園に

 街は閑散としていた。


 ここは元々猫民の領域としてお猫様が暮らしていた街だ。


 そこをイヌ族が侵食し、猛犬の気配に、住人、ネコ達が怯えてどんどんと移転を余儀なくされ、ついに猫民がいなくなったとされていた地域。


 数日前まで、このあたりを通ると引っ切り無しにイヌが吠えかかってきたものだったが、今は静かだった。


 美来はロータスを乗せたカートを押してすっかり静かになった街を歩く。


 ロータスも空気の匂いを嗅ぎながらも満足気だ。


 まだイヌの匂いは残っているだろうが、もう周辺にはイヌがいないことが分かっているのだろうか。


 あとはまた猫民達が街に戻って、今まで通りの生活に戻るだけだが、その前にやっておきたいことがあった。


 一つは街が完全に平和になったかを確認すること。


 以前のような獰猛な犬がいるのなら、ロータスが散歩しているだけで吠えかかってくるはずだ。


 散歩コースではなく街の様子を見るために巡回しているのだが、今のところその様子もない。


 街からイヌ族はいなくなったとみていいだろう。


 もっとも完全に無人ではなく、何世帯かの猫民はいる。彼らの家も訪問し、様子はどうかと話を聞いた。


 美来は、元々犬民との境界にあつた公園へと足を向けた。


 もう一つのやっておきたいことを片付けるためだ。


 公園のある開けた場所に出ると、イヌ特有の動物臭が鼻を突く。


 イヌ族の縄張りであることを実感させられるが、イヌの姿は一頭しか見えなかった。


 そして相方となる人間。犬飼 陽子。


 陽子は蹲るように相方犬であるケーニッヒと向き合っていたが、ケーニッヒがこちらの存在に気がつくと、陽子もこちらを見た。


 美来の姿を確認すると陽子は立ち上がり、真っ直ぐに走り寄ってくる。


 5メートルほどの距離を開けて立ち止まり、震えるような声を上げた。


「ちょっと! どういうことよ? どうなってんの? いったい何をやったっていうのよ!」


 たはは……、と苦笑いしながら、


「何をって言われても……、特に何も」


 と答える。


「何もしてないワケないでしょ!」


「今まで通り住んでただけと言うか……それより、どうかしたんですか?」


 予想はできるとは言え、厳密には知らないのだ。


 美来達は、本当に今まで通りの地域に住んでいただけだ。かなり入れ替えはあったが……。


 陽子は、自分の口から言うのが屈辱だと言わんばかりに、顔を真っ赤にして悔しそうに歯軋りする。


 そうしていても仕方がないと思ったのか、唇を震わせながら言葉を絞り出した。


「みんな……、……たのよ」


「はい?」


 陽子を美来をキッと睨む。


「みんな引っ越したいって言ってきたのよ! 今の所から移りたいって。……っていうかもう行っちゃったけど」


 下級犬民に落とすと言っても「どうぞそうしてくれ」と。もっとも陽子にそこまでの権限はないので一か八か言っただけだが。


 困り果て、半ば悔し紛れに「イヌ星人に通報して反逆者として追放してもらう」と言ったら……、


「じゃあネコを迎えて猫民に亡命する、って言われたー」


 と尻を地面につけて子供のように泣き始めた。


 ケーニッヒがその様子を見てそばに寄り、慰めるように陽子の顔を舐める。


 イヌを多数飼っていたとしても、一匹でもネコを迎え入れれば猫民になれる。どちらに属するかは頭数によるものではない。


 お猫様を迎え入れるのに抵抗がなければそうすることも可能だ。


 ただ今までのポイントがどうなるのかとか、イヌ達は肩身の狭い思いをするのだとかの心配はある。


 だがそれでもそうしたいと思うほどのことだったのだろう。


 そしてそれは予想の通りだった。


 街は既に見回って、犬民が全ていなくなったのは確認している。


 陽子は泣き疲れたのか少し大人しくなった。


「犬飼さん。あなたはイヌ達に外敵が近くに来たら吠えかかって追っ払うよう訓練してましたよね?」


 陽子は赤くなった目で未来を見る。


「そのイヌ達を猫民の近くに住まわせて、夜通し吠えさせて、猫民がそこから引っ越したくなるように仕向けた」


 実際猫民やお猫様達は精神的に参って、どんどん奥へと後退を余儀なくされた。


 人間が「これは戦争だ」と頑張ろうとしても、お猫様の意思は無碍にできない。


 毎夜怯えたように外に向かって唸り声を上げていては、世話係としては退去せざるを得なかった。


 そしてそれは今も変わらない。


「だけど、それは犬民も同じなんです。吠えてるイヌ達は平気かもしれませんが、一緒に暮らす人間には耐えられなかったんですよ」


 昼も夜も絶え間なく吠えるイヌと一緒にいては、ずっと眠れず疲弊する。その間も世話に手を抜くわけにはいかない。


 不眠症などで眠れないのではなく、眠ることを許されない環境で、人間はそう長くは持たない。


「そんなの。猫民だって一緒でしょ。人間の我慢比べに、無理やりネコを突き合わせたのなら、ネコ星人が黙ってないはずよ」


 その事実を隠していたのなら密告してやると息巻く陽子は美来の背後に目をやる。


 視線の先には宇宙服――ランファがいた。


 陽子はここぞとばかりに「コイツらはネコを虐待した」と騒ぐが、ランファが動く様子はない。


 陽子が業を煮やしたように周囲を見回すと、背後にイヌ星人の宇宙服が近づいてきているのに気がつき、「コイツらは不正を働いた」と訴えるがこちらも動こうとはしなかった。


「犬飼さん。私達は何も不正はしていません。そこに住める人が住んでいた。それだけです」


 一般的にイヌはネコより強いというイメージがあるかもしれないが、そうとも限らない。


 体の大きさや、戦う訓練をされた闘犬などはそうかもしれないが、イヌが主人を守るために自分よりも巨大な敵に向かっていくように、ネコにも気丈な面はある。


 仲間を守るために身を挺してくれることもあるのだ。


「このロータスもそうです。私をイヌから守るように外を威嚇し、私が怖がらないように寄り添ってくれました」


 それに美来には協力してくれる仲間や、イヌ派だったがネコのお世話もしていたので移ってきてくれた人もいる。


 そして防音対策をしてくれる腕の良い施工士。


「そ、そんなの極少数でしょ? 私達が何人で展開していたと思ってるのよ」


「はい。一番の立役者は私達じゃありません。ご老人会の皆様です」


 ご老人会? と陽子が怪訝な顔をする。


「ご近所でもある。お猫様のお世話をしているお祖母様方ですよ。お猫様もそうなんですけど……。つまり、その……、お耳が遠くていらっしゃって……」


 陽子はあんぐりと口を開ける。


「元いた人達には退去してもらって、代わりにお祖母様方に引っ越してもらったんです」


 イヌ派は互いに干渉しないよう一定の距離を保って配置されていた。


 ネコ派がいなくなれば静かになり、その区域は占領完了ということになる。


 だが、実際にはいつまで経っても静かになることもなく、昼夜問わず眠れない日々を過ごすことになり、音を上げることになった。


 ボスネコを含む老猫様達も、おおらかでのんびり構えているので、イヌを気にすることもない。


「そんな……。卑怯じゃない!」


「卑怯だなんて。私は争いたくないんです。イヌ派だとかネコ派だとかで境界を引きたくないんですよ」


 最初にそういう話を持ちかけたが、弱者の命乞いのようにあしらわれた印象だった。


 だからまず同じ土俵に立って話を聞いて貰う必要があった。


「私はあくまで平和的に解決したいんです」


「なによ! バカにして」


 バカにしてるわけでは……、と言葉を濁す。


「で、でも。タネが分かったんだから、もう同じようにいかないわよ。ここから逆転してやるんだから」


「犬飼さん。猫民を追い出すためにイヌを訓練してましたけど。それってイヌを道具のように扱っていることになりませんか?」


 犬飼は一瞬表情が固くなったが、


「な、なによ。それは信頼よ。信頼関係なのよ。私達がブレインになることで……」


「ええ、言ってましたね。でも、それはあなたの意見。イヌ星人さんはどうなんですか?」


 と背後に立つ宇宙服を見る。


 陽子も後ろを振り向くが、宇宙服は動かない……が、やがて音声と文字が流れる。


『我々は、結果イヌ族が有利になるのなら、と黙認していた。本来ならお前の行動は目に余る。失敗したというのなら、我々も反省せねばなるまい』


 地球侵略に出遅れていたという焦りもあっただろう。


『我らも黙認した責任がある故、追放か降格かの処遇は協議の上で取り決める』


「そんな……」


 陽子は表情を青くする。


「あ、いや。私達はそこまでは……」


 口を挟もうとするも、これはイヌ族の間の問題で、美来に口を出す権利はないのだろう。


「私が……、私がどれだけこの子達のために頑張ったと思ってるのよ! たかがネコに!」


 陽子はきっと睨んで立ち上がる。その視線の先は……。


「ケーニッヒ! こいつを噛み殺せ!!」


 陽子が指示すると、ケーニッヒはすぐに動き出す。


 陽子が指した先にいるのは美来ではなく、ロータスだ。


「!」


 美来は咄嗟にカートを回し、ロータスの前に出る。


 だが視界の中に見える宇宙服がこちらに向かって手をかざしているのが見えた。


 時間がゆっくりと動くように感じる。


 その時間の中で背後からも声。視界の隅にランファも同じように手をかざしているのを感じた。


 襲いかかるケーニッヒを消し飛ばそうとしているのを感じ取り、美来は咄嗟にケーニッヒに体当りするように突き飛ばす。


 その瞬間、美来の視界がぐるりと回った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る