君の描いた町 5話

 佐千代と二人きりになってからの記憶はあまり無い。それはとても残念なことに思える一方で、寧ろそれで良かったのかもしれないとも思う。記憶が曖昧だからこそ綺麗な面だけ見られたのであって、全てを直視していたであろう佐千代の苦悩は計り知れなかった。現に佐千代の絵からは次第に暖色が消え失せ、寒色や黒をベースとした暗いものしか描かなくなった。その変化は俺に、彼女の中にあるものにすら触れられたという錯覚を起こさせ、更に魅了され暴力は悪化した。傷つけたいとは決して考えていなかったはずなのに、他にどうしたら佐千代との繋がりを感じられるのかがわからなくて結局痣を刻むしか出来なかった。

 そんな不器用な関係が始まってから六年、何の前触れもなく一通の手紙が俺と佐千代宛に連名で届いた。真っ青な顔でその白い封筒を差し出す使用人の様子から、何か良からぬ知らせかと身をこわばらせつつ差出人を確認すると『高宮宏樹』という懐かしい名が記されていた。指折り数えてみると、義弟が家を出てから実に十三年の月日が流れていた。今更何の用件があるのかと震える指先で封を切ると、中からはたった一枚の便箋が出てきた。そこに記された文字を見たとたん、俺は自室を飛び出して佐千代の部屋の戸を大きな音を立ててノックした。

「おい出てこいよ、宏樹から俺とお前宛に手紙が届いたんだ」

 すぐさま内側から扉が開いて、動揺を露にした佐千代が俺の手から手紙を引ったくるようにして奪った。高揚して頬をピンクに染めていたのから一転、傍目に見てわかるほど綺麗にさぁっと血の気が引いて唇まで白くなる。それもそのはず、今彼女が手にしているのは宏樹の結婚式への招待状だったのだ。目を通し終え膝から崩れ落ち項垂れた彼女の後頭部に向かって、笑いを堪えることなく問い掛けた。

「俺と一緒に出席しようか。そして一緒に、式をぶち壊してやろうよ。」

 ばっと佐千代が顔を上げ目が合った瞬間に、噛み切れそうな程強く強く唇に歯を立てて両目に涙を一杯に溜め俺を睨んだ。その様を見て、俺は更に顔をにやけて緩ませてしまった。嗚呼佐千代には血が通っている、そんな当たり前のことを馬鹿みたいに考えながら、ついにその薄い皮膚を歯が突き破り真っ赤な液体で濡れる様をじっと見ていた。

「この招待状、私が持っていてもいいかしら」

 ようやく咀嚼筋を弛緩させた佐千代は、力無い声でぽつりとそれだけ呟いて、俺の許諾を確認するとふらふらと自室に消えた。それ以来今まで以上に部屋に籠るようになり、佐千代の姿が見られるのは食事の時間だけになった。


 *     *     *


 デスクワーク中にふと顔を上げると、空がやけに紅かった。とても美しい夕焼けだ、と思ったが腕時計を確認すれば時刻は二十時過ぎ。幾ら夏とはいえ、日の入りには遅すぎる。偽りのものとわかってはいても、あれほど美しい夕焼けは後にも先にも見たことがない。次第に外が騒がしくなって、窓を開けると遠くに煙柱が上っているのが視認できた。日付は八月十五日、お盆で帰省している者も多かったから、きっと花火でもしようとして誰かがぼやを起こしたのだろうと然して気にも留めなかった。窓を閉めて再び仕事に集中しどれくらいが経過した頃だったろう、部屋の扉がノックされ、てっきり夕飯の支度ができたと呼びに来たのかと思ったら、使用人は青白い顔でおずおずと電話を渡してきた。

「警察の方からです」

 既視感に嫌な汗が背中をつうっと伝い落ちた。

「もしもしお電話代わりました、高宮一俊です」

「あれ、一俊さんですか、高宮佐千代さんはそちらにいらっしゃいますか」

「はい、ずっと家にいるはずですが」

 答えながら、最後に佐千代を見たのは何時であったか考える。昼食のときにはいたはずだ、でもそれからもう七時間以上経っている、でも監視だってつけているし万が一外に出ていたとして町で佐千代を見かけた者がいたら連絡が来る手はずになっている。

「ご在宅でしたら、佐千代さんにお電話を変わっていただいてもよろしいですか。先程の方にも佐千代さんの方に代わって欲しいとお願いしたはずなのですが、名前を聞き違えたんですかね」

 ショート寸前の思考回路でなんとか状況を飲み込もうと試みる。佐千代に代われと言われて俺に電話を渡してきた使用人、いつもより遅すぎる夕飯、佐千代が部屋を抜け出そうとしたら阻止し報告するようにと家中の者に命じてあって、だからこそ今佐千代は自室にいると俺は判断したのであって。皆まで考えつく前に身体が勝手に動いていた。ノックもせず佐千代の部屋に転げ込むと、電気すら点いていない無人の空間が出迎えた。

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