第10話

「差し当たって問題があるようには見受けられないですけれど。掃除も行き届いてますし。何より臭いが無いですね」


 ボックスタイプのトイレを使っているところも評価できる。


 ボックスタイプは箱の天辺に穴が開いていて、お猫様はそこから中に入って用を足す。


 大型ケージとの相性もいい。


 通常、ケージ内にトイレを設置する場合、横から入るドーム型だと入口の向きの関係上、大きく場所を取ってしまう。


 なのでケージに設置するのはオープンタイプ、トレイを深くしたような形状を選択する場合が多い。


 その点ボックスタイプならケージの段差を兼ねる形になり空間効率がいい。


 砂も飛び散りにくいというメリットもある。


 ただ掃除に手間はかかるのだが、そこはお猫様のためだ。手間を掛けることで快適を提供できるのなら殊勝な心がけと言えるだろう。


「まあ、それは僕が相談を受けて勧めたんですけどね。世界が変わる前ですけど」


 ショップ店員に何が良いのか聞くのも間違っていない。


 商売的なお勧めをすることはあるだろうが、それでも勧めている物に間違いはないだろう。


「時に、お猫様出してあげないんですか?」


 彩乃が動こうとしないので、もしかしたら美来やロータスのために気を使っているのか? と促してみる。


「え? なんで?」


「なんでって……、もしかしてずっと閉じ込めてるんですか?」


「そんなことはないわよ。運動の時間決めて、順番に遊んであげてるわよ」


 猫の飼い方の本に書いてあったという。それも間違いではない。


 お猫様は皆仲が良いとは限らない。一斉に外に出すと喧嘩を始めることもある。ましてや6頭ともなると回収するのも大変だ。


 彩乃も経験者とは言え、6頭を一度に世話した経験など無いだろう。


 外に出しっぱなしにして、買い出しの間に怪我をしてしまってはいけない。


 かといって一度に外に出してしまうと、ケージに戻すために捕まえるのも一苦労する場合もある。


 なので一度に出す数を決めてローテーション管理するというのは正しい方法だ。


「結構大変なことをやってたんですね。正直感心しました」


 そう? そうでもないけど、と若干得意気な様子を見せる。


「……で。お相手してあげないんですか?」


「え? 今から? 別にいいけど」


 とミトンのような大きな手袋を嵌めてケージの前に立つ。


「えーっと。今日は……この子の番だったかしら」


 とケージを開け、お猫様の首輪にリードを付けた。


 手を放すとお猫様は外へと飛び出し、フローリングの床を滑るように走る。


 そのままベタッと床に寝そべると、ロータスに気がついたのか、起き上がって歩み寄り、鼻先を近付ける猫挨拶をした。


 リードは長いので部屋の端近くまで行くことができる。


 美来から見ればリードをつけるなんてのは抵抗のあることだが、手早く回収するための対策ならば仕方ない。


 彩乃は置いてあったオモチャを取り出し、お猫様を遊ばせる。


 美来も一つ手に取り、ロータスと一緒に遊んでやった。


「さて、じゃあトイレの掃除をするか」


 やれやれと立ち上がる。


 誰でもトイレの掃除はしたくない。美来にとってはそれも至福の時間だが、多くの人にとってできればやりたくない作業だというのも理解できる。


 そう思いながらマスクと手袋で武装する彩乃を眺めていたが、中々終わらない作業に「ん?」と眉をひそめる。


 手際が悪いのではない。手はちゃんと動いて的確に砂中の排泄物を取り除いているのだが、ビニール袋はどんどん大きくなってくる。


「み、御堂さん? 最後にトイレを掃除したのっていつですか?」


「ん~? 前に外へ出した時ね」


 鼻で息をしないぐぐもった声が返る。


「き、昨日ってことですか?」


「んなワケないでしょー。忙しいんだから後にしてよー」


 ビニールの口を締め、消臭剤をこれでもかというくらいにトイレの中に吹き付ける。


 しばらく息を呑むようにその様を眺めていたが、


「あの……、さっきの気になってたんですけど。『今日はこの子』って、もしかして日替わりで遊ばせてるんですか?」


「そうよ」


 なんでもないような様子の答えが返る。


「え……。でも、それじゃあ、お猫様からすれば6日に一回ってことになるんじゃ……」


「それがどうかしたの?」


 絶句して固まってしまった美来に変わって克平が口を挟む。


「ケージは大型ですから、それが悪いとまでは言いませんが、そのタイミングでトイレ掃除って、ちょっと無いと思いますけど」


「え? だって臭い全然しないじゃない」


「御堂さん!!」


 ケラケラと笑う彩乃に我に返った美来が声を上げた。


「なに? 急にビックリするじゃない」


 たじろぐ彩乃に、美来は深呼吸するように息を整える。


「ボックストイレが臭わないっていうのは人間にとってです。中には臭いが籠りやすいんですよ。だからボックスタイプこそ、マメな掃除と砂の入れ替えが必要なんです」


 克平も「僕も知りませんでした」と感心したように言う。


「え? でも、実際臭いしないんだし」


「御堂さんはそのトイレの穴に頭突っ込めるんですか!?」


「できるワケないでしょそんなこと!」


「でもお猫様はそこに頭から入るんですよ! 体全体で入るんです。お猫様だって臭いものは臭いし、嫌なものは嫌なんです!」


 えー、でも……と煮えきらない彩乃を他所に、美来はケージに向かう。


「今からトイレの砂全部入れ替えます!」


 戸惑う彩乃に構わず美来は行動を開始した。


 プリズン・ブレイクが起きたかのように全ケージの扉を開けてお猫様を開放。


 自由になったネコ達は、大喜びで部屋内駆け回り、寛ぎ始めた。


 その間に美来達は砂を全部捨て、除菌シートでトイレを徹底的に洗浄し、新しい砂を入れた。


 彩乃には、砂を全部入れ替えるという発想も無かったようだ。


 作業中もネコ達は喧嘩することもなく仲良く寛ぎ合っている。ロータスもその中に混ざっていた。


「でも……、私砂代払えないかも……」


 GGが……、と青い顔をする彩乃に、


「大丈夫です。私が勝手にやったんだから、私が払います」


 それなら……、と少し安心の表情を浮かべる彩乃に克平が、


「ああ、それダメなんですよ。決算は『誰がやったか』じゃなくて『どのお猫様に使われたか』で決まるみたいなんですよ。この場合、お猫様の世話係は御堂さんなんで、御堂さんのGGが使われます」


 と突き落とす。


 硬直する彩乃に倣うように美来もしばらく固まったが、


「だ、大丈夫ですよ。これでお猫様が喜ぶんです。すぐモトなんて取れますよ……、たぶん」


 と美来の足元にすり寄るお猫様を指す。


「いやぁ、どう見てもお猫様は古川さんに感謝してますよ。ゴロゴロは向けられた人に加算されるので、今増えているのは古川さんのGGです」


 克平はバーコードリーダーのようなものを二人にかざしてポイントを確認する。


「加えて、お世話の指南料として御堂さんのGGが古川さんに移動してますね。かなり適切だったんでしょう。御堂さんのポイントはマイナスになって借金している状態です。このまま月を跨ぐと御堂さんは下級猫民に格下げですね」


 うわー、と泣き出す彩乃に美来は慌てて宥める。


「だ、大丈夫ですよ。まだ2週間ありますし。その間に改善すれば、すぐポイント戻りますって」


「その間、新しい服買えないじゃないー」


「いや、それは我慢しましょうよ」


 ポイントが少ないのはそのせいではないのか? と若干表情を引きつらせる。


「旦那さんの稼ぎで元から金銭感覚ぶっ壊れてましたからねこの人」


 元々ネコが特別好きなのではなく、SNSを映えさせるアクセサリーとしか見ていなかったのだ。


 ただ映えさせるためにキレイにはしてあげていたので、ギリギリ中級猫民にはなれたのだろう。


 だが今の世話を見ると、写真を撮る時以外はずっとケージに入れていたのだろう。


「こう言っては何ですけど、ここのお猫様達は御堂さんのことを、掃除してご飯持って来る機械くらいにしか思ってないですよ。まず生き物として認知されることからだと思います」


 幸いここは二重扉どころか三重構造になっている。


 喧嘩をする様子もないので、まずは閉じ込めるのをやめて自由にさせてあげればよいのではないか。


「あとフローリングも頂けないです。掃除はしやすいかもしれませんが、爪が滑ってストレスになりますし、下手をすると怪我をするかもしれません。カーペットか何かを敷くことをオススメします」


 今日は持ってきてないが、必要ならすぐ用意しますよ、と克平がカタログを見せる。


 でもこれ以上減ったら……、と逡巡する彩乃に美来は優しく言う。


「大丈夫ですよ、御堂さんなら。お猫様も感情を持った生き物であると知って接するだけで、すぐお友達になれますよ」


 背をさするとグスグスと鼻を鳴らしながら美来を見上げる。


「本当? アンタみたいに贅沢できるようになる?」


「私は贅沢しているわけでは……。まずはそこから改めるべきだと思いますけれど」


 若干ひきつるように苦笑いする。


 美来にとってお猫様は第一だ。


 趣味趣向なのではなく、お猫様を迎え入れるというのは命を預かること。


 親が子の幸せを願うのと同じように、迎えたなら責任を持って幸せにしてあげなくてはならないと思っている。


 何よりお猫様はそれに答えてくれるのだ。


 信頼を得られた、という成果は人同士のコミュニケーションでも活かされる。


 決して無駄になるものではない。


 美来は彩乃を慰めながら、その想いを語り続けた。

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