第27話 禍津神、曰く自分に嘘は着けない
『たった一回の土下座如きで解決する問題など、案外そう多くないという事だ。かかっ、一回でダメならせめて三回は土下座せよ。かつて大陸に居たという劉備玄徳という英雄はのう、最高峰の頭脳たる諸葛孔明を得る為、三顧の礼をしたと言うぞ。日本の外の事ゆえ、我にも真偽は分からぬがな』
そんな事を馬車で言っていた気がする。
たぶん、その時もイトの機嫌も損わぬように笑っていた。
イトから見れば、きっと自分は人形のように見えるのだろう。
「……まっ、土下座なら何回してもいいだろう」
帰還し、自室に籠ったジバールは疲労困憊の体で座りながら、そう呟く。
考えてみれば、土下座なんて容易い事だ。
土に膝をつき、掌と頭を地面にこすりつける。
なんと与しやすい宗教だろう。イトとは。
「一時はどうなるかと思ったが、案外何とかなるもんだ。明日からも何とかなるだろう」
そうだ、何とかなる。
何故なら、ジバールはロックドアの家にいるからだ。
ロックドアの権力は何でも叶える。
パズスという父であり巨人の前には、神さえ平伏す。
努力なんて。
馬鹿馬鹿しくなるくらい。
だからイトがなすべきは、権力を損なわぬよう尽力することだ。
『もう一度、言われたい。『ありがとう』って、言われてみたい』
頭に自分の世迷い事が走ったので、打ち消した。
そういえばオネスト教の聖書でも、煩悩に立ち向かえとか何とか。
あのオネスト教狂いのステラなら、暗唱の一つは出来るのだろうが。
『これからやるんでしょう。学院で、
『それは俺がやった事じゃない……!!』
なんかステラからの罵倒と、それへの弁明が過ったので考えないようにした。
ついでに学院時代、夢を追いかける青春少女だったステラも過った。
思い出すのは、横顔。
成績表を誇らしい顔で見上げるステラの横顔を、いつも憎らしく見ていた。
でも、かっこいいな、って思ってた。
「おっと。考えるな、考えるな、はは」
青春を振り切る。
何も考えないようにするために、雑務をしよう。
そうジバールは机に着くと、山積してた資料から奴隷ビジネスに関する資料を見つけた。
イトは奴隷解放を積極的に行わないが、それでも神官となったツクミは着々と奴隷解放を行っている。忌々しい。とジバールは呟いた。
「まったく、魔族など。土足で人間様の領域に入ったのなら、大人しく従属すればいいのに」
魔族とは人類の敵。それは共通認識。当然の常識。
だから搾取していい筈だ。奴隷として、労力として。
そう、人間と魔族は交わってはならない。
あの路地で見た、人の少年と、魔族の少女が手を繋ぐ後ろ姿など、あっては――
『ジバールさま、ありがとう』
気付けば奴隷ビジネスの資料が手元から無くなっていた。
まさかイトが気づいたか。あるいはツクミにバレたか。
そう平謝りする気満々だったところ、クシャクシャに放り捨てられていた紙を見つけた。
さっきまで見ていた奴隷ビジネスの資料だった。
誰がこんなクシャクシャにしたのだろう。
まさかイトが【傀儡】で自分を操ったというのか。
「何やってんだ俺は、これは父上が進めていた奴だぞ……」
自分を戒める。
この世界で一番逆らってはならない存在、父親でありロックドア当主であるパズスの顔を思い浮かべる。
あれに逆らうくらいなら、イトに逆らった方がまだマシだ。
パズスは、ロックドアの権力を恐怖で守ってきた。
権力の使い方は、世界の中でも随一だ。
権力とは、恐怖と練り合わせれば最も力を発揮する。
その法則を、今日までずっと体現してきた。
思えば、今この状況をパズスが静観している筈がない。
必ず恐怖を人民に思い出させる。そして手駒として取り戻す。
その為に、例えば人々の一部を拷問し、あまりに残酷な姿を見せつけてくるだろう。
「——!! ——!!」
外が騒がしい。
どうやら郊外の方で、複数の死体が見つかったらしい。
思い出す。こういうときは、
やはり、早くパズスへと当主の座を明け渡そう。
自分が当主になるのは、天命パズスが死んでからでも怖くない。
「さて、父上の存在を人々に思い起こさせるか。それであのイトの宗教も終わりだ」
合理的に生きる。
それが、あの国立魔術学院で学んだことだ。
それが、あの国立魔術学院を通してパズスから学んだことだ。
だから。
だから。
====================
だから、『思い出したか、下民ども。当主パズスは秩序の乱れを悟った。故に現人神とやらで浮足立つ人間達へ、これ以上道を踏み外さぬよう、見せしめのためにこれだけの人間を殺したのだ。ロックドアを取り戻せ。ロックドアを取り戻せ』と、今この場で扇動するだけだった。
今この場——何十人もの人間が、串刺しの刑に処されていた血溜りの中心で。
惨憺たる世界に阿鼻叫喚する人間達へ。
家族の非業な死に泣きじゃくる人間達へ。
それを言うだけだ。
言うだけだったのに。
(父上だ……父上の仕業だ……)
この殺し方には見覚えがある。
聖書出典の、この王国で最も残酷な処刑方法だ。
最大限死なぬように、魔術で治癒しながら串刺しを繰り返す。
パズスと懇ろだったオネスト教の組織、【
彼らは、この処刑方法が得意だ。
律儀に、遺体の胸に【
とはいえ、流石に無意味にここまで虐殺はしない。
この手の大量殺人の背景には、必ずパズスがいる。
ロックドアの人間なら、誰もが【
このままイトを信奉したら、次は自分の番だ。
この惨劇は、そんな
そう直感した人間達は、これに懲りてイトへの信仰を止める。
そして、パズスを信奉するだろう。
逃れられぬ恐怖でせめて夢を見るために。
重税だろうが弾圧だろうが笑って過ごす事だろう。
(そうだ、父上を忘れたからこうなるんだ。ははっ、ははっ)
どんなにまじめに生きたって。
どんなに努力したって。
どんなに夢を見たって。
全て無為になった血だまりを歩きながら、ジバールは決める。
早くパズスの下へ駆けつけよう。
そしてロックドアの人間だった頃へと戻ろう。
ジバールは笑う。
ロックドア家の人間として、王のように笑う。
主席を取った日の国立魔術学院からの帰り道のように。
すべてが虚しくなったあの日のように。
乾いた笑みを浮かべていた。
そして。
たどり着く。
「 」
いつか見た人間の少年と、魔族の少女も串刺しになっていた。
特に魔族の少女の方は酷い。
魔族と分かる猫耳以外、あらゆる場所が串刺しになっている。
『あ、この子ね、金魚掬い一緒にしてたら仲良くなってね』
『……たのしかった』
当然だ。彼女は魔族だからだ。
パズスは魔族に奴隷以外の生き方を許さない。
魔族と友人になる少年も、言語道断かつ当然の死である。
『あとお母さんが言ってたよ。こんな人間どころか魔族も楽しめるような祭りを開くなんて、パズスって悪い当主と違って、ジバール様はいい当主なんだなって』
串刺しにされた二人の子供たち。
明日は何して遊ぶつもりだったのだろう。
明後日は何して遊ぶつもりだったのだろう。
そんなこと考えても仕方ない。
そんなの、誰も興味ない。
考えては、いけない。
『ジバール様、楽しかったよ。ありがとう』
掌を伸ばした。
路地で会った時と同じように。
でも、もう少年と少女には届かない。
路地で会った時。
もう少し話したかったとか。
一緒に金魚掬いしようとか。
ちゃんと当主になったら、また顔を見せてほしいとか。
本当は、そんな他愛ない事を言いたかった、なんて。
そんな世迷い事を。
パズスは許さないだろう。
ロックドア家の人間として、そんなのは持ってはいけない。
「はは」
ジバールは笑う。
ロックドア家の人間として、当然の権利として笑う。
少年の惨死を、魔族の屠殺を、ジバールは笑って見上げていた。
「はは、はは、はは」
ロックドア家の人間として、笑う。
嘲笑う。嗤う。哂う。わらう。ワラウ。ワラエ。
ワラエ。
「ははははくくくくくくく……」
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「本当にお主、嘘が苦手じゃのう。掌返しの能も無かったか」
血が滴るほど唇を嚙みしめながら、泣きながら無理矢理笑っているジバールの隣にイトは立つ。
あまりに非業な死を遂げた人間達を、一緒に見上げた。
そして、まだ年端もいかぬ少年少女の残酷な躯を、一切眉を動かさないままに見つめた。
「この紋様は【
「くく、くく、くくく」
「なんて酷い顔じゃ」
隣にイトが来たことにさえ気付かないらしい。
いつもなら、いの一番に気付いて、媚び諂うのに。
もう、【傀儡】も必要ないらしい。土下座も必要ない。
彼を塞いでいた蓋は、壊れ始めた。
せめてその切欠が、もう少し優しかったらと。
イトは改めて人間世界の残酷さを思い知る。
「聞こえていないだろうが言うておく」
イトが掌を挙げると、
剣やら槍やら冷たい異物を引き抜き、その裸体を服のように包み込む。
致命傷たる無数の風穴も
「【
残酷さに喘ぎ、恐怖する地獄から。
今しがた起きた仮初の奇跡で、少しだけ和らぐ天国から。
最早立つ事さえ覚束なくなった、泣き笑いを繰り返すイトの現実から、イトは消える。
まずは【
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