第2話

 小鳥のさえずる音に目を覚ますと頬に柔らかい物を感じる。


 目を開けると毛玉が見えた。


 起きなきゃ、と身を起こしかけて「ああ、そうか。もう会社に行かなくていいんだ」とまた目を閉じる。


 しばし休日と同じように微睡みに戻った。


 それも束の間。ごそっと毛玉が動く感触で目を覚ます。


 顔の横で寝ていたロータスが起き出し、耳元で大きく鳴いた。


「はいはい。起きろってことですね」


 のそのそと起き出し、朝ご飯の用意をする。


 缶を開けてお皿に盛り付けると、定位置で待つロータスの前に置いた。


 優雅に缶を食べるロータスを満足気に眺めた後、自分の食事も用意する。


 と言ってもパンと牛乳だけの簡素なものだ。


 それをカジりながら「そう言えばこれからの生活はどうすれはいいのだろう?」という思いがよぎる。


 仕事をしなくていいのは有り難いが、給料がなくてどうやってロータスの世話をすればいいのか?


 今の生活になってまだ数日。


 まだ休みが早くやってきた程度の感覚だが、スーパーなどに行って買い物はできるのか、お金は使えるのか? お金がなくなったらどうすればいいのか?


 次々と疑問が沸き起こったが、寝起きなこともあってすぐに諦め、後で考えることにした。


 元々美来は悩むこと自体得意ではない。


 食事を終え、顔を洗っているロータスを眺めているとチャイムが鳴る。


 来訪? 誰が? とも思うが、もしかしたらあの異星人かもしれない。


 すぐ玄関に向かいドアを開ける。


 だがそこにいたのは人間。


「ネコを崇めよ!!」


 来訪者――青年は突然大声で叫び、呆気にとられている美来をよそに、


「支給品をお届けに参りました!」


 と段ボール箱を差し出す。


 美来はワケが分からずに青年と段ボール箱を交互に見比べる。


「ああ」


 美来は記憶の糸を手繰り寄せて声を上げた。


「あなた確か、よく行くホームセンターの店員さん」


 青年の表情がパッと明るくなる。


「お、覚えていて頂いて光栄であります!」


 選手宣誓のように手を挙げる青年は額に「ネコ命」と書いたハチマキを巻いていた。


 いきつけのホームセンターの一角にはペットショップがあり、そこで親切に商品を紹介してくれたので覚えている。


 だが美来にとっては名前も知らない一店員に過ぎない。


 年齢は美来より少し上くらいのようで、名札には『瀬戸口 克平』と書かれていた。


 美来は礼を言って箱を受け取る。サインなどは特に必要ないようなので、そのまま

ドアを閉めようとしたら、廊下の先からギシギシと床の軋む音が聞こえてくる。


 一度聞いたことのある、重い物が床を踏みしめる音の先から、礼の宇宙服が姿を現わした。


「ハ、ハイル! ネコー!!」


 突然克平が声を張り上げ、美来は箱を落としそうになる。


「ワ、ワタクシは上級猫民になるべく、日々精進しておりますですの所存です」


 宇宙服は克平を無視するように美来のもとへやってきて、


『移動の準備をしろ。新しい住処へと移るのだ』


 と音声付きの文字で告げた。



 ロータスをキャリーに収め、のしのしと歩く宇宙服の後をついていく。


 その横になぜか克平もついてきていた。


「いったい、どこへ連れて行かれるんでしょう?」


 怯えたように言う克平に「さあ」とだけ答える。


 そもそも移動を言い渡されたのは美来とロータスであって、この青年は関係ないのではないかと思う。


 街は静かなものだった。


 人通りが少なく、車が全く走っていない。


 気のせいだとは思うが、心なし空気もキレイになったように感じる。


 他に違うところと言えば野良ネコの姿が多いことだろうか。


 塀の上で寝そべっているネコを多く見る気がする。


 いつもは隠れているネコが堂々と姿を現したという感じだ。


 普段と違う景色をひとしきり眺めると、進む先に目をやった。


 高度なテクノロジーで地球を短期間で征服した民族にしては、随分と原始的な移動をするんだなと思いつつ、のしのしと歩く宇宙服の後ろ姿を見る。


 その先には小さなネコが隊列を組んで歩いてきた。


 白と黒のハチワレを先頭に、V字型に並んで通りを我が物顔で行進していた。


 ハチワレがボスのようだが、皆一才に満たないだろう。


 子ネコたちは宇宙服の前まで来ると、挨拶するようにちょこんと座って見上げる。


 宇宙服はこれに応えるように一瞥するとまた足を進めた。


 宇宙服が通り過ぎると、子ネコたちはまた肩を怒らせるようにして行進を再開する。


 克平が美来の背に隠れるようにして道を譲った。


 子ネコ達は当然のように堂々と道を歩く。


 微笑まし気に幼いギャング達を見送ると、美来は宇宙服の後へと続いた。


 しばらく歩くと、大きな屋敷の前で宇宙服が足を止める。


 一戸建てのキレイな家だ。


 あえて表現すると猫型ロボットが出てくる漫画のイヤミな子が住んでそうな家。


 ここに何か用が? と見上げていると、


『ここがロータスの住む家だ』


 へぇー、と声を上げた後、「え?」と聞き返す。


「こ、ここに住むんですか?」


 驚愕の声を上げる克平に、


『お前に言ってない。ていうか荷物を置いてさっさと仕事にもどれ』


 と宇宙服は冷淡に言い放つ。


 イ、イエッサー! と敬礼して走り去る克平を呆気にとられたように見送り、そして先の言葉を思い出して宇宙服に向き直る。


「で、でもここに住んでた人は? いくらローたんでも遠慮しちゃうんじゃ……」


 ネコは住み慣れた家を好む。広いのも落ち着かないだろう。それに、人ん|家

《ち》というのは……、前の人から取り上げるようで申し訳ない。


『この家の住人はネコの虐待の罪で抹消された』


「遠慮なく使わせて頂きますっ!」


 敬礼する美来に構わず宇宙人は広い庭の一角を指す。


『当然だがお前の家ではないぞ。お前に割り当てられるのはアレだ』


 ゴツい手袋が指す先は物置だ。一応百人乗っても大丈夫そうなくらいには大きい。


「あ、はい。大丈夫です」


 元のアパートは結構散らかっていたので、その居住スペースよりは広いかもしれない。


 家の主はあくまでロータスだと年を押すように言い、宇宙服は家の中へと入っていった。


 美来はしばらく屋敷を見上げた後、宇宙服に続いて玄関をくぐる。

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