第33話 現当主、参る
少なくとも部屋を出た理由はパズスと袂を分かつためだった。
馬車を用意させたのだって、その意志の下だ。
だが馬車に乗って。街が遠くなって。
パズスとの合流地点が近くなるのに比例して、恐怖心が増大する。
手のひらを返さざるを得ない程。
(俺、この期に及んでも)
一人、震える。
馬車の揺れよりも、震える。
イトと初めて会って、怖気づいた時と同じように震えている。
(死にたくねえって、思っちまってる)
パズスの人となりは分かっていた筈だ。あの男は息子のジバールさえ、他人と同じように扱う。
ジバールが裏切ったと分かれば、即殺しにかかるだろう。
ただ、ジバールの成果が自分の成果になるから。
息子の名誉は、父親の名誉になるから。
手元に置いていただけに過ぎない。
「あ」
気付けば馬車から降りて、夜道を歩いていた。
月だけを頼りに、前に進む。
あったのは、郊外には似つかわしくない屋敷。この近くに絶景スポットがあるが、それを独り占めにしたいという理由で、パズスが建てたものだ。
「——今日は調子いいな」
庭の方から聞きなれた父の声。
強張る足が勝手に動く。糸に繋がれているようだ。
たどり着いた先では、パズスが磔になった男性でダーツをしていた。
「よく来たな。ジバールよ」
「……父上」
パズスは一瞥もしない。その冷淡さも、幼き頃からジバールへ恐怖を植え付けていた。
息子の目の前で、見知らぬ人間目掛けて矢を投げる。
既に男は死んでいた。目に突き刺さっても無反応だった。
「おっ。
「父上、その人は……?」
「ああ。さっき近くですれ違ったから、気分も良かったしダーツの的にした」
最早動機らしき所がどこにも見当たらない。
パズスは、有機物と無機物の見分けがついていない。
改めてジバールは思う。こんな怪物を相手にするつもりだったのか、と。
「で? その剣はなんだ? 父に会うのにそんなものがいるのか」
「あ、いや……」
ジバールは慌てて剣を下に置いた。
「道中、護身用に……」
「まあいい。俺もこうして矢を持ち歩いている訳だしな。この世は金が欲しいなんて短絡的な理由で人を殺す野蛮人がうようよいる。自己防衛はしなければな」
と言いながら、ダーツがしたいという理由で人を殺してるパズスは、再度ダーツを投げる。鼻の穴にささり「あっ、最高点」とご満悦する。
そんなジバールの近くで、庭を照らす灯りは新たな人物を照らす。
甲冑やローブを纏った、胡乱な気配を纏った20人の集団。
ジバールも知っている。パズスが護身用に持ち歩いている親衛隊たる騎士達。
金と権力で用意した凄腕揃い。その誰もが王立魔術学院をぶっちぎりの首席で卒業できるような手練ればかりだった。
「この場所は俺とお前しか知らん。仮に襲撃されたとしても、こいつらが掃除してくれる。なんなら俺がダーツをする」
厄介なのはパズスもまた、この親衛隊に負けず劣らずの強者という点だ。
今、街で構えている第18騎士団や
「ま、一緒にここから一望しようぜ。別動隊が街を燃やす様子を」
「……別動隊……?」
「そうだ。勇者もそこに紛れている。ロックドアの穀潰しどもに勝ち目はない――だが念のためだ。反逆者たちがどういう布陣を敷いているのか。その情報が欲しい。なあ、ジバール。父上に、話してくれるよな?」
「……」
「俺はお前が大好きだ。お前も俺が大好きだ。だからお前は俺の次に当主に成るべきだし、俺はそれまで当主の座を温めておく。お前は、そのためだけに生きてきた」
「……それは」
致死量の飴と、致死級の鞭を使い分けるジバールの顔が、すぐそこまで来た。
「父上の言うことは、絶対だよな?」
まるで巨大な蛇が、後ろで顎を開けているような感覚。
淡白な父の顔からふと蘇る、昔の記憶。
暇つぶしに誰かを殺してきた血塗れの父。
その矢の先端を、何度もジバールに付きつけてきた。
もし逆らえば次は自分だ。だが逆らわなければ、ロックドアの傘に守られて生きていける。
恐怖。
恐怖。恐怖。
視界一面、恐怖の夜闇。
今回もまた、硬直するジバールに矢の先端を突き付ける。
痛い。刺さってなくても、冷たくて、血塗れで、痛い。
見極める気だ。ジバールが裏切っていたら、何のためらいもなく殺すつもりだろう。
(死にたくない)
それは、いやだ。
「わ、わかった、はなす」
と震える声で言うと、パズスは「よしよし」と矢を死体へ投げる。
「話せ話せ。父に話せ。そしてゴミが焼け、綺麗になったロックドアへ帰ろう。帰ったら現当主として、殺ることがたくさんだなー、はっはっは」
父の高笑いを耳に、ジバールは俯く。
(ま、いいだろ)
眠そうな眼で、下を向く。
(そうだ。全部話しちまおう。やっぱ、帰ろう)
笑った。小さく笑った。自分を小ばかにして、笑った。
(本当、なんでこんなバカみたいな事をしてんだ、俺は。なんで。なんで。なんで)
笑った。
笑っても、パズスに着くつもりになっても、消えなかった。
死への恐怖と同じく、胸に居れた【金魚すくいの網】が。
『ジバールさま、ありがとう』
もう二度と、あの笑顔は見れない。
このままパズスに着いていったら、あの笑顔は見れない。
記憶の宝箱からさえ、手つなぐ子供二人の背中は消えてしまう。
(やめてくれ。俺は、そもそも当主なんかじゃない。そんなに強くない。ズルして主席を取るような男だ)
『お主の心を見つめ、為すべきことを為せ』
(出来るわけないだろう。そんな事。俺はアンタみたいに、神様でも、強くも無いんだよ)
心の中に、イトが現れた。
そのイトが問う。
『お主が目指す当主とはなんだ』
自分の目指す当主とは。
あの父のような怪物なんかでは決してなく。
ただ、本当は、笑顔がいっぱい見たくて――。
「えっ?」
僅かに急所から外れた。そこはパズスも歴戦の戦士としての勘があった。
だがあまりにも、パズスも不意を突かれるほどに意外だった。
ジバールが、後ろからパズスを刺すなんて。
「ぐああっ!?」
パズスに力任せに吹き飛ばされる。
距離を取った形になったパズスは、すっかり敵意の中心にいた。
(死にたくない。死にたくない。死にたくない、でも)
そんな恐怖の体積さえ、口は閉ざせなかった。
「——お、お、俺が現当主だ」
低い声で、威圧的にジバールは続ける。
もう止まらない。もう止まれない。
「親衛隊!! 当主の名において命令する!! お前たちにまだロックドア領民としての誇りがあるなら、あるいはワン王国を背負う騎士としての意地があるなら、そこのパズスを捕らえろ!!」
「……ふっ」
親衛隊の一人が笑ったのを皮切りに、乾いた笑いが夜闇に木霊した。
その中心で、赤くなった腰に手をやりながら、忌々しそうにジバールを睨む。
「最初から信用していなかったよ。だがここまで馬鹿とは思わなんだ」
「そうだ。俺は馬鹿だ。俺はクズだ」
そう言いながら、未だ死の恐怖に怯え、血走った眼のままジバールはふらりと近づく。剣を携えたまま。
対してパズスが用意した親衛隊は、はっきり言って王国随一の連中である。
仮に1人だったとして、ジバールに勝てる道理は無い。
「では私が其方の息子を始末しよう」
「息子ではない。あれは知らぬ子供だ。跡継ぎなら代えの女どもに生ませればよい」
自分以外の全ては消耗品。
自分だけが、かけがえの無い特別。
その信条は、神だろうが子供だろうが例外ではない。
目前のフードを被った男が、右手に強烈な空気の渦を出現させる。
それを投げた途端、木々や石壁さえも斬り崩す鎌鼬の竜巻が完成した。
「タイクーンタイフーン」
それを受けて、ジバールが血塗れになる。死んでもおかしくない重傷をいきなり負う。
だがすべてが終わって、気づけば男の前に立っていた。
「なっ」
「だけど、俺は――」
その剣閃は、生涯における最高の冴えを見せていた。
真っ二つになった男から、乾いた血が夜にばら撒かれる。
(死にたくない、でも俺は――)
はっきりいって、この戦いに勝ち目はない。
だが死にたくないと、死んでもいいは両立する。
そんな法則も知らないまま、父親へジバールはついに剣を向けた。
「——ロックドア第12代当主、ジバール・フォン=ロックドア……参る」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます