第21話 イヌの侵略

 昼下がり。


 いつものようにロータスをカートに乗せて散歩していると、向こうからやってくる人が見えた。


 傍らには人よりも小さな陰が2体。


 何度か見かけている、犬を散歩する姿だ。


 縄張りとしてはネコ族の領域に差し掛かっているが、細かく線引されているわけではないので入ってくることもあるだろう。


 それにしては深く入り込みすぎているように思う。


 確かに道路自体は誰の物でもないが、周りにネコハウスがある中を堂々と侵食してくるのは縄張りを荒らす行為ではないのだろうか。


 やってきたのは女性。美来より少し年上だろうかというような雰囲気をまとった、凛とした佇まいで道の真ん中を歩いてくる。


 横にいるのはドーベルマンとブルドッグ……にしては大きい。あれは土佐犬だ。


 それがリードも無しに、歯を剥き出し、ヨダレを垂らしながら歩いてくる。


 その様子に、美来はカートを避けて道を譲った。


 ロータスが身を低くして小さく唸る中、美来は軽く会釈したが、女性は不敵な笑みを浮かべて通り過ぎるだけだった。


 そのまま一歩、二歩、三歩と歩みを進め、立ち止まるとくるりと振り返る。


 なんだろうと身構えていると、女性は満足気な顔で口を開く。


「今日からここは私の散歩道にすることにしたの。問題あったら遠慮なく言ってよね」


 呆気にとられ、気のない返事を返すとまた我が道を進み始めたが、再び振り向くと、


「あ。私、犬飼いぬかい 陽子ようこ。イヌ派の代表をやらせてもらってるの。近い内にあなた達の所に挨拶に行くから。ネコ派の代表に伝えといてよね」


 と一方的に言い放ち、そのまま歩を進めて行った。










「僕も見たことあります。シェパードとゴールデンレトリバーをつれた人が散歩してました」


 いつものホームセンターでの会合で、美来が見たことを伝えると、克平がそう被せてきた。


「イヌを飼ってる奴はマナーがなってないもんなのか?」


 遊谷が作業しながらぼやくように言う。一時期イヌの散歩マナーが地域で問題として取り上げられたことはあるが、突然マナーが乱れるというのは不自然だ。


「大丈夫だよ、メリー。何も怖くないからね……」


 櫛引がメリーを心配そうに見ながらおずおずと言うが、当のメリーは平然としている。


「イヌって所詮、人間のイヌでしょ? そんなのにマナーなんかあるわけないでしょ」


 彩乃がよく分からないことを言うが、おそらく下僕という意味の『イヌ』と生物学的な意味での『イヌ』を混同しているのだろう。


 そもそもマナーというのが人間にとっての都合なので、イヌが尊重するものでもない。それでも好き勝手に野放しにしては「やりすぎ」になって異星人の粛清が入るのではないだろうか。


 そこは世話係として人間が舵取りするのはネコ族と大差ないはずだ。


「やっぱり……、イヌ族が侵略してきてるんじゃないでしょうか」


『その人間の言う通りだ。イヌ族は直実に領土を拡大してきている』


 克平の言葉に、ずっしりとした足音と共にやってきたランファが答える。


「ま。大型犬をこれみよがしに連れているところを見てもそうだろうな」


 遊谷が作業を続けながら何でもないように言う。


「なあ監督さん。オレは元々どっち派でもないんだ。アンタらが先に来たからネコ族の縄張りにいるだけで、生活できるならどこでもいい。今から『やっぱり向こうに行きたい』と言ったら行かせてくれるのか?」


 遊谷の問いに皆息を呑んだが、


『別に構わない。ただしイヌ派が受け入れるかどうかは我々の知るところではない』


 とランファも事も無げに答えた。


 皆の様子を見た遊谷は、表情を和らげて言う。


「聞いてみただけだよ。追放されるくらいならそうするが、今のところそうする理由はない。逆に、イヌ派がこっちに来ることもあるわけだろ?」


 皆少し安堵したが、このまま放置しては住む所を失うかもしれないのだ。


「うう、山の中まで追い立てられたらローたんが狩りをして養ってね」


 皆「いやいや」と真面目な話に戻そうとする。美来は大真面目だったが……。


「今までみたいに、皆が気ままに生活していたんではダメなんじゃないかな。イヌ派は『代表に挨拶に行く』って言ってたんだろ? なら、まず代表を決めるべきなんじゃないか?」


「そ、そうですよ。普段から人の上に立つような発言ばかりしていて、高飛車で横柄な人がいいんじゃないですか?」


 克平の言葉に、「いい案だと思うけど、そんな人都合よくいるもんなの?」と彩乃がキョロキョロと見回す。


「でも……、相手は闘犬とか、軍用犬みたいなのが群れでいるんですよね? そんな中に交渉に行くなんて……」


 と櫛引がメリーの顔を覗き込む。


 確かにそうだ。人間は代理人であり、領地を主張するのはあくまでお猫様なのだ。


 人間だけで出向いていっても「無関係な生き物は出てくるな」と言われればそれまでだ。


 お猫様のリーダーを決めなくてはならない。


「でも……、ボスネコならいるんじゃない?」


 彩乃の言葉に、皆ペットショップコーナーにいる地蔵のような老猫とお婆さんを見る。


「いや……。あれはさすがにちょっと」


 外交向けではない。全て優しく譲歩してしまいそうだ。


「やっぱこっちも大きなネコで対抗するしかないんじゃないかなー」


「大型のネコといえば、北欧猫ですね……」


 彩乃の言葉に克平が答え、その後沈黙が流れたが、皆の視線が美来に集まっているのに気がついた。


「え? あ、いやいや。ローたんまだ若くて小さいし」


 手を振って抵抗するも、


「でも、かなり貫禄はあると思うよ?」


「うん。僕らの王様にピッタリですよ」


「いっぱいお金持ってるしね」


 と口々に推していくる。


 ガラではないし、美来だってあのドーベルマンと土佐犬は怖い。


「まあ、そんなに気負うことないんじゃないか? 代表って言ってもこの区画の代表ってだけで、人類の……全ネコの命運を握ってるわけじゃないし。何なら任期を決めて交代制にしてもいいし」


 そんなPTA役員みたいな感覚で言われても……と思うも、誰かがやらなくてはならないことに違いない。


 押し付け合いなどしている場合ではないのだろうと、『当面』ということで引き受けることにした。

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