第44話 禍津神、スサノオとここで会ったが100年目。
その夜、イトが一人、湯船に浸かっていた。
そこにツクミが入る。
「イト様」
「おお、ツクミか。どうした。今日も一緒に入るか」
異性特有の遠慮も無く、いつもの調子で笑う。
この神様はいつもこうだ。弱みを一切見せない。神だから。
一番星たる自分が、燻っているところなど見せられないのだろう。
神官の前でさえ、素を見せることはない。
もしそうなら、朱皇院だってとっくに間引きをやめていただろう。
でも間引くときにだけ、イトは素を見せていた。
銃口を向けていた乃沙にだけ、無意識のうちに素を見せていた。
——哀しい顔だけだった。
『この件、深入り不要だ。我の宿命だ』
消えた乃沙を見送った後の言葉は、間違いなく禍津神としての言葉だった。
ツクミでは、乃沙には勝てない。
ステラとジバールが加勢しても、乃沙には勝てない。
それが分かっていたからこそ——深入り不要と、現人神自らが動く宣言をしたのかもしれない。
足手まといなんて嫌だ。
魔王の血筋、
(じゃあ私は、何が出来るだろう)
湯船に浮かぶ日本酒を注ぐ。
(イト様の神官になったから、今の自分がいられる。魔族に虐げられてほしくない、そんな想いに蓋をしなくて済んだ)
それも、奴隷店の地下でイトが真正面から受け止めてくれたからだ。
(でも私は、何が出来るだろう。
だけど、思えばツクミから何かをしたことが無い。
そんな自分を、ここにきて強く恥じた。
気付けば湯船に顔をつけた。
「かかっ、どうした。ツクミ。新しい芸か?」
「イト様」
しかし、ツクミの心は決まっている。
がばっと全裸で抱き着いた。
揺れる湯船。
驚いたようなイトの顔が、隣にある。
神様の体温は、人のように暖かった。
色々イトに当たっているので、恥ずかしかった。
でも、これがツクミの覚悟。
神官として言うべきことを言う。
「私、深入りする。イト様のこと、乃沙に渡さない」
それは、元カノに靡きそうな恋人を、繋ぎとめるための口説き文句にも聞こえた。
「かかっ、それでは我はお主の所有物みたいになってしまうぞ」
「うん。イト様は私の神。だから禍津神にはさせたくない」
ぎゅっと、裸でイトにしがみつく。
神官として、巫女として、大きなイトの身体に抱き着く。
破廉恥かもしれない。畏れ多いかもしれない。でもたぶんこれをやれるのは
一番星として孤独になりがちなイトを見失わずにいられるのは、自分しかいない。
「我もそのつもりはない。禍津神に戻るつもりはない」
イトもツクミの決意を察したのか、安心させようと撫でる。
しかし、直ぐに物憂げそうに天井を見つめる。
少女の裸体が組み付いているのに、何も思う所が無い辺りは神である。
「ただ、此度のことは、禍津神としてやり残した事ぞ。故にお主らを巻き込むわけにはいかぬ」
「だから、深入り不要なの? いつもは、人に任せるのに」
「左様だ。ケジメとやらを着けねばならぬ」
「まるで朱皇院のことを汚点と思ってるみたいだよ、イト様」
イトの真顔が、ツクミを向く。
抱き着いた時の驚きよりも、何百倍も驚愕していたように見えた。
「だって神は、人を手ずから救うことは出来ないんでしょ。それに従えば、イト様は乃沙を救うことは出来ない。朱皇院を、乃沙を放念するくらいしか出来ない、と思う。たとえば、間引くとかで」
「成程な」
「神じゃない者……人、魔族同士で救いあわなきゃ」
参った、と言わんばかりにイトが背を湯船に預ける。
『神は、人も魔族も手ずから救うことは出来ない。だから自分の心を見つめ、為すべきことを為せ』。
それが、現人神イトの教義だった。
それは放念のための呪歌ではなく、自らの足で立つための賛歌。
「だから深入りする。乃沙も神官にしよう。乃沙にも、自分の心に向き合わせよう」
「……」
「それは私が心に決めて、やろうと思っている事だよ」
「かかっ、我の負けのようじゃ」
ただツクミの話を聞いていたイトは、小さく笑う。
小娘と思っていた少女が、いつの間にか成長していたことを確信する。
「お主、いつの間にそんな良い女になった」
「だって魔王になるかもしれないもん。その時は、私の身体ももっと発育してるはず。子ども扱いさせない。いっぱい鼻血出してもらう」
「神すら悩殺する魔性の女か。お主ならイザナミを超える死線の華となるかもしれぬのう」
さっきから裸で密着しているのに、僅かにでも狼狽えてくれないイトに「むう」と頬を膨らませる。神はこの辺の守備範囲も人知を超えているようだ。
とイトを悩殺できた(のかは知らないけど)日本の女神たちに嫉妬していると、再び禍津神の顔付きに戻っていたのを感じた。
「だが、これはやはり我がケジメを着けねばならぬ。我の教義と相違っていても。朱皇院と歩んできた2000年とは、ちと長すぎた」
この辺りは口だけじゃなく、ツクミが積極的にアプローチするしかない。
相手は神様とか言ってる場合じゃない。神だろうが必死にしがみ付く。
神官になるとは、巫女になるとはきっとそういう事だと思う。
(でも、そういえばイト様の事、全然知らない……)
ふと、自分の欠点を自覚した。
乃沙と比べてあまりに無さすぎるのだ。
イトが日本で2000年間、朱皇院と共にどんな禍津神であったのかを。
きっとそれを知らなければ、イトの神官としてはあまりに不利すぎる。
(知りたい。もっと、イト様の事……)
でもその為には、ツクミも一度日本なる異世界に行かなければならない。
あるいは、イトの2000年間を見てきた神——友か、あるいは宿敵のような神と話す必要がある。
でもどうやって?
『イトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!』
風呂中に、見ず知らずの大声量が反響する。
否、この音はロックドア中に響いている。
「え? イト様、これ何の——」
『やあやあ我こそは日本神話の三貴子が一柱、
鶴の一声ならぬ神の一声。
世界中のどこに居ようと、地下何万メートルに潜っていようと多分届く。
スサノオ。それがこの声の主らしい。
しかし、この世界の神ではない。
だって『日本神話の三貴子が一柱』と言っていたのだから。
「……かかっ。かかかっ」
震えがツクヨミにも伝わった。
イトが、震えている。
武者震いと呼ばれる類だろう。
「まさか世界を超えてこようとは……」
「イト様?」
「すまぬなツクミ。少し急用が出来た。今から腐れ縁の神を間引いてくる」
イトから線が伸びて、浴場の天井が破壊された。なんと夜空広がる屋根まで繋がってしまった。
喜びに沸く、イトの悪い顔。
素のイトが、ここにいた。
直後、イトは跳んで屋上へ行ってしまった。
流石にツクミも急いで服を着て、濡れた髪のまま屋上へ飛ぶ。
その月下には、神が一体浮かんでいた。
天上界で見た怠惰なオネスト神達とは違う。遠くに見える影のみで、戦そのものが和服を着て浮かんでいるような印象を受けた。
和服と雷のような神性。肩に担ぐ剣は明らかに崇高な神器の類。灰色の逆立った髪は彼の闘争本能を示している。
イトは真っ裸のまま、その神を見上げ。
愛しき家族のように、生き生きとした顔で叫び返す。
「スサノオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「イトおおおおおおおおおおおおおお、そこにおったかああああああ!!!」
声が、既に暴力だ。
ロックドア領全てに響くほどの雄叫びで、彼らは殴り合っている。
「スサノオ、お主!! 神の敷地に踏み入りよってからに!!! というか一人かうつけ!! 武神百万体と三貴子とイザナギがいてこそ我を倒せたというのに!! 間引かれ、二貴子になる旨アマテラス達に伝えてきたんだろうな!! 日本に骨を持って行くことはせぬぞ!!!」
「ここであったが百年目、いや二千年目!! 常世の国がどうした!! 異世界がどうした!! 俺が一人だろうと構うものか!! お前は俺を殺し、俺はお前を斬る縁に変わりはない!! ここで決着をつけてやる!!!」
まず、ツクミもどこから突っ込めばいいのか分からなかった。
イトは屋外で真っ裸で仁王立ちしているし(イトにその手の羞恥心が無いのは周知の事実だが)。
イトとスサノオは互いに殺し合う宣言してるし。
殺し合いを始める割には、イトはこれまで見た事のない笑顔をしているし。
ただ、ツクミは何となくわかった。
スサノオという神は、イトの宿敵でありながら、友でもある、と。
「あ、いた」
つまりツクミが知りたいイトの2000年間を、あのスサノオは知っている。
わからないことは、スサノオに聞けばいい。
────────────
お読みいただきありがとうございます!
作品を気に入っていただけましたら、☆を入れて応援していただけますと大変励みになります!よろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます