ネ甲の惑星(ねこーのわくせい)

九里方 兼人

第1話 プロローグ

 ある日突然、地球は異星人の侵略を受けた。


 それはとても侵略と呼べるものではなかった。


 他の星系という気の遠くなるような場所から移動してくるような技術を持った異星人に、地球の科学力ではあまりに心もとなかった。


 人類よりも、遥かに長い文化の中で培われた思想、思惑、精神に、仲間同士のコミュニケーションもロクに取れないような者達が交渉できる隙もなかった。


 ただ下等な生物を排除するかの如く、原始的な攻撃をあしらうかの如く地球は蹂躙されていった。


 軍隊、核ミサイル、和平交渉の使者。そのどれもがホウキでゴミを払うように取り払われ、あとには抵抗の意志を持たない者達だけが残された。


 古川 美来みらいは、巨大円盤を見上げながら、ついにこの日が来たのかと半ば諦めの境地にいた。


 ニュースでは侵略を受け入れるしか道はないと報道されていたが、その放送局も一つまた一つと減っている。


 それでもしばらく街は平常通りだったが、ついにこの地域にも侵略の手が伸びてきたようだ。


 遠くから悲鳴が聞こえ始め、人が走ってくるのが見えた。そこから異星人がやってきていると思われる。


 逃げ惑う人が出始める中、美来は祈るように手を合わせて目を閉じた。


「私はどうなっても構わない。せめてお猫様だけは……。お猫様の命だけは助けて」


 部屋にいる愛猫のことを想う。


 大型の長毛種。オスのノルウェージャン・フォレスト・キャット。ペットショップで見初め、連れて帰って以来、唯一無二の家族。


 いや家族は健在なのだが、それは別腹。ネコは特別だ。


 愛猫ロータスのために全てを捧げてきたと言っていい。


 近くなってくる騒ぎに目を開けると、通りに場違いな一行が見えた。一言で言ってしまえば宇宙服を着た集団。


 月面着陸の映像で見たことのある宇宙服を着た人そのまんまだ。


 やや拍子抜けもしたが、宇宙服はご丁寧にインターフォンを押している。


 一軒一軒訪問しているのか? と頭に疑問符を浮かべていたが、対応した住人はしばらくやり取りをした後、項垂れたように歩き去って行った。


 何を言われているのか少し怖くなるが、車も持っていない美来はどこに逃げることもできない。


 ただ流れに従おうと宇宙服が近づいてくるのを待つ。


 突然、激しい車の音とスリップ音が響き、トラックが荷台を揺らしながら走ってきた。


 一歩下がって避ける美来の前を通り過ぎ、トラックは宇宙服へと突進していく。


「くたばりやがれ!! 宇宙人ども!」


 男の叫び声が聞こえたが、トラックは宇宙服に辿り着く前にパッと消えた。


 爆発もなく、音もなく、跡形もなく。


 あえて言うなら一点に集約するように、空間が歪んだように凝縮して消えた。


 直接見たのは初めてだが、これが報道されていた「抵抗しても無駄な理由」だ。


 ライフルも、戦車も、戦闘機も、核ミサイルも意味がない。戦争どころか戦闘すら起きない。


 歯向かう者はただその存在を瞬時に消される。


 かつて大国と呼ばれていた国の軍隊も今は無い。


 武器なのか、兵器なのか、超能力なのか。それすらも人類には分からないのだ。


 ただ逃げても無駄なのだな、というのは感じ取れた。もっとも美来に愛猫を置いて逃げるという選択肢はない。


 そうこうしているうちに、宇宙服が目の前にやってきた。


 顔面にあたる部分はガラスの球体だが、スモークフィルムのように中は見えない。


 緊張でガチガチに固まっているとスキャニングするように光の線が美来の体を撫でた。


 しばらく何かを吟味するように、というか考え込むように宇宙服は止まっていたが、やがて目の前の空間に光の文字が現れる。


『合格』


 合格? 何に? と困惑していると、空中に浮かび上がるメッセージが、


『お前の部屋へ案内せよ』


 という文字に変わった。


 アパートの階段を登る宇宙服を危なっかしく思いながら、二階の自室へと案内する。


 扉を開けると愛猫ロータスが「にゃ~ん」と声を上げて走り寄ってきた。


 あ、危ない……と制止しようとするも、構わず宇宙服に走り寄る。


 宇宙服から離そうと手を伸ばしかけたが、ロータスは宇宙服の手にすり寄っていた。


 当面心配はなさそうだ、と安心していると、


『話は聞いている。お前の役割はこのロータスの世話をすることだ』


 と目の前に文字が浮かぶ。


 そりゃもちろん……と思うも、ロータスって名前を教えたっけ? それ以前に、話を聞いた?


 と頭の中を思考が渦巻いていたが、宇宙服がヘルメット(?)のスイッチを押すような動作をすると、ガラスのスモークが晴れていった。


 そこに現れた顔は……、ネコ?


 大きなネコ。知的な光を帯びた眼をした美しいネコの顔だった。


 顎が外れそうなほどに口を開けていると、


『我々はこの惑星に住む仲間を助けに来た』


 という文字が、自動読み上げのような音声と共に映し出された。



 この異星人は、地球で言うところのネコ科の動物が進化して人類になった種族らしい。


 宇宙規模で見ればほとんどの生物がそうなのだが、稀に他の種族によって猫族が虐げられるという逆転現象が起きている。


 彼らはそれを正すため宇宙を航海し、改正していってると言う。


 だが美来はそんな話をほとんど聞き流し、ガラス球の中にあるものに触れられないかとベタベタと触っていた。


 ヘルメットを外せないのかとボタンや留め金を探してまさぐる。


『おい。あまり無礼を働くと抹消するぞ』


「これにさわれるなら死んでもいい」


 うっとりしたようにガラスに張り付く美来を嗜めるように、ロータスが大きく鳴き声を上げる。


 美来は我に返ったようにガラス球から離れて咳払いした。


「ごめんなさい」


 言ってから、無礼に対する謝罪なのか、浮気したことへの謝罪なのか分からなくなったが、多分両方だろう。


 ガラス球の中の美猫は話を続ける。


 本来、猫族を差し置いて地球を支配していた人間は抹消されるが、ネコが好いている、助けてほしいと願われた人間はネコの世話をするという名目で対象から外される。


『お前はこのロータスの願いで抹消を免れたのだ』


 美来はロータスを見る。


 ロータスはいつもの様子でアイコンタクトを返してきたが、美来は目に涙を浮かべて抱きついた。


「ありがとー。ローたん」


 ネコに認められた人間は、最低限の生活が保証されるらしい。


『本日より、お前達はネコの奴隷。ネコのために生き、ネコのために死ぬのだ』



 そして異星人の侵略を受け、改正された新しい生活が始まった。


 朝から晩まで、お猫様のために快適な環境を維持し、誠心誠意お世話をする。


 ロータスのトイレを掃除し、猫缶を用意した。お猫様が機嫌よさそうにしているのを見てほっこりしていると、


「あれ? 別にいつもとあんま変わらなくない?」


 と思う。むしろ仕事に行かなくていいだけ幸せかもしれない。


 ま、いっか。と深く考えるのをやめ、美来は長い毛のブラッシングを始めた。

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