第31話 禍津神、曰くそれは土下座ではない
ずっと、マナが消えた悪夢を見続けていた。
いつもの、夕暮れの景色。
その中心に、神が立っていた。
戦神の贔屓を受けた、異世界人が立っていた。
「あ、あ……」
自慢の魔術も全て打ち砕かれ、剣は根元から折れた。
愛しき神を消された怒りと、傍で倒れている父への憂いだけが、何とか彼女を立たせていた。
でも、それがステラには精一杯だった。
「やれる。俺はやれた。見ろ、俺はやったんだ。このまま異世界で成り上がってやらあ」
「行っちゃお、太郎。あと人殺しまでいかなかったのは偉かったぞ!」
あの【太郎】という、戦神コンチネントが憑依した異世界人は笑いながら去っていった。隣の茜色の髪をした少女も、つられて笑う。確か【灰子】と言われていた気がする。物凄い力を発揮していた。
金魚のフンみたいについていく、白髪の【悟】もずっと無言で薄ら笑みを浮かべていた。しかし彼の魔術は、全てステラを凌駕していた。
そんな化け物が三人……いや、勇者はもう一人いたはずだが。
もう一人……。
いや、もう一神。太郎の陽炎から映る影。
戦神コンチネントは、全て自分の掌で躍らせているような満足感を顔に浮かばせていた。
あれは、神がする顔じゃない。
オネスト教に有るまじき顔だ。
それを見て、自分の信仰が、拠り所にしていた何かが、根本から崩れる音がした。
「私が、願っていたものは、縋っていたものは、何だったんだろう」
傷口が痛む。動けない。
村にはこんな傷を癒す医者なんて一人もいない。
ましてやアマスは確実な致命傷を負っている。もう死んでるかもしれない。
「——間に合わなかった……」
「……?」
暫く死を待っていると、隣に少女が蹲っているのが見えた。
勇者と似た服を着ている。黒のおかっぱに、赤い眼鏡。
風貌はあどけない。10歳くらいか。
だがその落ち着いた雰囲気は、自分より年上に見えた。
背中に何か背負っていた。自分の体よりも大きい、瓢箪にも似た、黒くて硬い鞄。
何故か、彼女が両手から放つ光は、自分の傷を癒していた。
回復魔術だろうか。こんなレベルのそれは見たことがない。
よく見れば、アマスも致命傷は塞がっていた。それでも予断を許さない顔色だが。
「応急処置ではここまでです。すみません、あなたの神については、間に合いませんでした」
「あな、たは……?」
「
それからノサにアマスごと担がれると同時、意識を失った。
目覚めたのは一日後。ロックドア中心街の診療所にいた。
……ご放念を?
お見知りおきを、ではなく?
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ロックドアに運ばれて四日目。
今日も、病室の花瓶は植え替えられていた。
父であるアマスは、未だ眠っていた。傷は癒えたが、それでも体のダメージは著しい。老齢という事もあり、予断を許さない。
「……ぐっ」
ステラも一度は重傷を負った身。
歩くだけでも一苦労だった。
だが、執念でベットから足を降ろす。
不条理に晒された、怒りで。
(どうして……どうして、マナ様が殺されなければ、父が傷つかねばならなかった……)
語ったのは戦神コンチネントだろうか、あるいは勇者【太郎】だろうか。
どちらだったかはもう覚えてないが、彼らは言った。
『反逆に加担し、清純なるロックドアの土地を奪い、堕ちた神に存在する由無し。故に英雄パズスの手へ返すために――』
全部建前だ。神は自らを偽った。それはもう嫌でも分かる。
だからこそ、ステラの怒りと失望は収まる気配がない。
そして、パズスが裏で糸を引いているに違いない。
(またロックドア家は……ロックドア家は、私の全てを奪うっていうの……)
それなら、向かう先はただ一つだ。
ロックドアと決着をつける。
ジバールと、決着をつける――。
「……!?」
外に出てみると、ロックドア中心街は異様なムードに包まれていた。
「これは……」
エミシと時同じくして、虐殺事件が起こった事はステラも聞いている。意気消沈している筈だ、というのがステラの予想だった。
だが予想に反して活気が凄まじい。パズスを共通敵としている事は分かるが、普通の人間も、聖職者も、パズスに靡かなかった貴族も、そして魔族さえも一致団結している。
イトを主神に、団結している。
「あれは、第18騎士団……!?
どうやら彼らが対パズスの最前線に立つつもりらしい。
恐怖感と罪悪感が彼らを包み込んでいることも理解できる。恐らくイトの仕業だろう。
信用できるの、とステラは呟いた。実際すれ違う人々の中には、この二組織には嫌悪の眼差しを向ける者もいた。
「……」
だが、自分では出来なかったことは確かだ。
自分がロックドアに働きかけても。
こんな風にならなかったのに――。
「ステラさん!! 怪我は大丈夫なの!?」
「セリナ」
同じ宗派としてオネストを信奉していた
未だオネスト教の聖衣を纏う少女。
しかし、祈る矛先が天上界にない事は、察せてしまう。
「……そっか。セリナも……みんな現人神に、下ったんだね」
「まだ、イト様を完全に主として崇める事は出来ません。でも、オネスト様の事も……」
「いいのよ」
まだ迷えるだけ、セリナはマシだった。
もうステラは迷う事さえ出来なかった。
「神なんて、いなかった」
「……」
「オネスト様が、戦神コンチネント様を差し向けた真意は分からない。何故マナ様を滅ぼしたのかも。でも、もうどんな真意を聞いたって、私はきっと納得できない」
「——そこが我も疑問じゃ」
神の声。
しかし天からではなく、隣からだった。
「現人神……」
「オネストの目下最大の目的は我を仆すことぞ。確かに我と関りがあったとはいえ、マナはオネストの従神である以上、エミシはオネストのフィールドじゃった。エミシで我とオネストが戦えば、オネストは優位に戦いを進められただろう。隣の中心街を聖域とする我を牽制したいのなら、そう簡単にマナを滅ぼしてはならぬ筈だ」
従神の喪失は、比例して主神の力の喪失に繋がる。
それはオネストも痛いほどわかっている筈だ、同じ神なら。
と、前置きした上でイトは続ける。
「今回攻めてきたのは戦神コンチネントだったな。しかし、あのオネストには我の恐怖を存分に与えた。戦神コンチネントは強い。我が邪魔した天上界にはおらんかったが、重要な戦力には違いない。それを小出しにするのは愚の骨頂たる戦略だが……本当にあのオネストが裏で糸を引いておるのかのう」
「……戦神コンチネント様が、独断で動いてるってこと……?」
疑問符を投げかけるステラに、わざとらしく両肩を竦めるイト。
「かもしれぬ」
「えっ」
「神の真意など、同じ神でも理解できぬからな。かかっ」
「……」
「マナの事は残念だった。アマスは、尊敬に値する男だ。回復を願っておる――何よりお主がこうして五体満足だったことは、不幸中の幸いだったと言えよう」
「どこが、幸いなの」
膝をつくステラ。
その表情は、回復したにも関わらず苦痛に満ちていた。
「……私は、ロックドア家を許せない」
「行く先はジバールのところか。行って、復讐でもするつもりか?」
「……」
それを聞いた時、確かに渦巻いていた怒りが矛先を失ったのを、ステラは感じた。そして、先程から何に怒っていたのか、ようやくわかった気がした。
「……確かにパズスへの怒りはあるわ。だから、ジバールも連鎖的に憎く感じていた。そう、自分に言い聞かせて、ここまで歩いてきたの。でも……」
蹲る。まるで土下座のように蹲る。
次第に、涙声が彼女の後頭部を震わせた。
「マナ様を、父さんを守れなかった私に、失望してる……!」
「左様か」
「いや、昔からそうだった……子供の頃から、権力に怒っていたのでは無い……ジバールの事だって、本当はわかってた……今回の件も、アイツが関わる訳が無いことも……」
思い起こすはずっと、見上げることしか出来なかった自分。
父を差す後ろ指を、見上げることしか出来なかった自分。
そしてマナを殺した勇者を、見上げることしか出来なかった自分。
「そうか、私は」
パズズでもジバールでも勇者でもなく。
「ずっと私に怒っていたのね……」
「かかっ。お主も気づいたか。自らの炎に」
現人神の笑い。だが嘲笑ではない。むしろ歓迎するような、前向きな声であった。
「……戻るわ」
「何故じゃ。ジバールの所に行くのだろう?」
「今はこう言ってるけど、アレと会ったら、私はまた怒りで我を失うかもしれない」
「大丈夫じゃ」
蹲ったままのステラに、イトも胡座をかいて同じ目線に座る。
「また怒りそうになったら、神を思い出せ」
「……あなたの事を、思い出すの?」
「我でも構わんし、お主にはおるじゃろ。子供の頃からずっと、母代わりであった、すごい神が」
「マナ……様」
再び泣きじゃくるステラ。その隣でセリナが寄り添う。彼女もまた、ステラの頑張りをずっと見てきた少女である。
「これは我の勘だが、今夜には事態は動く」
こうして、ステラとジバールはもう一度話すこととなる。ただし、4日前とは環境も心もあまりに違う。
「その前に、宗教も栄誉心も脱ぎ捨て、丸裸で話せ」
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