第27話 霧が晴れる頃
夕暮れ時、美来は新居に向けてロータスを乗せたカートを押す。
既に街はイヌが吠える声で埋め尽くされているかのようだ。
庭にイヌがいて、柵を破らんばかりに身を乗り出し、牙をむき出して吠えかかってくる。
そこを通り過ぎると、今度は二階のベランダからこちらに向かって吠えかかってくるチワワ。
そこを通り過ぎるとまた別のイヌが。
引っ切り無しに、どこかからイヌが吠えかかってくるような状態だった。
元々猫民が暮らしていた地域は、今やすっかりイヌの街になっている。
ネコの匂いをつけた人間が道を歩くだけでも大変な騒ぎだろう。
フェンス越しに吠えかかる大きなイヌに唸り声で答えるロータスをなだめながら、目的の家に向かった。
そこは戸建ての家。
お隣との距離が近い、密集した住宅地だ。
元々のネコ派とイヌ派の街の境界線に近い所にある。要するに最前線。
今やイヌ派の縄張りの奥深くと言っていい。
昨日までお猫様が住んでいたが、怯えた様子を見かねて退去してもらった。今は猫民地区の奥深くで療養してもらっている。
世話をする人間もかなり参っていた様子だったが、来てみると分かる。
既にお隣からイヌが吠えかかっている。
真隣、窓を開けて手を伸ばせば届くような距離だ。
中に入れば、お隣に面した窓からイヌの姿が見えた。
手厚い歓迎。
カーテンも網戸もしていない。こちらがそれをしても心許ない。
こんな環境では人間も参ってしまうだろう。
実際参ってしまったので、少しの間、美来達が代わりに住むことにした。
こちらを覗き込んで吠えるイヌに、唸り声で対抗するロータスを頼もしく見守る。
シャーを放つとイヌは少し怯んだ様子を見せ、さっきよりは少し小さく吠えた。
ロータスが気負ってないのなら後は美来の問題だが、はたして精神はもつだろうか。
この地域の猫民は、このように隣に居座られて数日で
隣にイヌが来たのなら、少し離れた場所に移動すればよいかと引っ越した者もいるが、犬民もまたすぐ横に移動してくる。
お猫様にとっては頻繁に環境が変わるだけでもストレスだ。
ほとんどの猫民がこの地区から撤退を余儀なくされ、このままではここは完全にイヌ族の縄張りとなってしまう。
それが続けばいつか山の奥地へと追いやられるのだろう。
何日この状態が続くのかは分からないが、ロータスが平気ならここに住むのに問題はない。
当面の生活のための物資はカートに積んできている。
トイレやご飯を用意している間もイヌの吠える声は引っ切り無しに続いていた。どうやら一頭ではないようだ。
寝床を用意し、ロータスのスペースを空けて寝ると早速と言わんばかりにロータスもやってくる。
美来を安心させるように体をくっつける姿は、イヌから守ってくれているようだった。
イヌの鳴き声の中、ほっこりしながらロータスの背を撫でる。
前の住人は音を上げてしまったが、はたして美来にこの試練を耐え抜くことはできるのか。
一抹の不安を覚えながら、激しくなる咆哮を聞いていた。
美来はイヌの鳴き声で目を覚ます。
なんかずっとイヌの夢を見ていたように思う。
ほとんど眠れない日々が続くのではないかと不安だったが、全く問題無く、ぐっすりと眠りについたようだ。
神経太いのかな、と思うも眠れたのならそれでよい。
朝のトイレ掃除とご飯の準備。もろもろの雑用を騒音の中でこなし、ロータスとオモチャで遊ぶ。
日差しを取り込むためにカーテンを開けていると、お隣のイヌがその様子を見て余計興奮したようだ。
煩いのだが、ロータスと遊んでいると、そのうち気にならなくなった。
他のイヌも聞きつけたように窓際に集まってくる。
数頭のイヌが一斉に大合唱を始めた。
ひとしきり遊んでいるとイヌ達も疲れたのか大人しくなる。
物資は克平が運んできてくれるので買い出しの必要はない。基本物質以外に入り用ならホームセンターに行くのだが、今は仮住まいなこともあって特に必要な物はなかった。
今日は代表――これも仮なのだが――として地域の猫民の様子を見回らなくてはならない。
ロータスにはお留守番をしていてもらってもよいのだが……、と玄関まで行くとカートに飛び乗ってくる。
「じゃあ一緒に行く?」
とロータスを連れて外へ出た。
お猫様がそう望むのなら可能な限り意向に従う。
携帯電話で連絡の取れる猫民は携帯で様子を聞き、持ってない人達の家には直接向かう。
移動中もイヌの声が引っ切り無しに飛び交うが、ロータスは毅然とした様子だった。
代表として猫民家を周り、目立った問題がないことを確認する。
世話係にもネコ暦長い人もいれば短い人もいる。
お猫様に無理をさせているようではネコ星人に抹消されてしまう。
美来の判断が完璧とは言わないが、複数人で判断することでより安全なものとなるだろう。
一通り民家を周り、また仮住まいに戻ってイヌの大合唱を聞く。
そんな生活を数日続けていたが、さすがに騒音に慣れることはなかった。
イヌもよくあれだけ吠え続けられるものだと感心する。
間が空かないわけではない。
イヌ達も食事の時間もあるだろうし寝ている時間もある。
しかしそのサイクルは精神的に休めると言うほどの時間ではなかった。
夜はそれなりに眠れているとは言え、ロータスもよく窓に向かって唸っているし、どちらにとってもあまりいい環境とは言えない。
美来は下僕として我慢することはできてもロータスの負担になるようなことはしたくなかった。
かと言ってここを捨てて奥へ引っ込んでは、この地域をイヌ族に奪われてしまう。
交代要員もいない。
最前線に住んでもよいという人達は既に皆出張っている状態で、むしろ人手&猫の手も足りない状態なのだ。
はたして……、と思いながらまた数日を過ごしていたが、思ったよりその転機は早く訪れた。
朝になり、美来は久しぶりにスッキリとした気持ちで目を覚ます。
いつものようにトイレを掃除し、食事の用意をする。
日課をこなし、ロータスをカートに乗せると、いつもとは少し違う様子の街に繰り出した。
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