第40話 禍津神、愛しき神の復活を見る。
一ヶ月。
ロックドア新当主ジバールは、傷跡のこるロックドアを立て直しつつあった。
新第18騎士団団長ステラは、パズス派である残党を基本、改心させてきた。
若き二人だけに任せていられず、各地の有力者たちも尽力した。
そうして活気を取り戻した領民達が今日集まったのは、エミシだった。
世にも珍しいエミシの酒蔵が、今日開放された。
「なんだこれ……」
「
茶の杉玉がぶらさがった酒造の門を潜ると、初見の酒蔵にみな驚愕する。
清潔なシートの上に敷かれた、酒造好適米。
厚手の布によって覆われた、人より巨大な蒸篭【
米が発酵し、澄んだ液体を濾過し、貯蔵する工程。
未だ慣れない職人たちの、必死な汗。
そして完成品たる、瓶に注がれる、揺れる日本酒。
「本当はちゃんとした日本酒を飲ませたかったんだがな」
「やむを得ぬ。それに、金も取らぬ試飲会の方が、敷居が低かろう」
ちびちびと甘酒を飲むツクミの隣で、イトとアマスが腕組をして、日本酒見学に来た人々を見つめる。
「だが酒蔵が出来ても、日本酒は完成せぬ。酒造りには経験豊富な職人が必要ぞ。そして、米と水以外があまりに足らぬ」
日本酒には米と水だけがあれば良いというものではない。
米を酒へと変身させる味の要、
それもアマス管理の下、研究が進められている。イトの助言があるとはいえ、『何の麹が美味しいか』という問ばかりは、人間達が見つけるしかない。
「だがおたくの
「左様だ。失敗の体積の果てに、日本酒を始めとした文化がある。それは日本に限った話では無い。どの世界でも共通する事ぞ」
「ふっ。それに」
日本酒を口に含み、不可思議な味へ驚愕した客人が増えた。
それを見て、アマスは笑みを浮かべた。
「一応は飲めるくらいにはなっている」
「かかっ。毒で無ければよい。言っておくが、衛生には気をつけよ。我は案外潔癖なるぞ?」
「ああ。エミシはここから再スタートだ」
現人神と平然と話すアマス。一か月前は危篤状態だったのに、今となってはすっかり元気だ。
そんな背中を、じっと見つめていた少年少女がいた。
少女ステラに背中を押され、少年ジバールがアマスへ近づく。
「アマス……さん」
「おう。パズスの倅。いや、その呼び方はもう相応しくないな、ジバール当主」
イトに促されるでもなく、イトの代弁をするでもなく、イトの操り人形になるでもなく。
真正面からアマスへ話す。
「一ヶ月、当主をしてみました。正直、パズスの残した爪痕は大きくて、すぐに立ち直れないっす……」
「それが生活というものだ。一度崩れると脆い」
「でも、取り戻したい。次世代の子供たちが無邪気に遊べるような、そんな領地にしたい」
イトは、ジバールの横顔を眺める。
今も、イトにへりくだった態度を取ったりする。だが、イトを忘れて業務に没頭している男の顔を見るのは、神の本懐だったりする。
本来、神とは忘れられているべき存在だからだ。岩礁に乗り上げた時だけ、神という一番星が顔を出せばよい。
今、ジバールは自分の一番星に進んでいる。これは、その一歩だ。
「アマスさん。どうか、ロックドアの再建に力を貸してもらえませんか」
「……ようやく自分の言葉で言えるようになったじゃねえか」
しかし、アマスは首を横に振った。
「悪いな。だが、俺はやはりこのエミシからは動けない」
「……そう、すか」
「だが、このエミシの村長として、協力する。それでどうだ?」
「はい。よろしくお願いします」
すっと、頭を下げる。
パズスの反省を活かし、各地の代表者が議論する議会制をロックドアは取り始めた。だからこそ、エミシの村長としてアマスは政治に参加できる。
「ところでステラ。お前、現人神の神官になったんだな」
どこか揶揄う様に、アマスは娘のステラを見る。
「いや、べ、べべ、別に……」
「神官にして騎士だ。普段はツクミと巫女をやって、非常時は新第18騎士団の新団長ぞ。ま、我の親衛隊……いや、神衛隊といったところか。もっと胸を張れば良いのに。オネストなど軽々と蹴落とす美貌が台無しぞ」
イトのにんまりした顔に、思わず目を逸らす。
旧第18騎士団と
そしてイトと向き合う。イトに敵対宣言をしたような精悍な顔つきで。
「でも、私にとっての一番の神様は、マナ様だよ。消えたとしても」
「かかっ。それで良い」
酒蔵【マナ酒造】のエンブレムを見上げながら、イトは続ける。
「だから、マナ様がまた参りたくなる世界を作るために、いつも自分の心を見つめることした。それが現人神の教えでしょ」
「ああ。お主の頑張りは、我が良く見ておる。このロックドアから始め、弱者の虐げられない世界に変えてみせよ」
次々に甘酒を味わうツクミが、首をかしげて二人を見る。
「でも、昨日もステラとジバール、喧嘩してた」
「ほう。元気なのは良い事じゃ」
「いやイト様待ってくださいよ、それはこのステラが!」
「ジバールがちゃんと書類を書けばよかっただけの話でしょ!?」
まるで、学生時代の再現の如く、二人の喧嘩はロックドア名物の一部となっている。
言い換えれば、かつて横顔しか見ることが出来なかった二人は。
大人になり初めて、真正面からぶつかり合えるようになった。
「それにしても、ここはマナ様が祀られてた祠があった場所だよね」
「祠は残してあるぞ」
ステラが問うと、アマスが目線を他方に向ける。
そこには簡素な作りの、木の祠があった。米や野菜が供えられている。
「この酒蔵は【マナ酒造】……豊穣の神マナが、豊穣の祝福に人々に酒を与えた――という
「けど、マナは……んーっ!! んーっ!!」
「お主はまだコミュニケーションとやらの勉強が必要ぞ」
ジバールが口を挟もうとすると、イトの線でお口チャックされた。
たまにこうやって空気が読めず、イトの反感を買う。
「そうだ。マナはもういない。こんなのは俺とステラの自己満足だ」
「でも、いるって思っちゃうのよ。私と父さんには、どうしてもね」
淋しい目で祠を見つめる、二人。
彼女たちは、崇める神を失った。常に隣にいた家族を失った。
あれから一ヶ月。哀しみはゆっくり寛解していく。だが時折、氷のように冷たくなって、二人の心を包む。
「あきらめるのは早いぞ。アマス、ステラ」
二人の後ろ姿に、イトはかかっ、と笑う。
そして目を瞑り、感じた。
「あぁ、やはりな……そろそろか」
「何を……?」
言葉の意味をステラが聞こうとしたところで、柔らかい風が一同を包む。
イトの次に気付いたのは、ツクミだった。
遅れてステラ、アマスも見上げる。
葉が、舞っていた。
不規則に踊り、球体を成していた。
まるでその
「マナ……?」
ステラもアマスも、我を忘れてただ見つめる。
太郎に滅ぼされたはずのマナが、祠の上に鎮座していたからだ。
「マナ様が、復活した……? でも、イト様。神様も生き返らないって」
それを裏付けるように、無心でマナに触れていたアマスとステラが、何かを悟ったように頷いた。
「……分かる。私たちの知ってる、マナじゃない」
「左様だ。神は生き返らぬ。それは【代替わり】した、次のマナだ」
「代替わり……?」
「要は、二代目ぞ」
最初からすべてを知っていたイトはただ一人、確信した様子で腕組をする。
「すべての神が代替わり出来るとは限らぬ。だがマナなら何となく……とは思っておった」
「どうして言ってくれなかったの?」
「代替わりを自覚してしまえば、信仰に支障が出る。神が消えようが、純粋に信仰すること。それが代替わりの最低条件だからのう」
そのマナには、かつてはこの
ステラという娘と喧嘩し、出ていかれてしまった記憶も無い。
アマスという長年の信者が、生涯慕い続けた記憶も無い。
ツクミという
「確かに、これは我々の知るマナではない。だが、それでもマナだ」
「なら、かける言葉は決まってるよね」
だが、それでも構わないと、アマスとステラは笑う。
また遊んでほしいと、ツクミが手を伸ばす。
「おかえり、マナ。このエミシは、これから面白いことになるよ
祠の近くには、立札が置いてあった。
酒蔵の起源を紹介する、とある神話である。
『豊穣の神マナが、豊穣の祝福に人々に酒を与えた。そして主神であるイトと、畑を耕した人々と共に、朝から晩まで飲み明かし、楽しい祭りを繰り広げた』
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ロックドアの屋敷に戻ってから、何かを思い出したように、ツクミがイトへと尋ねた。
「それで、イト様。そろそろ教えてほしい」
参拝客を見下ろすことが日課のイトは、屋敷の上で聞く。
「
実は一ヶ月ほど、その質問を濁してきた。
「……」
「ねえ、どうしてその質問だけ、答えてくれないの」
らしくない、とは思う。
しかし事ここに至って、イトは沈黙を貫こうとした。
その時だった。
「イト様!! 大変よ、戦神コンチネントの封印が解けそうなんだって!!」
ステラの大声。
流石にツクミも無視できず、質問を放棄してステラの下まで駆けつけようとした時だった。
「——そもそも、ずっと疑問に持っておった」
「え?」
「お主に出会うまで信仰が零だった我が、万全ではないとはいえ何故この世界で神威を解放出来たのか」
イトは立ち上がる。
半日前、マナの復活を感じ取ったように。
新しい風を、また感じ取ったらしい。
「行くぞ。続きは、往生際の悪い戦神を
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