私が嫁いだ町 3話

「理由子、ちょっと話があるんだがいいか」

 いつになく真剣な固い声色に不安を抱きつつ、光久に向かい合うようにソファーに腰かける。

「何かあったの」

「実はさっき電話があってな、以前話した俺の元恋人、彼季さんが亡くなったらしい」

「えっ………」

 動揺で硬直している私の目の前で、光久は静かに涙を流した。ひしひしと伝わるその深い悲しみが、これは現実なのだと突き付ける。

「自殺らしい。現場に遺書が残されていて、そこに『息子の親権を高宮光久へ託す』と記されていたそうだ。それで俺のところに警察から連絡が来たんだ」

 耳の奥で地響きのような音がする。機能戸棚の奥に仕舞い込んだ手紙には、何て書いてあったか。

「やはり彼季は、一人でも産んでくれていたんだ。俺の子を。彼季を幸せにしてやれなかった分、せめて子供には辛い思いをせずに育って欲しい。半分は俺の血が流れているんだ、引き取って育てることを了承してはくれないだろうか」

 雑音の向こう側から、声がする。音としては認識できても、その意味するところがわからない。理解することを脳が拒否している。

「ほんとうに、貴方の血縁なのでしょうか」

 絞り出した返答は、自分でも呆れるような。

「息子さんの年齢は十歳だそうだ。俺が彼季から妊娠したと聞いたときと時期が一致する。彼季はとても真面目な女性だった。同時期に他の男と、なんて考えられない」

 違う、そういうことが聞きたかったわけでは無いのだ。そんな愛おしそうに、他の女性の名前を呼ばないで。

「そんなに心配なら、遺伝子検査をさせよう。親子関係は金さえ払えば、今や簡単に調べられるだろう。手配するよ。だから今は仮に、ちゃんと俺の息子だったとして答えて欲しい、一緒に息子を我が子として育ててくれるだろうか」

 私はずっと前から気づいていたのに。「貴方は、まだアキさんのことが好きなのですか」この質問をしたときから、光久の気持ちがわかっていた。「理由子のことが好きだよ」

 光久は“応えて”はくれたけれど“答えて”くれはしなかった。だがそれこそが答えなのだろう。つまり、私のした問いにきちんと答えるとしたらこうだ。『アキさんのことが一番好きだ。理由子のことも次いで好きだよ』

 私の意見など関係は無い、それでもこうして、私の意見を尊重する体をとってくれる。それで満足しないと罰が当たる。元は彼季からの手紙を勝手に開けてしまった私が起こした悲劇。

「これからは四人家族になりますね」


 *     *     *


 屋敷に連れてこられた彼季の息子一俊は、久光さんの面立ちにとてもよく似ていて、彼の実子であることを疑いようが無かった。私は彼季さんの命を奪ってしまった要因かもしれないという罪悪感から、この幼子の幸せに尽くそうとした。それは久光も同じであった。図らずも私たち夫婦は、同じ罪を抱え、贖罪で強く結ばれることとなった。

 子らが成長していくにつれ、私たち家族の絆はしかし、第三者の好奇に穢されていく。当然、当主である久光の耳にはより多くの声が届いていただろう。

 それでも跡継ぎについて言及しないことこそが、一俊に後を次がせたいという光久の心情を如実に表していた。

 私たち夫婦は、一俊への贖罪意識が強いあまり、宏樹のことをきちんと考えてあげられなかった。

 私はただ普通に愛されて、愛したかっただけだったの。最愛の夫を愛し、最愛の息子を愛し。妻として、母として愛されたかった。

 彼季さん、貴方もそうだったのかしら。

 どこまでが自分の身体かもわからない。薄れゆく意識の中で、ただただ、息子たちが幸せであれと、そう願った。


 ――――――fin.

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桜田 優鈴 @yuuRi-sakura

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