第7話
男性は美来の視線に気がつくと、ハッとして照れたようなバツが悪そうな笑みを浮かべて頭を掻く。
美来に話しかけたと言うより、独り言のように口から出たようだ。
男性は櫛引 秀俊と名乗る。
歳は美来より少し上くらいだろうか。ニット帽にメガネをかけた人の良さそうな風貌だ。
当然のように櫛引の前にあるカートにもネコが乗っている。
ふわふわで艷やかな長毛がオーラのように全身を包み、真っ黒なお顔は羽を広げた蝶のよう。
サファイアのような瞳は、仮面道舞踏会にいる貴婦人のように気品に溢れている。
直に見るのは初めてだが、その種類は、
「わぁ、ヒマラヤンですね」
ペルシャとシャムのハーフ。
模様がヒマラヤウサギに似ていることから名付けられた。
「詳しいですね。前はよくタヌキと間違われたもんですよ」
人良さそうに笑う櫛引に美来もつられて笑う。
ここにいる時点で中級以上、優雅に買い物をするのはまず上級だと言う。
ということはこの櫛引も上級猫民だ。
「ネコに好かれそうですもんね。ネコ歴長いんですか?」
「いやぁ、まだ一ヶ月目で。このメリーが初めてで、それまで全然ネコに興味なくて。素人同然というか、何も分からなくて、おば様方に色々と教えもらってたところで」
照れたように笑う。
それでも上級猫民になれるのか。よほどこのメリーに好かれたのか。
とヒマラヤンを見ていると、ロータスも興味津々というように身を乗り出してカートの縁に手をかける。
メリーは一瞬ギョッとしたように体を強張らせたが、身を翻して櫛引の肩に駆け上がった。
ロータスはメリーに興味があるようだが、メスだからか警戒されたようだ。
何度も足重に通っているうちに仲良くなれるかもしれないよ? とロータスの背を撫でる。
メリーは櫛引の肩に足を乗せ、前足はニット帽子の上に置いている。乗られている人間はそれを全く気にする様子もなく、されるがままになっていた。
好かれているんだなぁ、と微笑ましく見ていると、メリーは爪を研ぐようにニット帽をガシガシと掻きむしった。
ニット帽が脱げ、櫛引の頭部が
「あ……」
美来は思わず声に詰まった。
櫛引はその美来の様子に「ん?」という顔をしたが、やがてハッとしたように頭に手をやった。
そして「たはは……」と苦笑いする。
美来は何と言っていいのか言葉に詰まって口をパクパクさせたが、
「ザビエルさん?」
という言葉が口をついて出た。
「あっはは、そうだね。そう言われると」
櫛引は天辺の頭皮を撫でる。
結構若そうに見えたけど、帽子を脱いだ途端20歳は歳を取って見えた。
いや、歳は本当に若いんだと思う。
それが、頭部がまるでコンビニおにぎりの先端みたいになっている。
そう思って見ると櫛引の姿がおにぎりに見えてきた。
言葉を失っていると、メリーが両脇に残っている頭髪をむしゃむしゃと
「ところで、そのカートいいですね。タイヤが高そうだ。どこかで売ってたんですか?」
「あ……、いや。そこで……、作ってる人がいて……」
何でもないように話しかけられ、「教えた方がいいのかな?」と挙動不審になりながら応対してしまった。
「あ、あの……、毟られてますよ?」
「あ。あはは。そうなんですよ。メリーはこれが好きで……」
はあ……と返事をし、当人がいいならいいのか、とそれ以上は突っ込まないことにする。
痛いのかな? というのもそうだが、もっと痛いものがありそうな気はするが。
談笑しているおば様方が気にしていないということは、もう知っているのだろう。
櫛引は少し照れたように頬を掻くと、
「あー。猫グッズを一緒に見てもらってもいいですか? 若い人の意見も聞いてみたくて」
と言ってくる。
特に断る理由もないので了承したが、美来もそんなに猫グッズは使ったことがない。
キャッタワーなど元のアパートにはとてもじゃないが置けなかった。
だが今は十分そのスペースが有るのだ。憧れのキャットタワーは美来も見てみたかった。
タワーが並べられているコーナーへ行くと、カートに乗ったロータスがタワーへと移る。
興味はあるようだ、と思っているとメリーはツンと澄ましたままなので、やはりネコによって違うのだろう。
ロータスは跳ねるようにして上へ上へと登り、隣のタワーへジャンプする。
「まあ、タワーなんて、豪華でいいわね」
おば様の一人が楽しそうに遊ぶロータスを見て言う。
おば様が連れているのは老いた三毛猫だ。こちらも落ち着いた様子で香箱座りしている。
「この歳になると、とても扱えないわ」
組み立てのことかな? それなら業者にお願いすれば……と思ったが、タワーなどはネコが高い所に登ってしまうと、簡単には下ろせなくなってしまうらしい。
腰の負担もあり、どうしても敬遠してしまうと言う。
なるほどそういう問題もあるのか。確かに美来も運動神経がいい方ではない。
自慢じゃないが何もない所で転ぶという芸も得意だ。
調子に乗って巨大タワーを買ってしまうと、必要な時にロータスを下ろすのに苦労するだろう。
「ああ、それなら高さより、横に広い方がいいのかなぁ」
櫛引の提案になるほどと思うも、ロータスはどうやら高い所が好きらしい。
タワーの最上段からじっと美来を見下ろすロータスの目は、「これがいい」と言っているらしかった。
「いやぁ、ローたん。それちょっと私届かないなー」
たはは、と笑う美来だが、ロータスの意思は固いようだ。
「でも、お猫様の希望には沿わないといけないから、人間が頑張るしかないんじゃないかなぁ」
そうなもしれない、と観念し、
「分かった! これ買うよローたん」
手を広げてロータスに買う気持ちを伝える。
よろしい、と言わんばかりに声を上げるロータスを満足気に見上げていた。もう首が痛い。
ペットショップ店員の克平がいないので多少難儀したが無事買うことができた。
大きな部屋の壁一面を埋めるほどのタワーは、とてもじゃないが美来の手に負えないので業者に任せることにする。
遊谷が運搬、設置を引き受けてくれた。
猫民同士で取引し、GGを受け渡しすることもできるらしい。もっとも相場は決まっていて自分で決められるものではない。
規模が大きいので結構な値になったが美来には大した痛手ではない。
在庫を確認し、明日の間に設置しておいてくれると言う。
美来がいなくても勝手に設置されるわけだが、家の持ち主はあくまでロータスなのだ。
キャットタワーが来ることを分かっているのかどうかは分からないが、比較的上機嫌に見えるロータスをカートに乗せて帰路についた。
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