第30話 禍津神、星々の葬列の下、ロックドアを一致団結させる

 ロックドアとエミシの悲劇から、二日後の夜。

 【人間賛歌オンリー】を潰した直後から丸一日外出していたイトへ、ツクミは尋ねる。


「一昨日は【人間賛歌オンリー】を潰した後、どうしてたの?」

「ああ。この街と、ロックドア地方の周囲を走っておった」


 一瞬ツクミは思考が止まる。


「この街と……地方の周囲? 二重に、ってこと?」

「精々150里程度の周囲長じゃ。大したことはない」


 尺貫法とか知らないツクミは「150り……?」と首をかしげる。

 ちなみに150里はメートル換算すると約600kmである。

 フルマラソンの10倍以上の距離である。


「罠用のイトを地方と、この街の周囲に仕掛けてきた」

「罠?」

「神威解放【蜘蛛の巣】……まあ、鈴のような役割果たしておってのう。そこを通った者を感知する神術


 普段から体力を使う術故、あまり出したくない神術だがのう、と600kmを半日で走って尚、息が上がらないイトは言う。少なくともこれで、イトは他地方から入ってくる人間を感知できる。

 つまり、パズスやパズスの息がかかった者の侵入を、先に感知できるのだ。


 勿論【蜘蛛の巣】の対象は、パズスや勇者たちでなく、一般人も含まれる。

 何者かが通ったら、イトを通して伝わった情報で、イトが敵か無関係かを判断する。

 それもあって、体力を使う。


 ただ、【蜘蛛の巣】にはもう一つの使い道があるが――。


「まあ、止むを得ん。これ以上、パズスのような傲慢の化身に、我の信者を殺させはせぬ」

「うん。そうだね」


 窓の外を見ながら、淋しくツクミが頷く。

 エミシで滅ぼされた、マナの事を考えていたのだろう。


「神でありながら、お主とは良い友だったな」

「イト様。神って、生き返らないの?」

「生き返らぬ。神とて、そう都合の良いものではない。それは我も同じだ」


 ツクミも分かっていたうえで、敢えて聞いたようだ。

 物憂げな表情に変化はない。

 

「だが、――」


 ごぉ、と窓の外で巨大な火柱が立つ。

 屋敷から一望できる中央広場に、キャンプファイヤーの如く大木が重ねられていた。

 の準備は、出来ていた。


「ツクミ。大義であった。この地に火葬の独自文化が根付いていた事も幸運だったが、お主が神官として綱を握ってくれたからこそ、この短期間で準備が出来た」


 葬列に乗る棺には、【人間賛歌オンリー】に嬲り殺された犠牲者たちの躯が入っていた。イトの教えに従った、送葬の儀礼。それを聞いただけで、ここまで形に出来たツクミに感心していた。

 しかし、ツクミは首を横に振った。


「あれは、ジバールが手配したんだよ。私だけじゃ、駄目だった」


 窓の淵に手をやりながら、イトも深く息をつく。


「……そうか。奴にも礼を言わねばな」


=================


 嘆く者もいた。

 狼狽える者もいた。

 ……もう喋れぬ躯もいた。


 千差万別の思いで、井桁型に積まれた木々と、その最中で燃え上がる焔を見上げていた生存者は、皆一様に神を見た。

 その場に現れた、イトを見た。

 

「イト……様」


 救いを求める目。

 神は救わぬと言おうが、人は窮地で神を祈る。

 これは宗教ではなく、習性だ。

 その習性を利用して、宗教は生まれた。

 全員が同じ方向を見ることで、人は力を発揮する。

 日本も、西洋も、この異世界も、そうして社会は形成された。


「そこのお主」


 と指差したのは、子供を失い悲嘆に暮れていた母親だった。

 丁度、魔族と一緒に遊んでいた少年の母親だった。


「それほどに、子を愛しておったのだな」


 母親は、頷いた。それしか出来なかった。


「この母親の子は、ジダンという名前だった。世間の狭いイトに縛られず、魔族を友と受け入れ遊ぶ、優しい子であった。過日の祭でも、金魚すくいが楽しかったようだ」


 母親の手には、ジタンが救った金魚が泳ぐ、袋が握られていた。

 その金魚を取った少年の事を、イトは力説する。


「我は怒っている。その純粋無垢から、かけがえのない命を奪ったパズスを、我は現人神として許さん」


 握りしめる者。歯軋りする者。大きく見開く者。

 神の怒りを、自らの怒りとして一致団結する者達がいた。

 彼らは皆、中心で高く昇る炎に自分たちの怒りを投影する。


「だが、この炎は怒りではない。お主らの愛だ」


 その視線を読んでいたかのように、イトは諫める。


「躯を躯のまま晒さず、肉をロックドアの風と化し、骨をロックドアの地に埋める。結果彼らは風となり地となり、精霊となりてお主らの隣にいよう。火葬とは、解放の儀礼だ。この猛々しい炎は、決して怒りの化身ではない、生きた人間が愛の焔を持ち合わせたからこそ生まれた、お主らの愛の化身だ」


 いっそ巨大な提灯の如き、緋色の焔は影絵を揺らす。

 金魚の袋を抱きしめる、蹲る母親も。

 その母親のために祈る、オネスト教の聖衣を纏った修道女も。

 誰かを助けたいと願うパン屋の息子も。

 

「そこのお主」


 と指差したのは、居たたまれない顔で後ずさりしている男性だった。


「逃げようとしているな」

「いや、待ってください、俺は」

「構わぬ」


 言い訳がましそうな、ジバールのような顔つきをしていた男に、しかしジバールは優しく諭す。


「逃げても構わぬ」

「え……?」

「実際パズス派の貴族は、魔族の奴隷を置いて逃げ出したしな」


 すると、イトは一か所に集まっていた元奴隷の魔族達を見た。


「みんな逃げても構わぬ。我一人になっても戦うぞ。元々八百万の軍勢を相手にしたこともあったからな。ここは一番星。お主らの心の居場所ぞ。それを努々忘れず、全てが終わったら帰ってこい」


 魔族も大部分は人間の諍いに巻き込まれてたまるかと、逃げる準備をしていた。

 だが、その中心にいた犬耳の少年は――【人間賛歌オンリー】に殺された魔族の少女のものたる金魚すくいの網を握りしめていた。

 ツクミが肩を叩いても、親友を失った怒りは消えそうになかった。


 その少年にも、薄く笑いかけるイト。


「いやだ。俺も戦う」

「お主はパデルという名前だったな。何故戦う」

「……妹が、楽しいと言っていた場所だったから。そんなの、魔界にも無かった。それが妹を殺した奴らに取られるっていうんなら、死んでもいい」


 ツクミが首を横に振る。


「死んでもいいなんて、いっちゃ――」

「分かった。お主も来い」

「イト様」


 思わぬ反応に、ツクミが振り返る。


「そこで死んでもいいと、一歩を踏み出せる居場所なのだな」

「うん」

「私達も戦います」


 今度は修道女たちが手を挙げた。一週間前、ステラと一緒にイトへ宣戦布告をしたオネスト教の聖職者達だ。

 オネスト教という事もあって、周りから睨まれるも、イトが右手を挙げて制す。


「ステラさんが、オネスト様の勇者によって、心身深く傷つきました」

「お主はセリナだな。ステラに負けず劣らず、オネストを信仰しておるな」

「私は、まだイト様を神として認める事は出来ません――でも、あのステラさんに勇者を差し向けたオネスト様の考えも、もう理解出来ません。ましてや、勇者に【戦神コンチネント】を憑依させてまで排除しようとするなんて……」


 戦神コンチネント……、と辺りがざわつく。オネスト教の神話の中でも、オネストに次いで有名な神である。


「ステラさんは、オネスト様の教えに従い、いろんな人達を助けてきました。自分の身一つ犠牲して、権力者たちに立ち向かってきました。結果は実を結ばなかったことも多かった。それでも、確かに彼女に助けられた人がいたんです」


 先程まで非難していた何人かは【助けられた】心当たりがあるのか、目を逸らした。


「そのステラさんを切り捨てる様な神は、私たちが信じるオネスト様ではありません。あなたが踏み入った空で、オネスト様は死にました」

「……お主は、ちゃんとステラのやった事を見ておったのだな」

「はい。聖職者として、友人として。彼女が踏みにじられるのを放って逃げるくらいなら、ここで命を賭します」

「分かった。お主も来い」


 オネスト教の修道女セリナと、魔族パデル。

 隣り合った対極に、一瞬目線を向けるも、互いに戦わんと前を向く。


「俺達も……」

「私も」

「ワイも、この星の街、ロックドアを守りたいです」


 と、逃げるどころか、覚悟を完了した戦士達は輝く。

 まるで、何か見えないイトで繋がったかのような連帯感。

 どんな恐怖が相手だろうと、逃げ出さないように繋ぎ止められたイト


 そのイトで繋がった星達は、星座になる。

 ロックドアという、星座となる。


 その星座は、決して神術では成しえない。

 同じ方向を見るのは、いつだって繋がった人同士だ。

 美しい命の輝きを見て、神は頷く。


「分かった。全員来い。お主らの覚悟は受け取った」


 ロックドアの住民たちは、こうして一致団結をした。

 ずっと、恐怖で抑えつけてきたパズスから、ロックドアを取り戻すために。



 その後、火葬が始まった。

 とある母親が「かえってくるね」、と言った。

 焔の天井長い夜の向こうでは、雲一つない星空が星々の帰りを待っていた。



================


「人も魔族も、こんなに団結するなんて。イト様すごい」

「すごいのは人と、魔族だ。我は少し背中を見せ、そして押しただけぞ」


 いつしか屋根の上にいたイトとツクミは、パズスへの戦意を保ったまま焔を見上げる人間達を見下ろしていた。


「でも、本当に皆を戦わせるの?」

「ああ。しかし最前線で、ではない」

「え?」

「実際に戦うのは【第18騎士団】と【人間賛歌オンリー】ぞ」

「え!?」


 驚愕するツクミ。

 今は地下房に閉じ込められている第18騎士団と人間賛歌オンリーは、確かにこのロックドアにおいて、重要な戦力だ。

 だがミーダスも重鎮も消えたとはいえ、パズスに傅き、住民に恐怖を敷いてきた組織だったことに変わりはない。あの炎を囲む者の中には、恨みを抱いているもの多いだろう。ツクミの困惑も当然である。


「許す許さぬは、全てが終わった後だ。懸命に戦う彼らの背中で罪が軽くなるならそれも良し。それでも許さぬと厳罰に処すなら、それも良し」

「……」

「だが、ロックドアが本当の意味で一致団結しなければ、人の手でパズスを追い払う事は出来ぬ。神の手ではなく、人の手でな」

「大丈夫なのかな」

「なに、妙な真似はさせぬ。それに、。手綱も握っておく」


 ツクミの中に威圧するイトが連想できた。みんな、今はジバールのように怯えている状態だろう。


「でも、どうしてあの悪い人たちを使おうとしているの?」

「悪い人、か。それが善い人になる最後の機会になろう」


 イトが振り返った先には、ジバールがいる屋敷があった。


「……それは、ジバールにとってもそうじゃ。父親の呪縛から解き放たれる、最後の機会だ」

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