第2話  ・–・–・

 戦況は芳しくない。

 聯合国は潤沢とはいえないものの、諸強国から捻出された物資を元に、じわじわとこちらを追い詰めている。

 特に、先日、市街地にて行われた奇襲作戦が痛手であった。あの爆撃によって、巡回中であった小隊が壊滅状態に陥った。

 医療隊の献身もあって幸いにも命を落とした者はいなかったが、とはいえ貴重な戦力、頭数であった彼らを失ったのは我が軍にとって多大な損失である。

 軍議に出席したアンダーソンは、髭をたくわえた少尉の背後に姿勢を正して立っていた。彼は心中に微かな怒りを滲ませていた。

「それで」

 中将が卓の上で手を組んだ。

「巡視隊の連中は、その魔女騒ぎに乗せられて、あの建物に誘い出された、と」

「そのような噂に踊らされるとは、全く、呆れてものも言えぬな」

 椅子にゆったりと背をもたれさせて、大佐が鼻を鳴らす。アンダーソンはふんぞりかえるだけの老いぼれに掴みかかりたくなるのを必死で堪えた。

 そんな彼の気持ちを汲み取ってか、少尉がすかさず反論を述べる。

「お言葉ですが、巡視隊員は誰もが有志の集い。かねてより兵士として鍛錬を積んできた我らとは、大きく違う生活を営んでいた者たち。戦火に怯むことなく我々の戦力となることを決心した若者たちですぞ。食事は貧しく、満足な衛生もない。この苦境にあって正気を保ち続けろというのは、一般人に対して少々酷ではないですかな」

 壮年の彼の言葉に棘はなかったが、有無を言わさぬ迫力があった。少尉は巡視隊員たちとの直接の関わりがあった分、彼らに寛容であった。

 自身の意見に噛みつく者がいないことを確認した少尉は、柔和な物腰で背後を仰ぎ見る。

「それから。その魔女騒ぎに関連して、このアンダーソン伍長より話があるとか。頼めるかな、伍長どの」

「はっ」

 アンダーソンは小さく敬礼を済ませ、一歩前へ出た。

「率直に申し上げますと、我が軍の中に、聯合軍と通じている者がいると思われます」

 ざわめきが広がった。

 高官たちの目つきが鋭くなる。

 突き刺さる視線に臆することなくアンダーソンは続けた。

「上官どの各位も記憶に新しいかと存じます、先日の奇襲攻撃。私の所感は、出来すぎている、というのが正直なところであります。市街地を戦線から監視していたとて、そう都合よく、敵軍の巡視隊を壊滅させられるでしょうか」

「ほう、つまり」

「つまり、巡視隊は誘き出されたのです。あのアパルトメントへ。元より爆撃目標だったのでしょう、市街地の残骸の中では最も高い構造物でしたから」

「そうして巡視部隊の間に、件のアパルトメントには魔女がいる、という大それた噂を流布し、アパルトメントに赴くよう仕向けた者がいる、ということですかな、伍長どの」

「仰る通りです、少尉」

 やはり彼は、我ら下等兵の味方だ。そう確信した。

 アンダーソンが頭を下げて一歩下がると、少尉は彼に向かって片目を瞑ってみせた。そして軍議の卓へと姿勢を直す。

「各位、これは由々しき事態と思われますが、いかがですかな」

 長く続くかと思われた沈黙だったが、それはすぐに破られた。

「馬鹿げた話だ」

「しかしいくら馬鹿げていても、無視すれば命取りになりかねませんぞ」

「確証はあるのかね」

「それを待っていては遅いと思い、こうして奏上差し上げているのです」

「軍の内部に不和を持ち込む貴様らこそ、聯合の犬に思えてならないが」

 アンダーソンの眉がぴくりと動いた。聞き捨てならない台詞だ。

 だがそれよりも許せないのは、大佐の言葉を皮切りに、上官たちが少尉に対して口々に文句をぶつけ始めたことであった。飛び交う怒号は、焦燥と保身に駆られた、聞くに堪えない醜い言い訳ばかりだ。火のついた彼らの猜疑心と、聯合国の謀略への苛立ちはとどまるところを知らないようだった。

 床を踏み締めて、アンダーソンは怒りを堪える。

 それまでとうってかわって、軍議の場は一気に騒然としてしまった。

 これでは話にならない。

「ふむ」

 少尉は顎髭をひと撫でした。

「アンダーソン伍長どの」

「はっ」

 背を向けたままの少尉に、アンダーソンは耳を寄せた。

「ご用命とあらば、何なりと」

「はは、そこまで畏まらなくてよろしい」

 少尉の冷めた目が、がやがやとうるさい上官らを真っ向から見据えている。

「伍長どのさえ良ければ、この件を私に委ねさせてほしいのだが、どうかな」

「そ、それは」

 面食らったアンダーソンは、懐からハンカチを取り出す。

「少尉どの自ら、内通者の炙りだしに動かれるということでしょうか」

 額の汗を拭って再び彼を見ると、少尉は依然として膨れた腹を正面に向けていた。

 それから愉快そうに、そのふくよかな身体を揺らした。

「そうとも。なに、私にいい考えがあってだね」

 僅かに逡巡したアンダーソンだったが、元よりそこに自分が介入できるだけの何かはない。

「ご随意に」

 短く言い切り、彼は少尉に向かって敬礼した。

 承諾を得た少尉は、ごほんとわざとらしく咳払いをした。

「時に、皆様方」

 大音声とはお世辞にも言えない、年相応に掠れた声色。だというのに、軍議室が水を打ったように静まり返る。

 それはまさに鶴の一声であった。

「皆様方は」

 柔和な物腰を崩すことなく、少尉は息を注いだ。

「野菜は、摂られていますかな」

 目を丸くして少尉を見たのはアンダーソンである。対話の切り口としてはあまりに突拍子のない話題であった為だ。彼には少尉の思惑がさっぱり分からなかった。

 それは上官たちも同じだったようだ。この場にいる誰もが目を丸くして、少尉の言葉の続きを待っていた。

「この頃、野菜の配給が止まったと巡視の兵より聞き及んでおりましてな。これは大変な事態です。駐屯する兵たちに栄養が行き渡らなければ、勝てる戦にも勝てません」

 少尉が考えるそぶりで腕を組む。

「しかし、聯合国が兵糧攻めを仕掛けてきている中でとて、戦地に一番に駆り出される兵たちの食事を減らすなどという真似、上官各位が許すとも思いますまい」

「確かに、そのような報告は上がってきてはいないな」

「たとえそういった案が出たとして、可決などするものか」

「そうでしょうとも」

 熱暴走していた彼らが、沈着な思考回路を取り戻し始めていた。

「アンダーソン伍長含め、私が申し上げたいのは、軍の中に裏切り者がいるということではありません。それはあくまで、初めの推測から更に飛躍して想定される最悪の結果に過ぎない。重要なのは、現在この時、物資の配給を滞らせている何かがある、ということです」

 皆黙って耳を傾けていた。

「この件を解決しなければ、我が軍は容易く敗れますぞ」

 前につんのめる勢いで話していた少尉が、重心を背もたれに戻してそう締め括る。彼が宿しているのは、軍全体の上滑りした士気を諌めるかのような眼差しだ。

 その迫力も手伝って、軽々しく異を唱えようとする者はなかった。

 重苦しい空気の中、膠着状態は暫く続いた。アンダーソンも、周囲の人物の動向を窺うのみであった。

 軍議において最も有力な位置に座しているのは、少尉とアンダーソンを聯合の犬呼ばわりした大佐である。

「委細承知した」

 徐ろに、その彼が手を挙げた。軍議室が微かにざわつく。

 先刻浴びせられた蔑称ともとれる彼の発言はアンダーソンには看過できなかったが、流石は少尉と同じく落ち着き払っていた人物なだけはある。他の軍人よりも頭の回転は早いらしい。

 アンダーソンは少尉の様子を盗み見た。そこには変わらぬにこやかさが貼りついている。

 鋭い眼光をぎらつかせ、大佐が挙げた腕の古傷を撫ぜた。

「この局面、不安要素はないに越したことはない。貴様の提言、真摯に受け止めようではないか」

「では、補給や後方支援を正す役目は任されよう」

 次いで手を挙げたのは、大佐の背後に控えていた中年男性だった。何度か顔を見たことがある。政治の場にも列席する、軍の要人だ。

「最悪の結果、とやらも視野に入れて動く必要がありますね。作戦と連携を見直したいところです」

 と、澄ましたように宰相。

「なら情報収集はうちに任せてもらおうか。隠密部隊との連絡手段をもう一度確認しておく。政府とも関係を深めておこう」

 大佐の隣の席に着いていた、強硬派の少将さえ。

「それならば有志の志願兵への待遇も梃入れが必要だな」

 口を開いたこともなかった、保守派の枢密官までもが。

 大佐に倣うかのごとく、肘を曲げてすうとその手を挙げる。

 そこからは早かった。

 卓に着いた上官たちを始めとし、席の用意されていない者たち、その場にいる皆から続々と手が挙がっていく。

 いつしか軍議に参加していた全員が、その手を天へと向けていた。その仕草は、軍における提案と合意を意味するものだった。

 少尉とアンダーソンの視線が交じる。

 彼らの目にしている光景が示すのは、一切の疑いようもなく、軍意としての是認、可決ということである。戦争が激化し、以来、長らく軍議の場において、目にする機会のなかったサインだ。

「負けを阻止するのではない。断固として勝つ。それのみである」

 大佐が声高に宣言した。彼もまた、感極まっている様子であった。

「今一度、想いを深めるのだ。この国を勝利へと導くのは…他ならぬ我らであると」

 誰からともなく拍手が湧き起こる。

「母国よ永遠なれ!」

「万歳、万歳!」

 わっと室内に歓声が上がった。

 壮観だった。アンダーソンは感嘆の息を漏らした。

 今ここに、再び、軍の結束が成されたのである。

 心地良い熱気の中、アンダーソンは紅潮させた頰を少尉に向けた。

「流石です、少尉」

 だが、先ほどまで座っていたはずの少尉の姿はそこにはなく、座面を僅かに凹ませた彼の椅子だけが残されていた。

「少尉?」

 卓の周囲をぐるりと見てみたが、やはり彼はどこにも見当たらない。

 訝しんだアンダーソンが首を捻った時、両開きの扉が忙しく開かれた。

「市街地に襲撃の恐れあり!」

 飛び込んできてそう叫んだのは、先日負傷した彼らと同じ、巡視部隊の兵士だった。

「繰り返します、市街地に襲撃の恐れあり、ご指示を!」

 軍議室はにわかに慌ただしくなった。

「昨日の今日だぞ、一体どういうつもりだ」

「それも夜襲とは。聯合め、一気に畳みかけて終わらせる気か」

「なるほど、やつらの好みそうな卑劣な手だ。これで屈すると思っているとは。舐められたものだな」

「やむを得ん、機動隊とパイロットたちには出動の用意を要請する」

「民兵の撤退準備を直ちに開始させよ。近場の民にも避難勧告と警報通知を」

 軍内の執行を対聯合国の作戦運用へと切り替える彼らの迅速な行動移行に乗るようにして、アンダーソンは軍議室を足早に去った。

 忽然と消えた少尉が気がかりだった。

 彼はどこへ行ったのだろう。額の汗を拭ったアンダーソンは、人で溢れる基地内を駆けた。

 この状況で行方が分からないことが危険だ、というのも大いにある。

 しかし自分を衝き動かす原因は、アンダーソンにはまた別のところにあるような気がしてならなかった。

 少尉の体では、そこまで遠くに行けはしないはずだ。だというのに、一向に彼が見つかる気配がなかった。

 駐屯基地を駆け抜けたアンダーソンの前には、暗闇に包まれた市街地が広がっている。土埃の匂いがした。

 ふと、埃風に紛れるようにして、ちらと閃いた。ともすれば見逃してしまいそうな灯りが。

「あの方角は」

 瞬きの間にそれは消えた。胸騒ぎがした。

 軍議中の彼の振る舞い。

 アンダーソンは走りだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る