第20話 蘭華(ランファ)

 美来はロータスを乗せたカートを押して帰路につく。


 その後を、なぜかランファが歩いてついてきていた。


 宇宙服の歩みは若干遅いので、それに合わせてゆっくり目に歩く。


 いつも神出鬼没なのに、どうやって移動しているのかは不思議だが、まあ異星人の技術なんだろう、と勝手に納得する。


 ロータスの住居に着くとランファも部屋に入ってくる。


 ロータスの家なのだから、ロータスが良いと言えば問題ないのだが、何かを伝えるために家に来ることはあっても、出先からついて来るなど珍しい。


 ロータスがタワーに登り、ランファの頭と同じ高さになると鼻先を突き出して猫挨拶をする。


 ランファが手を差し出すと、ロータスは首元を擦り付けた。


 ネコ族同士なのだから、ランファがロータスの家に遊びに来るのは不自然ではないのかもしれない。


 仲良くしているのなら邪魔するのも悪いと、美来は自分の仕事をする。


 トイレを掃除し、床に散らばった砂を掃いていると、


『人間よ』


 と突然声をかけられ、「はい?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。


 この場に人間は美来しかいないのだから、美来が呼ばれたのだろうが……。


 何用だろうか? と次の言葉を待つが、次の音声は流れてこない。


 しばらく手を止めて待つも、ランファはロータスの方を見たまま動こうとしなかった。


 どうしたのだろうと思うも、作業を切り上げて掃除道具を片付ける。


 改めて言葉を待っていると、ランファはゆっくりと美来の方を向いた。


『名前をつけるのは親愛の証だと解釈していると言ったが……、それは合っているのか?』


 美来は一瞬キョトンとしてしまったが、すぐにさっきビーグルに対して言っていたことなのだと思い出し、


「はい!」


 と満面の笑みで答えた。


 しばらく無反応だったが、ランファはヘルメットに手をやる。


 またフィルターを解除してお顔を見せてもらえるのかな? と期待していると、ぷしゅーと空気の抜けるような音が鳴る。


 いつもと違う? と思っていると、がこっという音と共にヘルメットが外れて、ネコの顔が顕になった。


 美来が目を丸くしていると、宇宙服の背中が分かれてセミの抜け殻のように外れ落ちた。


『今日はここで休むことにする』


 と寝室へと歩き出すランファについてロータスが走り出し、我先にと追い抜いて寝室へ走る。


 美来はどうしていいか分からず抜け殻となった宇宙服と、ランファが向かった先を交互に見比べたが、二人を追って寝室へと向かうことにした。






 寝室に入ると、そこは絵画のよう。


 クッションのように大きな枕にもたれたランファに、ロータスがくっついて寝そべっている。


 巨大なネコだが、姿勢は人間に近い。足を組んでいる姿はまるでエマニエル婦人だ。


 しばし口を開けて見惚れていると、いつものようにランファの目の前に文字が浮かぶ。


『何をしている。ロータスが添い寝を望んでいるぞ』


 ええー、行っていいんですか? とおそるおそるベッドに近づく。


「あの……、大丈夫なんですか?」


 外気が合わなくて死んでしまったりしないんだろうか。死なないにしても体に良くないとか……。


『宇宙服は下賤の者と同じ空気を吸わないためのものだ。無くても問題ない』


 地球のネコ達もその空気の中にいるのだから、単に人間と同じが嫌なだけなんだろう。


 ネコしかいない所では宇宙服を脱いでいたのかもしれない。


 自分もその中に入れてもらえたというのなら、嬉しい限りだ。


 美来はベッドに上がり、ダイブするようにランファに抱きついた。


『我に添ってどうするのだ』


 と言いつつも抵抗はされなかった。


 美来はもふもふの毛皮の中に顔を埋める。


 息が続く限りそうしたあと、ぷはぁっと顔を上げた。そこには大きなネコの顔があった。


 ランファの左右にロータスと美来が添い寝する形になる。


 美来はしばし至福の刻を過ごした。


「ところで、気になっていたんですけど。この文字と音声、どこから出ているんですか?」


 ランファの目の前辺りの空間を指す。


 てっきり宇宙服にその機能があると思っていたのだが、今も出ているということはそうではなかったらしい。


 ランファは肉球のついた手の平を見せる。


 よく見ると毛の中に腕時計のようなものが巻かれている。というか完全に腕時計。スマートウォッチだ。


 黒い画面には何か読めない文字が一つ表示されている。


『このサティと呼んでいる機器がその仕掛けだ。ジャクゥ……空間転移の機能もこれに入っている』


 なるほど。


 宇宙服を脱いでいれば無防備というわけではないらしい。


 ランファの話では、これは意志の力を動力源に稼働する装置で、無意識においても効果を発揮する。


 だから装着者を攻撃しようとしても、防衛本能で自動的に防御される。


 最強の兵器だが、宇宙に進出しようという者なら例外なく身につけている物だ。


 イヌ族も同じ技術で作られた物を持っていて、同じ機器を持つ者にその力は効かない。ランファ達も、イヌ族は消し飛ばすことはできないのだ。


「これは、なんて書いてあるんですか?」


 腕時計の画面に当たる部分に浮かぶ文字を指す。何に近いとも言えない、宇宙文字だ。


『お前達の言葉で言うなら……無か? いやその逆でもある。空か? それも違うな。じつとも言えるように思う』


 無でもあり実でもある? と乏しい知識の中で近いものを探す。


「色即是空みたいなもんですかね?」


『そうだ。是空。二文字で良いならそれが一番近い』


 このサティは、大人になると与えられ、自分に見合った機能に初期化する。


 意志の力が原動力なので、腕に嵌めて意識を集中するのだ。


 意志を一点に、一文字に込めることで機能を持たせる。


 ただ自分の意志力を超える力を与えようとすると破損、何の機能も持たなくなってしまう。


 しかし外すことはできないので、そういう身の丈に合わない力を持とうとした者には簡単な仕事しか与えられなくなる。要するに脱落者だ。


『敵に奪われたり、外されたりしないよう、自分達でも外せないよう設計されている。無理に外そうとすれば超新星爆発が起きて銀河系が消滅する』


 だがどのような訓練を積めばどのくらいのことができるなど、ある程度は一般化しているので、「是空」の機能は失敗する危険は少ない。


 だから大抵の者は同じような機能を持ったサティを付けている。無理に大きな機能を付けようとして一生を棒に振るようなことはしないものだ。


 翻訳機能は基本装備として付いているもので、これは誰でも使うことができる。


「私にも、使うことはできるんですか?」


『それは無理だ。使わせないのではなく遺伝情報が異なるからだ。我々にもイヌ族の機器を初期化することはできない』


 そっかー、と少し残念に思う。


 もっとも美来にそんな意志の力があるとも思えないので、使った所で失敗するのがオチだろう。


 もし自分にも、そんな力が使えたら……、という想いを馳せながら、美来はランファの毛皮の中で眠りに落ちた。

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