第24話 犬飼 陽子

 美来がロータスを乗せたカートを押して通りを歩いていると、家からケージを持った女性が出てきた。


 女性は目を赤く晴らしてカートにケージを乗せる。


 ケージにはお猫様が入っているのだろう。


 カートの下段には身の回りのものと思しき荷物が積んである。


 結構な大荷物だ。一時の外出ではない。


 女性は俯きながらカートを押し始めた。


 美来に気がつくと目に涙を浮かべ、深く頭を下げて通り過ぎていく。


 美来も会釈を返してそれを見送った。


 通りの先、公園というほどではないが、少し広場のようになっているスペースのベンチには見覚えのある女性の姿。


 その傍らには見るからに力強そうな、大きなイヌが鎮座していた。


 イヌは「ウォン!」と大気を揺らすかのような大きな声を上げる。


 勝どきにも聞こえるその声を受け、今しがたすれ違った女性はカートの速度を早めて去っていく。


 また一人、この地域の猫民が減った。


 巨大なイヌは、美来達を見ると鼻にシワを寄せて牙を剥く。


 重厚な唸り声を上げるが、ベンチに座る女性が手で制するとイヌはピタリと唸り声を止めた。


 女性は目だけを動かすようにして美来を見ると、口の端を上げる。


 その挑発的な笑みに息を呑んだが、ゆっくりとカートを押して女性に近づいた。


 ベンチに座る女性――犬飼 陽子は屈託のない笑顔を向ける。


「どう? 調子は?」


 友人にでも話しかけるような口調だが、どこか刺々しいものを感じる。


「猫民の人から聞きました。一日中、家の周囲を回ってイヌを吠えさせてると」


「あー、それね。散歩してるだけじゃない。イヌだもん。散歩させないと虐待になっちゃうんだよ」


「でも、近隣の迷惑にならないようにするのがマナーだと思います」


 陽子はプッと吹き出すように笑う。


「それは人間のマナーでしょ」


 そうかもしれないが、お猫様だって迷惑なはずだ。むしろ人間は耐えることができても、お猫様が無理なことだってある。


「動物の世界は弱肉強食。ま、人間もそうだったかもしれないけど」


 傍らに控えるイヌはまた吠え始める。


 陽子はその姿を得意気に眺め、手を上げて制した。


「紹介するね。私のパートナー。レオンベルガーのケーニッヒよ。良き理解者で私の家族」


 ケーニッヒは姿勢を正すが、今にも飛びかかりそうなのを堪えているかのようだ。


 興奮を抑えているような様は、正直あまり近づきたくない。


 風貌は顔が真っ黒の秋田犬のようだが、異様に大きい。まさに王者ケーニッヒの風格。


 今はこれまでの習慣なのか人間――陽子に従っているが、こちらも御犬様ならいつかは人間の支配から脱却するのかもしれない。


 異星人の手前、お猫様に襲いかかることはないそうだが人間は違う。


 ネコ派の人間が襲われても大した問題にはされないと言っていた。


 距離が離れているから実感はないが、立ち上がったら美来より大きいのではないだろうか。


「イヌがお好きなんですね」


「そうよ。そしてネコが嫌い」


 陽子はなんでもないように言う。


「何かお猫様に恨みでも?」


「そうよ。私の一番最初の友達。カナリアが外猫に食べられちゃったからね」


 陽子は能面のように冷たい表情で言った。


 外猫ということは野良ではない、どこかで飼われていたネコなのだろう。


 どのような結末を迎えたのかは分からないが、幼い頃だということもあり、良い結末ではなかったのではないだろうか。


 証拠もなく、相手側に何も要求できなかったとか。あるいは親がそもそも問題にしなかったとか。


 陽子の様子から、その心中は計り知れない。


 美来は一瞬息を詰まらせたが、


「それは……お気の毒です。でも、それと全てのお猫様を恨むのは筋違いでは?」


「分かってるよ? ここに住んでたネコも、アンタのネコも関係ない。それが何? 私は聞かれたから答えただけ」


 別に理解してもらおうと思ってないし、ネコを追い出すことをやめるつもりもない。


 これは自然の淘汰なのだと。


 異星人の襲来によって人間の社会が終わりを遂げたように、ネコの社会も終わる。


 それだけのことなのだと。


「だから正々堂々戦いましょ」


 陽子は屈託のない笑みで言う。


「私は戦いたくありません。みんな仲良く暮らしていく方法もあると思います」


 陽子は大笑いする。


「ケーニッヒに、その子が噛み殺されても同じこと言えるのかしら?」


 美来は言葉を詰まらせる。


 もちろんそんなことは考えたくないが、実際そうなったら美来はどうするのか。それは分からない。


「イヌ全般じゃなくても、このケーニッヒのことは憎むんじゃない?」


「憎みますね」


 美来が即答すると陽子はふふんと笑ったが、


「自分を」


 続く言葉に眉をひそめる。


「そういう状況を作ってしまった自分。守ってあげられなかった自分を、憎みます」


 陽子は口をへの字に曲げる。


「今、そういう状況作ってないと……」


 言い終わる前に、美来はロータスの背に手を置いた。


 ロータスも美来を見る。


 ケーニッヒが襲いかかってくるようなことがあれば、美来は躊躇なくその前に出るが、それはロータスも同じだと言っているようだった。


 その様子を見て、陽子は不快そうに顔を歪める。


「ふん。アンタだって震災に遭って、避難にペット同伴できなかったら仕方なく置いていくでしょ」


「それは絶対にないです」


 美来は真っ直ぐに答えた。


 連れていけないのなら自分も残る。最後まで共に生き残る方法を探す。


「それはあなたも同じじゃないんですか?」


 陽子はぷいとそっぽを向く。


 ケーニッヒに対して同じ気持ちを持っているのだろう。


「まあいいわ。じゃあ仲良くしましょうよ。あなたの街にどんどん引っ越していくけどいいわよね? 仲良くしたいんだもの」


 陽子は嫌味な笑みを浮かべて言う。


「でも。その子達、ネコを見たら吠えるよう訓練されているんじゃないんですか? 近隣の猫民がそんな感じのことを言ってました」


「そりゃ、元が番犬なんだもん。知らない人がいたら吠えるでしょ。大丈夫大丈夫、すぐ慣れると思うから」


 陽子はケタケタと笑う。


「そんな雰囲気は感じられないですけど」


 猫民達もすぐに引っ越しを決断したわけではない。


 しばらくは様子を見たが、外に出れば襲われたらひとたまりもないような闘犬が徘徊しているのだ。


 それが凄い勢いで吠えかかってくる。


 お猫様はもちろんだが、女性など近くに住んでいるのも耐えられない。


「人間社会だったときにもマナーはあったんです。お互いが住み良いようにマナーを取り決める必要があると思います」


「それは動物同士で擦り合わせていくでしょ。去りたければ去るし。残りたければ残ればいいし」


 それは……、追い出す意思があり、体の大きいイヌの方が有利ではないのか?


「あー、もう茶番はやめましょ。私は猫が嫌い。ネコを許さない。徹底的に追い出す。それだけよ」


 陽子は開き直ったように言う。


 美来はそれをやや悲しそうな面持ちで受け止めたが、


「その気持ちは分かりました。でも、私達もすんなりと街を……、いやこの惑星ほしを出ていくわけにはいきません」


 とキッパリ言い放つ。


「じゃあ、戦争ね」


 美来は口元を結び、


「いえ、それも受け入れられません。平和的に解決できる方法を探します」


 と言ってみるも、どうしても表情は固くなってしまう。


 現実的かどうか、と言われれば確かに自信はない。


 陽子は「やれるもんなら」と少し小馬鹿にしたような笑みで返したが、美来はそれを真っ直ぐに受け止め、頭を下げてから踵を返した。

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