第32話 禍津神、喧嘩を見守る
「あれ? イト様。ステラとジバールの話を聞かないの?」
「何でもかんでも神が介入したら、ここは神の国になってしまう。それではアマスが起きても、ロックドアに戻ろうと思ってくれぬ」
鳥居を潜る参拝者たちを、イトは屋敷の屋根から眺めていた。ツクミはどうも鼻が利くようで、イトがどこにいるか直ぐに当ててしまう。
今、屋敷の中ではジバールとステラが話している事だろう。だがそんなものには興味が無いと言わんばかりに、風で涼んでいた。
「この度の戦いもそうだ。現人神の我は、そこまで介入してはならぬのだ」
と言ったうえで、深くため息をつく。
「しかし、向こうに神がいるのならば話は別だがな」
「戦神コンチネント、だね」
「それに、パズス。奴は人から逸脱しておる。あの男の処遇は人の手にゆだねたいが、どうしてもという時は……」
「イト様。間引くとき、哀しい顔になる」
「……ほう?」
「ミーダスの時も、【
特に悲しくもなさそうに口を真一文字に結んだイトが、隣のツクミを見る。
『どっちが哀しい顔をしているのだ』と言いたくなるような憂う顔だった。
「イト様は、どうして前の世界では、禍津神だったの?」
「さあのう。目覚めた時は、既にそういう存在だった」
「じゃあずっと哀しかったんだね」
「そうでもない。愉しい時もあったぞ? スサノオという益荒男な神と一万回は死合ったが、いつ死んでも構わぬ程に猛っていた。安倍晴明という神に匹敵する陰陽師の奇跡は百万回見ても飽きなかった。酒吞童子という妖とは無限の酒を飲んでも足りなかった……それはこの異世界に来ても同じじゃ。哀しみを喰らう愉しみなど、路傍の石の如く幾らでも転がっておる。人間は、ちょっとせっかちじゃから、それを見逃してしまうがな」
たん、とツクミの肩を叩く。
思えば一番隣にいるのは、いつもツクミだ。
イトとしても、このツクミの哀しい顔は一番見たくない。
だから、かかっ、と笑う。
「間引きは我の判断でやる事よ。明日の楽しみの為にな。お主は心配しなくても良い」
「うん。分かった」
「ではツクミよ。第18騎士団の臨時団長のところにいって、進軍を開始してもらえ」
「え? 【蜘蛛の巣】にパズスが、かかったの?」
にやり、とイトが笑って頷く。
「かかったのは、昨日だ」
「え?」
「かかったのは一人分。そやつは、上手く紛れてジバールのところへ行った」
「なんで、何も言わなかったの?」
「大体想像が着いたし、ジバールの選択が見たかったからだ」
きっとあの二人が喧嘩をしている窓を、屋根の上から見下ろすイト。
「パズスからの寝返りを要請する手紙を受け取ったジバールが、どう動くのか、がな」
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「病室の花瓶変えてたの、あなただったのね。ジバール」
「なんのことだ?」
執務室。当主の椅子に座っていたジバールは、ずっと夕日の方を眺めていた。
振り向いてもらおうなどと思わず、ただステラはジバールの後ろ姿を見つめていた。
「あなたは変わってなかった。昔から、そんな感じで素直じゃなかった」
「変わったさ。少なくとも、努力なんてものに頼らなくなった」
「そこが素直じゃないのよ。大けがするまで自分で抱えたまま、ってのがジバールお得意のパターンでしょ。昔、私を倒すために【爆弾魔術】なんてもの作ったでしょ」
「そんな事もあったな」
「でも、私との決闘の前で爆発して、それを隠して戦いに挑んで、始まる前に怪我で倒れて……懐かしいね」
「……昔話をしに来たんなら帰ってくれよ。当主は忙しいんだ」
ジバールはステラの方を振り返らない。
ずっと、目線をあわせない。
偉そうにふんぞり返る。実際そこも、昔と変わらなかった。
「変わらなかったのは、私もだった」
居たたまれない顔になりながらステラ。
「何一つ子供のまま、制御できない怒りでいっぱいになって、真実を見ようとしなった」
「はっ、なんだよ急にしおらしくなっちまって」
二人きりの執務室に、引き笑いが響く。
「俺が賄賂の恩恵をありがたく受け取って、主席卒業したことに何故お前が詫びる必要があるんだ?」
「……ごめん。今更だけど。でも、あなたはそんなのに頼る人間じゃ――」
「——頼る人間だよ」
ステラの言葉を打ち切り、ジバールが続ける。
「ロックドアの当主に相応しい人間になるため、俺はお前から主席の座を奪った。実力じゃ叶わないからな」
「ジバール……」
「ステラ、俺は……兄を殺した」
えっ、と。
短い驚愕の後、少しだけ沈黙が流れる。
「毒を盛った。そして兄は、死んだ。俺が当主になるために」
「なんてことを……」
「俺は……俺は、実力で勝てなかったお前を、血で勝てなかった兄を滅茶苦茶にした。当然の権利だ。俺は、当主になるべき男だからな。ずっと、それだけの為に生きてきた男だ――だから!!」
思いっきりイトが振り返る。
切羽詰まった顔で、噛み痕が残る唇で、泣き腫らした目で。
その勢いで、今は亡き子供が使っていた金魚すくいの網も、よくわからない手紙机から落ちた。
ジバールに何があった?
それを聞く前に、ジバールに先制された。
「だから、だからよ……」
願うように。
祈るように。
いつもの陽気な笑みを、薄っぺらい仮面にして。
「軽蔑してくれよ。軽蔑したお前でいてくれよ。こんな奴なんだよ……神に怯え、父に怯え、お前に怯え。ずっと怯えてるだけの男なんだよ俺は」
「ジバール……?」
「俺を嫌いなままでいてくれよ。俺を憎いままでいてくれよ。お前は、何も変わらなくていい」
「……」
「俺を殺しに来たんだろう? エミシを襲ったのは、父上の手引きらしいからな。お前の愛する神を殺したのは、お前の親父を昏睡たらしめたのは、ロックドア家の力だからな……!!」
必死に言い訳するようなジバールを、最初は確かに殺すつもりだった。
だから腰に剣を差したままだった。
「……そのつもりは」
「まだ死にたくない」
「いや、私は」
「まだ、まだ、死ぬわけにはいかない」
命乞いだと思った。
でも、命乞いではなかった。
まだ?
ノック音。
ジバールがドアへ近づく。
すれ違いざまに、ジバールは耳元で囁く。
「当主がお前なら、きっとあの子たちを死なさずに済んだ。だから、お前が―
―」
「え?」
「さあ行け!! 話は終わりだ、俺は忙しいんだ!!」
無理やり背をおされ、廊下に追い出される。居合わせた【
そして聖職者を中に招き入れると、ステラが入ってくる前に強く扉を閉めた。
無機質な扉の音が、ステラを凍り付かせた。
「……ジバール」
それからしばらくして、再度ジバールの部屋を訪れた。
しかし、ジバールは居なかった。
「……ん?」
机の上に、何やら指示口調が置いてあった。
悪いと思いながらも読んでみる。
——要約:息子よ。こちらに寝返れ。今日、ロックドアを掃除する。
「これって……」
だが、同時に机の上から――否、部屋からあるものが無くなっていることに気付いた。
現人神誕生祭であった金魚すくい用の、網。
しかも、血塗れの網。
あともう一つ。
もう一つだけ、無くなっていたものがあった。
『まだ、まだ、死ぬわけにはいかない』
『きっとあの子たちを死なさずに済んだ』
反芻するは、先程の台詞と。
もう、当主に執着の無くなった、乾いた顔。
その意味を、ステラだけが理解していた。
『だからお前が、次の当主だ』
剣が一個無くなった、この部屋で。
「死ぬ気なの?」
そして、窓の外に垣間見えたのは、馬車。
ステラの視力なら見える。馬車にはジバールが乗っている。
行く先は、パズスとの合流地点。
「……終わってないわよ。話」
窓を蹴破り、ステラが飛び降りる。
馬車に匹敵する異常な速度で、ステラが夜闇を追いかけた。
その二者二様の様子を、イトはずっと見守っていた。
「さて、我も行くか。ツクミも準備はできたようだし」
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