第8話
今日はキャットタワーが届く日で楽しみなのだが、朝からロータスはカートに乗って、散歩に行く気のようだった。
ネコは本来夜行性だが人間に飼われていたネコは生活サイクルが変わっている場合がある。
まあ一日中、寝られる時に寝ていると言えばそうなのだが、ロータスは比較的美来の生活サイクルに合わさっているようだった。
もっとも夜行性になるのも、その方が狩りに都合がいいからで、狩りの必要ない生活ではそれほど意味はないのかもしれない。
早く行こうと目で訴えかけるロータスに笑顔を返しカートを押す。
玄関のドアを開けて外へ出た。
美来は鍵を持っていないので施錠はしない。もっとも持ち主であるロータスも持ってないのだが、人間が不法侵入することはないので必要もない。
不法侵入者であるかを決めるのは人間ではないのだ。
しかし開けっ話にしていてもホコリが入ってくるのでドアや窓は閉めている。
そこは人間が開け閉めしなくてはならないが、そのうちネコ扉をつけなくてはならないのだろう。
それでもおネコ様が一人外出して迷子にでもなったりしたら大変なので、そこは人間が管理すべきなんだと思っている。
ロータスは流れてくる風の匂いを全て受け止めるかのようにクンクンと鼻を動かしている。
おネコ様は外の匂いを感じ取るのが好きだ。
色んな所から色んな匂いが流れてくるだろう。こうして外の世界の情報を集めている。
美来はロータスの興味を示す方向へとカートの先を向けていった。
そよ風を受けながら人のいない通りを進んでいると、道の先に人の影が見えた。
人が少なくなったとは言え、外を歩く人やおネコ様を散歩させる人はいる。だがほとんどのおネコ様は家でゴロゴロするのを好むので通りを歩く人は
なのでさして警戒せずそのままカートを転がしていたのだが、人影が大きくなるにつれ異様な雰囲気が顕になってきた。
髪や衣服は遭難者のように乱れ、それがふらふらと力なく歩いてくる。
人影は美来に気づいたようで顔を上げた。
その男の顔には見覚えがある。不審な風貌ではあるが、取り敢えず不審者ではないことは分かったので警戒心は緩めたが、虚ろだった男の顔にみるみる生気が蘇る。
男は口角を上げて、よたよたながらも美来のもとへと走り寄ってきた。
すかさず男――克平との間にカートを移動させる。
克平はカートに抱きつくように膝から崩れ落ちた。
「古川さ~ん。良かった~。戻ってこれたー。怖かったよー。寂しかったよー」
おいおいと泣く克平の頭をロータスがペシペシと叩く。
ランファに飛ばされた先から歩いて戻ってきて、今着いたようだ。
すがりついてきそうな様子が怖かったので、散歩用に持参していた水入りペットボトルを渡す。
克平はそれを一気に飲み干した。
「帰って休んだ方がいいんじゃないですか?」
ふうと息をつく克平に言ってみるが、まだ遭難者のような風貌の男は元気よく立ち上がる。
「もう大丈夫っす。ありがとうございました。このお礼もしないと!」
いえ結構です、と言う美来に構わず、克平はキョロキョロと周囲を見回す。
「あれ? あれって……」
克平の視線の先を見ると、女性が歩いて来るのが見えた。
カートに大量の荷物を乗せてガラガラと押している女性には見覚えがある。
高飛車で、いつもマウントをとるのが好きなご近所さん。御堂 彩乃だ。
汗水たらして働く人……の絵だったが、美来に気が付くとハッとしたように立ち止まり、ふふん姿勢を直して威丈高に歩き出す。
だがそんな歩き方ではアスファルトに向いてないカートはガタゴトと引っかかり、彩乃もろとも派手に転倒した。
散らばった荷物は全部猫砂やキャットフードだ。
足元まで転がってくる缶を見ながら「助けるべきか? でも助けてもそれはそれで怒られそうな気がする」と何もできないでいると、彩乃は顔を歪ませ、子供のように泣き始めた。
美来達はしばらくそれを呆然と眺めていたが、首を振って喚き始める。
「どうせ私は中級猫民よ。私のことバカにしてんでしょ。いい気味だと思ってんでしょ」
美来と克平は呆れたように顔を見合わせる。
「そんなこと思ってないですよ」
「そうですよ。僕だって中級猫民です」
「アンタと一緒だから泣いてんのよ!!」
克平の言葉は日に油だったようだ。
困惑しながらも散らばった荷物を集め、彩乃を宥める。
次第に落ち着きを取り戻した彩乃は「ごめんね。ごめんね」と繰り返しながら立ち上がった。
今までずっと上流階級で優雅な暮らしだったのに、突然それが崩壊して戸惑っていたのだと漏らす。
今まで見下していてごめんなさいと呟く彩乃に、
「いいんですよ。私は全然気にしてなかったですから」
と宥める。
「地味で安っぽいアンタが私より上の立場になったのが悔しかったのよ」
「それはちょっとムカつきます」
どちらにせよ。今までの生き方ではいい暮らしは手に入らない。
これまでも器用に世の中を渡ってこれた彩乃ならきっとできるはずだ、と適当な励ましをしていたが、
「そうか。これまで男に向けてやってきたことを、全部ネコに変えればいいんだよね」
と何か閃くものがあったようだ。
香水の代わりにマタタビをかけ、お酌をするように猫缶を差し出す。そんな風に息巻く彩乃に適当に相槌を打っていると、彩乃はどんどんと調子づいてきた。
「というわけで、私にネコの世話を教えて頂戴」
「ええ、そうですね。……え?」
相槌を打ってから言葉の内容を思い返して聞き返す。
「だから、私にネコに好かれる方法を伝授して頂戴よ」
美来の方を掴んで揺さぶってくる。
「ええ? でも……」
「なによ。さっきいいって言ったじゃない」
「それは……、そうなんですが」
まさかそんなことを言ってくるとは思っていなかった美来は、適当に相槌を打っていたことを少し後悔する。
「でも、それいいですよ。僕も知りたいです」
便乗する遭難者に冷ややかな笑みを送ったが、この男は好意的なものと勘違いしたようだ。
「人間同士の競い合いじゃないんですから。協力してお世話の水準が上がるのは異星人にとっても良いと思いますよ」
そう言われてしまえばそうなのだろう。
「御堂さんが古川さんにGGを支払うという形で教えてあげるなら、余計な仕事にはならないですし」
正直GGには困っていなかったが、タダだと無制限に手伝わされてしまうかもしれないので、その提案を飲むことにした。
人間は異星人に常に監視されているようなものなので、適当な口約束でも良いように計らってくれるそうだ。
なので価格もこちらで決めることはできない。
「お猫様にとっても良いことなので、そんな法外な値段にならないと思いますよ。あ! 僕、色々と用意して持って行きます」
と勝手に話を決めて走り去ってしまった。
残された美来は仕方なくという感じではあるが、彩乃に案内されて担当している家に向かうことになった。
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