第10話 学生時代の勉強で一番おもしろかった瞬間

学生時代、僕は勉強が好きじゃなかった。


成績は、学校内では中の上くらい。高校は頭がいい学校じゃなかったから中の上くらいで、頭がいい学校なら中の中または中の下だったとは思う。


得意科目は英語と国語だった。


総合学科という、一年の頃に二年・三年のカリキュラムを自分で選択して時間割をカスタマイズする学科だったから、理数系科目は高校二年から全排除した。社会科目も日本史Aと世界史Aというバカの選択をした。


当時は大学進学するつもりなかったからね。まだ姉さんが生きていて、姉さんに「卒業したら家でできる仕事して」と言われて僕もそうしたかったから、大学進学コースの授業選択はしなかった。


姉さんの死後にやっぱり大学行くかとなって、日本史Bを完全独学することになったんだけど、それはまた別の話だ。


僕は勉強が好きじゃなかったし、授業中に友達とPSPでモンハンするような奴だったけど、勉強が面白いと思う瞬間はいくつかあった。


一番おもしろかった瞬間は、英語関係だ。


英単語のアクセントにある法則性を見出したときが、一番おもしろかった。


「ic,ics,ical,logy,tion,sion,ity,ety」これらがある単語の場合、この一つ前にアクセントが来るんじゃないかということに気づいた。単語帳を開いて実際のアクセントを確認すると、やっぱりそうだった。


英語の教師に確認すると、「え? あーたしかにそうなんやない?」というリアクションだったのも面白かった。


これのおかげで、アクセント問題はかなり助かったのを覚えている。


アクセントって、試験に出る割に積極的に教えてくれるわけじゃないんだよね。


せいぜい「リピートアフタミー」のときに、先生が強調してくれる程度。あとは単語帳を見るなりして自分で覚えてくれ、というスタンスだった。その英語の先生がそうだっただけかもしれないけど。


だけど、言葉において、アクセントというのは重要だと思う。


日本語だと、アクセントが違うだけで別の意味に捉えられることがあるから特にそう思うが、英語だってアクセントは重要なんだ。修学旅行でマレーシアに行ったとき、アクセントを間違えたときはうまく伝わらず、アクセントは完璧だけど読み方があやふやなときは伝わったという経験をした。


アクセントひとつで、コミュニケーションに影響が出るというのは日本語も英語も変わらない。


試験に出るだけじゃなくて、実際に英語を使う際にも重要になるし、むしろそっちのほうがアクセントの重要度は高い。


学校の授業は試験用だと言われるけど、アクセントに関しては試験用だとしても不足していると思う。


それを自分自身で攻略できたのは、とても面白かった。


まるで、難しいゲームで友達みんなが知らない攻略法を見つけたときのような喜びがあった。たとえネットを見たらその攻略法がどこかに掲載されていたとしても、それを自力で見つける快感が失われることはない。


勉強は、気付きがあると面白いよね。


ただ授業を聞いているだけの勉強よりも、自分から積極的に学んでいるときのほうが気づきは多い。受動的だと気づきにくいことが多いけれど、能動的だとアレコレ考えるから気付けるということはあるからね。


学校の授業の勉強が好きじゃなかったのは、多分、受動的だからだ。


学んでいるというよりも、学ばされているという感覚が強かったんだろう。


僕は昔から、たとえ好きなことだとしても「やれ」と言われてやるのは嫌いな人間だったから、余計に学校の勉強が好きじゃなかったんだと思う。


思えば、受験勉強は面白かったんだよな。独学で学ばなきゃいけない教科があったこともあり、能動的な学びだったから。


よく「大人になってからの勉強は面白い」という話をネット上で目にすることがあるけど、それもそういうことなんだと思う。


結局のところ、「知る」「学ぶ」というのは面白いんだ。


能動的にやるのであれば。

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