第17話:自分の人生を書き起こして思ったこと

今回の話には、僕が最近投稿しているエッセイ『碧天の雨』のネタバレが含まれます。ご了承ください。


と言っても、あらすじでも本編でも匂わせていることだし、近況ノートや本エッセイには書いていることだけど。


まあ、書きすぎると完結後に近況ノートに書くネタが無くなるからほどほどにというか、切り口を変えるんだけどね。あとがきまで下書きに保存した……要は書き終えたからか、たまらずアレコレ語りたくなってしまった。


『碧天の雨』は、僕の小学2年生から高校1年生のクリスマスまでの人生を書き起こしたエッセイだ。僕のというか、僕と姉さんとの思い出と表現するほうが正しいが、当時の僕の人生は姉さんと共にあったため僕の人生を書き起こしたと言っても過言ではない。


前置きはここまでにしておこう。


既に、完結まで下書き保存してある。文字数は、あとがき含め9万5000文字程度だ。


最初はもっとかかるものだと思っていたが、書く話をかなり厳選したら10万文字以内におさまった。


もととなっているのは、僕が当時つけていたバカほど詳細な日記である。会話内容、感じたことなどが事細かに書いてあるものだ。ノート何百冊分もある。一部は既に処分したが。


この日記を何度も読み返しながら、書いていたんだよね。


この日記だが、僕はずっと遠ざけていた。特級呪物だからだ。考えてもみてほしい。手書きだ。手書き文字というのは、感情が出る。当時の自分の感情が、筆致から読み取れてしまう。そのうえ、当時の自分の感情や思考が文章として書かれている。死んだ人間の言葉や仕草が、文章として記されている。


かなりの呪物だ。


だが、書くにあたり遠ざけるわけにはいかない。なんせ、日記を読まないと詳細には書けないのだから。流石に会話まで詳しく覚えていられないのだから。


そうして書いていて、思ったことがいくつかある。


まず、人の人生というのは面白いということだ。


Twitterなどでエッセイ漫画が人気になる理由が、よくわかった。他人の人生は面白い。僕は自分のことだからあれだが、客観的に読もうと努力して読むと、かなり面白かった。


結末は決してハッピーではないが、それでもやはり面白い。


そのうえ、あの頃の僕の人生が面白すぎる。小説か? というくらいによくできた展開だと思う。というか、僕が書いたどんな小説よりも伏線とその回収がよく出来ていると思う。人生の伏線回収だ。


意図的に回収した人生の伏線は、姉さんに「将来小説を書く人になるといいよ」と言われたこと、「将来結婚することになったら君は文章書く仕事とか家で出来る仕事したらいいよ」と言われたことだ。この二つは、意識的に「姉さんが言ってたな」と思いながら始めたことだからね。


ただ、意識していない部分でも「これフラグやん」というのが結構ある。前フリがきいた人生だ。


人に信じてもらえないことが多いのも、出来すぎているからじゃないかと思う。


さらに、人生を詳細に書き綴ることの精神面への影響について思うところがあった。


『碧天の雨』の結末は、どうあがいても変わらない。人生だからね。実際にあった出来事を記録しているエッセイだから、姉さんが死んだという結末はどうあがいても動かない。それを意識して読む日記は、とても胸が締め付けられた。


書きながら何度、胸をおさえたかわからない。泣きながら書いたエピソードもある。当時からしたら、ただ幸せなほのぼのとした出来事なのに、後から振り返ると泣ける話になってしまうことがあるんだ。


たとえば、先述の、姉さんに「将来は小説を書く人になればいいよ」と言われた話。あれは、当時の僕からしたら照れくさい記憶だ。授業で書いた4000文字の短編小説を姉さんたちに見せて、褒めてもらったという照れくさくも嬉しい出来事でしかない。


しかし、実際にそれを意識して、素人とはいえ小説を書く人間をしている今この話を書くと、かなりグッときた。


姉さんが死んだことを知らずに読むのと、知って読むのとでは印象がまるで違うんだろう。知らなければ、前半部分というか小学生の部の大部分はほのぼのエッセイだと思う。


ただ、どちらかと言えば知って読んでほしかったから事前に近況ノートに書いたし、あらすじでも匂わせてるんだけども。


あと、書いていると実在感がすごかった。実在の人物なんだから、そりゃそうなんだけどね。


そういうことじゃなくて、姉さんが今もまだ生きているのではないか、という錯覚に陥ることがあった。今朝なんて、起きたら姉さんの家に行こうとしている自分がいてビビったよ。十数年経ってるし、そんな風になったこと今までになかったのに。


自分の人生、それも死んだ大切な人にまつわる記憶を書き起こすというのは、実はかなり危険なことだと思う。


自分の脳が、その人がまだ生きていると錯覚してしまうのだから。


脳というのは、なんとも不自由なものだ。理解しているはずのことすら、誤認してしまうことがあるんだなあ。


想像していたより、覚悟が必要なことだった。覚悟して書き始めたが、それでも精神がかなり過去に引っ張られる。


人生を記録したようなエッセイを書きたいという人は、覚悟をしたほうがいい。


ただ、書いていて辛いということは決してなかった。むしろ、幸せな時間だったよ。姉さんのことを思い返さない日はないんだけど、ここまで詳細に考える日というのはこれまでなかったから。


大事な人との幸せな記憶を、たくさん書けて幸せな気持ちだ。


さて、こんなに語ってしまって、完結ボタンを押した後の近況ノートには何を書こうね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る